2010年3月29日月曜日

量的緩和は実体経済指標を統計的に有意に刺激する 量的金融緩和無効論の批判的検討「特集 デフレ日本の財政金融政策」(週刊金融財政事情2010/03/29号)

『週刊金融財政事情』の特集は「デフレ日本の財政金融政策」ということで、高橋洋一、松岡幹裕、河野龍太郎の三氏が寄稿している。個人的にはこの三つの論考の中で重要だと感じるのは松岡氏による量的緩和政策の評価である。この論考を中心にまとめてみよう。

さて松岡氏の論考は、表題にも掲げた通り、量的金融緩和無効論に対する批判的検討である。この論考のベースは、浜田・原田編『長期不況の理論と実証 日本経済の停滞と金融政策』第二章所収の同氏の論文(日銀理論とは何か:名目短期金利ゼロの下限と金融政策)(同種の論文はESRI DP No.29としても読める)と思われるが、量的金融緩和策無効論についての批判的な検討がなされている。
松岡氏による、量的金融緩和無効論の主張を取り上げてみよう。論説では7つ全ての無効論が否定されている。つまり、量的緩和策は有効であったということだ。

1.量的緩和は金融システム不安に対して有効だが、景気刺激策としては無力である。
2.金融政策スタンスは名目短期金利の絶対水準により判断され、金融政策はマネーではなく金利を通じて実
体経済に波及する。(名目短期金利至上主義)
3.金融政策は主に短期金融市場を通じて波及する。(短期金融市場至上主義)
4.名目短期金利がゼロに達したら追加的な金融緩和はできない。
5.資金需要が無いので、量的緩和をしても景気を刺激できない(超過準備ブタ積み論)。
6.中央銀行による国債引き受けは、インフレにつながる。
7.インフレは加速し始めると手に負えない。

1.量的緩和は景気刺激策としては無力だったのか?
  松岡氏は簡単な実証分析(5変数VARに基づく、日銀当座預金増が実体経済に与える影響)を行った上で、量的緩和策が実体経済(CI一致指数、消費総合指数)に影響を及ぼすのは最低でも9ヶ月以上の期間がかかり、その影響は24ヶ月が過ぎても持続していることを示している。金融政策の効果ラグは1年から1年半なので、金融政策に即時的な効果を求めるのは難しい。そして推計結果からは無力ではないということがわかる。
  さて、量的緩和政策についての実証分析として代表的なもの(Kimura他(2002)、Kimura and Small(2004)、Fujiwara(2006)、Oda and Ueda(2007))を敷衍すると、量的緩和策の効果として有効な径路は、時間軸効果に関するものであり、ポートフォリオリバランス効果は無く、かつ金利がゼロの場合にマネーを増加させても実体経済には殆ど効果がなかったとされている。
しかし、これらの研究は量的緩和政策の実施期間を完全に織り込んだものではない(例えばKimura他(2002)では、85年Q3~02年Q1、Fujiwara(2006)は85年1月~2003年12月)。更にOda and Ueda(2007)及びKimura and Small(2004)は実体経済の影響を調べていない。そして、量的緩和政策では政策手段として日銀当座預金残高が採用されているが、このことは量的緩和政策前後で構造変化が生じたことを示唆する。確かに構造変化をマルコフスィッチング等の手法により織り込むこともあり得るが、量的緩和の期間自体を標本期間とするのが適当だろう。
  量的緩和の期間のみを含んだ実証分析としては、Honda他(2007)、原田・増島(2009)、本多他(2010)が挙げられるが、これらの研究で確認されているのは、日銀当座預金残高(マネタリーベース)の増加は実体経済を拡大させ、その際の効果としては時間軸効果は検出されず、ポートフォリオリバランス効果により資産価格の上昇が実体経済を好転させたという事実である。尚、デフレ期待に関する歯止め効果があったこと(竹田・慶田(2009))や、銀行間のコール・レートのスプレッドをほぼ完全に解消させ、株価の上昇を引き起こしたこと(福田(2009))も報告されている。松岡氏の所論は、以上の点を鑑みても正しいと考えられる。

