2010年11月30日火曜日

「激突討論!2011年の日本経済」(Voice12月号)を読む(その2)

 前回の(その1)から随分と日が経ってしまった。引き続き、(その2)では感想を交えつつ、財政、デフレの話題についてみていこう。

  3.財政
 財政については山崎養世氏と菊池英博氏のお二人が論じている。まず山崎氏の議論を少し敷衍しつつ財政の現状をまとめよう。
山崎氏が論じるように、日本の財政状態は敗戦直後の水準まで悪化している。2010年度予算では、1946年以来初めて、新規財源国債の発行額が一般税収を上回った。財政赤字は歳入と歳出の差である。歳出の中で特筆すべきは社会保障関係費の増加であり、10年度当初ベースの一般会計歳出総額に占める社会保障関係費のシェアは5割を超えた。この背景には高齢化があるが、高齢化は既に以前から見通されていた動きでもあり、寧ろ低成長の持続による税収の減少の要因が大である。
以上の推移の中で山崎氏は、国債発行の大幅拡大を指摘する。90年の国債発行総額は20兆円程度だったが、2009年になると158兆円にまで拡大している。公的年金が120兆円の資産を有し、ゆうちょ銀行・かんぽ生命による296兆円の資産はあるものの、負債を考慮すれば、公的年金はネットで債務超過、ゆうちょ銀行・かんぽ生命の純資産は10兆円程度である。国民の貯蓄率は2%に留まり、金融機関に流入する国民貯蓄は年8兆円程度、個人や日銀、外国人が保有する国債のシェアは低く、その大宗は日本の金融機関や年金がリスク資産への投資を止めて国債に投資することで支えられている。
このような現状をどのように考えれば良いのだろうか。山崎氏は、国民の資金を成長と税収を生むべき民間から引き剥がし、財政赤字を穴埋めするための国債に振り向けてきたことが成長と税収に致命的な打撃を与えてきたという。だが、この主張は誤りだ。
なぜかといえば、国民の資金を民間から引き剥がし国債に向かわせたのは、山崎氏が既に書いているように金融機関であって、別に国ではない。問題は、なぜ金融機関が低利の金利しか得られない国債に投資しているのかということだが、これは山崎氏が指摘するBISルールが原因というよりは「失われた20年」の中でデフレ予想が蔓延して、国債以外の資産への投資が手控えられたことが大きいだろう。政府が国債を発行するのは、それにより得た資金を歳出という形で支出するためでもある。税収の低迷と国債発行額の拡大という現状は、政府が国債発行により得た資金を支出しているものの、経済成長に結びつく(リターンとして結実させる)ことが出来ていないという側面も顕わにする。「失われた20年」の最中に断続的になされた財政支出は、長期停滞を払拭することは出来なかった。いみじくも山崎氏が指摘するように、政策当局の政策ミスが財政赤字の累増を招いたのだ。
次に菊池氏の主張を見よう。既に様々な論者が議論しているが、ギリシャの財政危機をみてとって日本も同様の状態に陥るという主張は余りにも日本の現状を無視している。菊池氏が述べるように、我が国を構成する政府の赤字のみを考慮し、貸し手である他の主体の黒字を無視するのは財政赤字の問題把握という視点からは望ましくないだろう。そして、我が国は世界最大の債券国であり、貿易は安定的な黒字で推移しているという点も重要なポイントである。
さて、山崎氏と菊池氏の議論の背景には共通の問題意識、つまり財政赤字を削減するためには経済成長を高めることが必要だという認識がある。
経済成長の必要性は同意だが、お二人が主張する個々の施策については異論がある。山崎氏は将来の資源・エネルギー・食糧危機に備えた国家戦略投資や、新エネルギー、食料・農業関連などのクリーンテック技術、自給持続を目指す環境未来地域の開発といった分野に、日本の年金や保険などの長期資金を振り向けることを提案しているが、これらは反対だ。理由は、将来資源・エネルギー・食糧の危機が生じるかは甚だ不明であること、政府が行うべきは個別産業へのターゲティングポリシーよりは、法人税減税やEPAの締結をはじめとする競争力強化策や、更にデフレから脱却し行過ぎた円高を是正するといった金融政策の方が遥かに効果は高いと考えられるためである。虎の子の長期資産を用いるのならば尚更だ。
そして山崎氏は財政均衡法の策定を提案しているが、増税の先鞭を付ける目的の財政均衡法の制定という趣旨はいただけない。経済変動を趨勢上の動き、つまり成長径路と景気変動といった循環径路に分けて考えると、日本の現状は失業率の高止まりや設備過剰、デフレの持続といった点からも明らかなように循環径路の問題が大きく影響している。この状況下で無理に財政を立て直そうとすれば、経済は更に悪化して財政健全化への道が遠のくことになるだろう。カネが無ければモノは買わず、将来に楽観的になれなければ投資は進まない。合理化を図り使途を明確にすれば、危機を認識した日本国民は納得してくれるのかもしれないが、残念ながらそれだけだ。問題はモノを買い、投資を拡大するといった形で需要が拡大し、経済成長が高まる方策は何かということなのである。山崎氏の国債バブル崩壊に伴う「危機の予言録」についてはもはや何も言うまい。
菊池氏の経済成長に関する方策の議論はどうか。菊池氏は財政政策の拡大こそが重要と説くが、大恐慌といった過去の経済危機に関する研究では金融緩和政策の有効性が実証されており、財政政策に関しては景気の下支え程度の効果しか無かったことが示されている。日本の「失われた20年」における財政政策の経験についてもしかり。勿論、これらの知見はこれまでの財政政策が大した効果をもたらさなかったのであって、新たな政策であれば効果を有する可能性はある。しかしそういった言及はない。
いみじくも両氏ともに、財政赤字を払拭するために日銀の国債引き受けを行うことを指摘しているが、この点は興味深く感じたところだ。