2.名目金利至上主義は正しいのか?
   論点の2.から4.についてだが、これはいくらマネーを供給しても資金需要が無いために、景気は刺激できないという考え方に繋がる。つまり、中央銀行は自らが適切と考える名目短期金利の水準で金融市場が需要する準備預金を受動的に供給するに過ぎない、というものである。ただし、そうであるならば、中央銀行は景気後退に対して無力であり、そして景気の過熱に対しても無力であろう。
さらに名目金利至上主義は、金融政策の波及径路を狭く限定しているのではないかと考えられる。金融政策の波及径路は、為替レートや他の資産価格、実物資産と金融資産の代替といった径路でも波及する。これらの点は1.の実証研究や02年以降の実体経済の回復局面の事例からも明らかだ。

3.超過準備ブタ積み論は正しいのか?
論点の5.は超過準備ブタ積み論である。日銀当座預金を増額しても銀行は貸出を増やさないので、実体経済に好影響はでないというものだ。松岡氏は、超過準備が1兆と1000兆の場合で全く違いが無い、という筈が無いと論じるが、そのとおりだ。つまり、超過準備を拡大する過程で中央銀行は家計、企業、政府の負債を購入するが、これらの主体の負債を購入することでファイナンスを得ることができた主体は存在するだろう。ファイナンスができた主体が消費・投資・・といった経済活動を行うのは必定である。
   更にブタ積み論が見落としているのは、金融政策は現金との代替性が不完全な資産(証券)と現金という二つの金融資産の交換を通じて波及するということだ。名目短期金利はこれらの交換の結果定まるものである。つまり、現金と代替性が低い資産を中央銀行が大量に購入することで景気刺激効果は実現するのである。
   この点は、片岡(2009)及び片岡(2010)でも論じられているが、日銀や欧米中央銀行が行った量的緩和策の経験を踏まえれば(現在では)簡単に確認できる。日銀の場合、01年~06年の量的緩和政策の期間に日銀当座預金残高は30兆円(GDP比1.2ポイントベース)の量的緩和であり、購入対象資産は長期国債が殆どであった。長期国債は現金との代替性がほぼ完全な短期国債よりも現金との代替性は低いものの、外貨建て外国証券よりも代替性は高く、更に社債や株式、ETFといった資産よりも更に代替性は高いだろう。欧米中央銀行は、リーマン・ショック前後以降に総資産を名目GDP比8~13ポイントベースで拡大した。つまり、日銀の量的緩和策と比較して4~6倍のペースで緩和を行った。更に、長期国債のみならず、現金との代替性がさらに低い資産も積極的に購入した。これらが、日本の量的緩和策と比較して資産価格の早期反転や実体経済への影響が早期に生じた理由である。
そしてブタ積み論が見落としている点は、超過準備の多寡が、民間資金需要の程度を示したものではないということだ。日銀当座預金の残高が中央銀行の政策変数であるのならば、当座預金の残高は民間資金需要の増減に対して固定される。例えば民間資金需要が増加して、民間銀行が日銀の当座預金を取り崩して資金供給を行った場合には、当座預金残高(つまり超過準備)は減少する。しかし、当座預金残高が一定の金額に固定するような政策運営を日銀が行っている場合には、日銀は同額の買いオペを実施するために当座預金残高は維持されるのである。

4.構造的デフレ論に対して
   わが国のインフレ率が上がらないのは、技術進歩や国際競争の激化が影響しているとの議論もある。しかしこれらは他の先進国でも同様に観察される事例であって、日本だけがなぜデフレになるのかを説明できない。更に、先進国では一人当たり名目賃金は90年代以降継続して年率3~5%で上昇しているが、日本はなぜ上昇していないのかを説明することができない。更に国際競争の激化で賃金が抑制されるのならば、製造業の賃金が相対的に減少する筈だが、日本を含む多くの先進国で観察されるのは逆の現象(非製造業の賃金の下落が進む)であることも説明できない。わが国の最大の問題点は、デフレ(つまり名目変数が殆ど伸びていないこと)であり、これには金融政策の失敗が決定的な影響を及ぼしている。