4.デフレ
 デフレに関しては藻谷浩介氏と安達誠司氏のお二人が論じている。藻谷氏の論説はネットでも注目され、多くの方が取り上げているようなので必要最低限に留めよう。藻谷氏は、人口変化が長期停滞に大きく影響していると論じる。そして、日本の就業者数の減少は小売販売額の減少と見事に符号しており、更に就業者数の減少は生産年齢人口の減少とが強い相関があることを指摘する。但し、生産年齢人口の減少が就業者数の減少に結びついたという証拠は無い。寧ろ長期停滞において失業率が高まったからこそ、就業者数は減少し消費も停滞したのではないか。
更に人口減少だから市場が縮むという主張は分かりやすいが、市場の規模は量と価格から決まる。マクロで言えば量と物価である。人口が減少しても量は減るが価格が低下するとは限らず、人口減で物価減少という議論は実際に妥当していないことは国際比較データから検証を行った安達氏の議論から明らかだ。安達氏は小売売上高と就業者数との関係を見ているが、2002年以降は生産年齢人口の減少が続いているにもかかわらず、小売売上高は拡大している。藻谷氏はこの点をどう説明するのだろうか。
最後に一言。藻谷氏の論説は、後半あたりから驚くべき展開を見せる。それは、藻谷氏が言う「デフレ」とは一般物価の下落を指すのではなく、個別財の価格低下を指すという言明だ。専門家ならば藻谷氏の言う「個別財の価格低下」を「デフレ」とは言わないだろう。定義が異なる話を「デフレ」という現象として論じ、それが一般の人々に流布・誤解させてしまったことは残念な事態である。既に「デフレ」については定義もあり、過去の議論は少なくともその定義に即して概ね展開されてきたと自分は理解している。読者や半可通の識者に「人口デフレ論」という耳触りの良い話を広め、これまで積み重ねられてきた議論を混乱に貶めることについて責任を感じてもらいたいところだ。さすがに『デフレの正体』という藻谷氏の著作の題名から、それが『個別財の価格下落の正体』を意味すると読むことは不可能だ。
そして、仮に「デフレ」が一般物価の下落だとして、「人口デフレ論」が正しいのならば、これほど日本経済にとって素晴らしい事はないのは安達氏が指摘するとおりだ。なぜかといえば、中央銀行が紙幣を発行し続け、財政赤字をファイナンスし続けてもインフレは発生しないためだ。どんどん人口が減少すれば良い。若年世代が少なくなっても紙幣増刷でインフレとなり量は減っても物価は上昇するので財政赤字も早期解消。先の山崎氏や菊池氏の議論など懸念である。痛快そのものだろう。残念ながらそんなことは起こりえようも無いのは、例えば高橋財政以降の財政赤字のファイナンスの拡大とインフレの亢進の経験を考えれば明らかなのだが。

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