5.財政赤字はインフレに繋がるか?
財政赤字がインフレに繋がるという議論は、わが国において財政赤字が経済政策の失敗と景気停滞の結果であること、更にわが国の資金循環表から、民間部門の貯蓄投資差額が財政収支変動を相殺するように動く傾向を考慮していない。インフレは景気の過熱により生じ、それは同時に税収の回復、つまり財政赤字の解消を伴う。財政赤字がインフレに繋がるという因果性は疑わしいし、中央銀行が国債引き受けによりマネーを供給することでインフレになるのであれば、以上の径路を伴う筈であるため、その際には財政赤字は改善に向かっているだろう。

6.インフレはコントロール出来るのか?
最後の7.についてだが、インフレが加速するとコントロールできないという話はありえない。過去の金融政策の事例を見る限り、インフレ期待をコントロールすることは可能である。量的緩和策によりインフレが生じるのであれば、それは、景気拡大を伴なっており、実体経済の改善を伴うだろう。

7.感想
松岡氏の論考を簡単に纏めたが、極めて明快な論説である。ご興味のある方は先の浜田・原田編著に掲載されている論文や、ESRI DPもあわせて読むと良いと思う。量的緩和政策の実証研究については、別途纏めつつ、国際的な比較結果を考慮した実証研究についても(可能であれば)紹介したいところである。
さて、松岡氏の論考の末尾にも書かれているが、日銀は政策金利0.1%の下で貸出しを行う新型オペを実施し、更に3月の政策決定会合ではこの金額を拡充することを発表した。しかし私(松岡氏もそうだが)にいわせれば、これは「だまし」の緩和に過ぎない。つまり、日銀は貸出しの拡充分だけ売りオペを増加させることで新型オペの資金供給を相殺しており、当座預金残高の増加は殆ど生じていないためだ。政策金利0.1%という制約がある限り、国債買切りオペの増額といった政策も無意味だろう。つまり、当座預金残高の増加を伴うという状況を維持しつつ、明確なコミットメントを伴なう金融政策が今必要なのである。

2010年3月26日金曜日

Effects of Fiscal Stimulus in Structural Models(IMF WP/10/73)

もしかすると既にどなたか紹介しているのかもしれないが、一応メモ書き。
Econbrowser及びEconomist’s Viewでも取り上げられているが、Economist’s Viewの方がグラフが沢山掲載されていて政策手段と効果の対応がわかりやすい。直接比較可能な形でのシミュレーション結果の比較は困難だと思ったが、やはり対象となっている機関による共同作業なんですね。納得。

Effects of Fiscal Stimulus in Structural Models(IMF WP/10/73)
・"Effects of Fiscal Stimulus in Structural Models"(Economist’s View)
Policy Analysis in DSGEs(Econbrowser)

2010年3月25日木曜日

吉川洋編『デフレ経済と金融政策 バブル/デフレ期の日本経済と経済政策2』(その1)

 以下、『デフレ経済と金融政策』の序から各論文の概要と、吉川氏の議論、自分の感想をメモ書きしてみることにしよう。個別の論文については、同タイトルの(その2)・(その3)という形で順次関連文献にふれながらまとめる予定(どこまでできるか分からないが)である。

1.誤った「理論」を論じているのは誰か?
 まず、序の議論をはじめるにあたって、ケインズの有名な議論-『経済学の理論や哲学は、普通考えられているよりも実は大きな影響を現実の社会に与える。「理論」が政策当局、政治家、アジテーターに与える影響は、「既得権益」などよりも遥かに大きい。だから「理論」は危険なものであるのだ』が引用される。
 吉川氏が「理論」として論難する相手は誰なのか。それは、端的に言えば米国主流派の経済学者、そしてFRBの「理論」である。
 米国主流派の経済学者やFRB当局は、「失われた10年」における日本の金融政策を「too little, too late」であるとし、「正しい政策対応」は分かっていると論じた。「失われた10年」とは無縁であった欧米では安定した物価と経済成長が達成されており、バーナンキ現議長は「現代のマクロ経済政策は景気循環の問題を解決した」と述べていた。しかし、今回の米国発の金融危機は彼らが言う「正しい政策対応」が本当に正しかったのか?という疑問を提起させる。
この「正しい政策対応」の根幹にあるのは、テイラールールに代表されるような一定のルールを参照しつつ、金利を上下させるというルールベースの金融政策によって、物価安定と長期の経済成長が達成される、という世界の中央銀行のコンセンサスにあると吉川氏は言う。

2.FED ViewとBIS View
 そこで、本論の内容に入る。つまり、世界同時金融危機と呼べる現象を生じさせた背景として、定説となったと思われたFED Viewが果たして正しかったのかという点である。第一章及び第二章の話題は、このFED Viewと対立する考え方であるBIS Viewとの違いと対立の様相についてである。第一章の翁論文は、この二つの見方の違いと対立を整理し、第二章の翁・村田論文は、世界的なディスインフレーションに関する解釈においても二つの見方には違いがあることを指摘している。更に11章の地主論文では、ITバブル崩壊後のFRBの金融政策をナラティブアプローチに基づいて分析し、資産価格の動向には、雇用やデフレほどFRBが注意を払っていなかったと指摘している。
 吉川氏による二つの見方の評価は、FED Viewは乱暴であり、異端的な見方と目されたBIS Viewの視点、特に「バブルの崩壊とともに深刻な、すなわち金利を下げるだけでは簡単にはclean upすることができない不況・デフレに陥るリスクがある。」という視点こそ重要だという。吉川氏によれば、バブルは崩壊してから対応すれば良いという問題ではなく、それこそが政策により回避されるべき重大な問題である、ということになる。
 個人的な感想を述べれば、FED Viewが言うところの「バブルは崩壊してから対処すればよい」という論点は、以下の理由にあると考えられる。
 1つ目は、バブルが生じている時点ではバブルとは認識できないことである。特に安定した経済成長が観察されれば、その際には資産価格も上昇する。ファンダメンタルズに対応した資産価格とそうでない部分をリアルタイムで区分するのは難しい。2つ目は、バブルだと認識できたとして利上げを行おうとする際に、その判断をどのようにして市中に浸透させるのか、それは困難ではないかということである。3つ目は、利上げという中央銀行のバブルに対する判断が経済主体の行動を変化させ、中央銀行の政策判断の根拠でもあった経済状況を変えてしまうという点である。以上から判断すれば、FED Viewにおける「バブルはそれが生じている段階でバブルだとは認識できない」という論点は正しく、乱暴という議論は金融危機という現在の状況に少し依存しすぎなのではないかと思う。ただし、バブルが崩壊してからではわからないからといって、バブル崩壊後の経済への影響が軽微であると楽観視し、バブル崩壊に伴う政策対応を金融政策のみに頼ることもいささかミスリードである。特に流動性の罠に経済が陥った際の政策対応は、信用緩和策を行っている米国や英国、ECBといった中央銀行にとっては課題だろう。その意味で第3章の白川論文は参考となる。

3.「流動性の罠」下の金融政策
 第3章の白川論文に続き、議論されているのが第4章の吉川論文である。ここでは有名なクルーグマンのIts baaack論文が検討される。吉川氏によれば、クルーグマン論文のポイントは、消費者の効用最大化に基づく「しっかりとした」モデルにより「インフレターゲットと量的緩和」という政策提言に理論的基礎を与えたと多くの経済学者・エコノミストが考えたことにあるとのことである。吉川氏によるクルーグマン論文の問題点は、名目金利がゼロであるとする異常な経済状況を対象としているが、一方で実質金利がインフレにより下がることで経済の調整メカニズムが働くのであれば問題はないという「正常」な経済を仮定しているとのことである。この視点からは、我が国の金融危機に象徴されるような不良債権問題といった要素がクルーグマン論文のモデルでは対象とされていない。そして、ルールの代表格でもあるテイラールールには不良債権の特別席はなく、GDPギャップという要素に実体経済の要素は押し込められてしまっていると指摘する。
 さて感想だが、吉川氏の議論に従えば資産価格といった要素をルールにどう取り込むかという点は今後の課題ではないかと思う。ただし一方で12章の岡田・浜田論文でも挙げられているとおり、流動性の罠を、ある定常過程からある定常過程への移行過程において発生する論理的な「短期」として区分される現象と捉えるのであれば、流動性の罠の本質はニュース・ドライブンな動学的現象であるともいえるだろう。つまり将来の外生変数の低下が現時点で予想されることで、将来の期待を折り込んだものに現在の均衡が調整されうるということである。この意味では、クルーグマン論文は流動性の罠の本質を捉えているといえるのである。

4.貨幣数量説としてのデフレの解釈
 さて、吉川氏のまとめは、貨幣数量説的なデフレの解釈に話が移る。貨幣数量方程式に従えば、マネーサプライの変化と物価との間は関係がある。しかし一方でゼロ金利政策、量的緩和政策といった非伝統的な政策を行ったにも関わらず、デフレは続いたのも事実である。第5章の宮尾論文はECMに基づいて貨幣数量方程式の検証を行っている。長期的な均衡関係ということでは、マネー(M1)と物価との間には安定的な関係が成立しているが、短期的なダイナミクスという意味では、マネーが物価変動に対して影響するという関係が2000年代に入って消滅しているという議論がなされている。
 感想だが、このように見ていくと、2000年代に入ってマネーと物価変動との間の関係が消滅するという事実は、「マネーを刷ればインフレになる」という単純な貨幣数量説的な認識を否定しているようにもとれる。
 だが、注意すべきは同時点間のマネーと物価変動との間に関係がないという事実は、マネーと物価との間に関係がないということではなく、流動性の罠に陥った状況を実証分析で確認したもの、ではないかという点である。それでは、量的緩和策がどのような経路を辿ってどのような形で効果をもたらしただろうか。

5.量的緩和策
 量的緩和策についてはいくつか論点がある。まず、第6章の竹田・慶田論文である。こちらは消費動向調査の個票データから負債デフレ論とデフレ心理についての分析がなされている。計測の結果、98年以降は過大なデフレ期待が検出され、デフレ期待に歯止めをかけたのが資産価格についての期待の好転、そして量的緩和策であるとの結果が記載されている。
 量的緩和政策が金融システムにどのような影響をもたらしたのか。この点は第7章の福田論文で議論されている。福田論文では、銀行間市場のコール・レートに着目し、日次ベースでコール・レートのスプレッド(日中最高値と最低値の差)を分析している。量的緩和政策は、コール・レートのスプレッドを大幅に縮小させほぼ完全に解消させた。一方、コール・レートのスプレッド縮小は株価の上昇を引き起こすという分析結果も得られている。
 第8章の原田・増島論文は、VARモデルに基づいて量的緩和政策の波及経路として、従来指摘されていた「時間軸効果」、中・長期金利低下による効果ではなく、資産価格の上昇を通じた実体経済の改善という経路を辿ったことを実証している。これらの結果は、第6章、第7章の研究と整合的だろう。
 感想だが、つまり、これらの研究成果から浮かび上がる量的緩和政策の効果(波及経路)とは、過大なデフレ期待に歯止めをかけて資産価格について期待を好転させ、実体経済を改善させたという経路と、金融危機における金融システムの崩壊を食い止めたという経路の二つが挙げられる。「時間軸効果」といった意味での日銀のコミットメントが効果をもたらしたという話ではないことに注意すべきだろう。
 さて個人的に気になるのは、資産価格と金融システム、更に実体経済との関係が我が国の長期停滞からの脱却過程でどのように作用したのかという点である。12章の岡田・浜田論文でも指摘されているが、深刻な金融危機からの脱却過程では、株価の上昇から実体経済の好転が生じ、金融システムの安定や貸し出し・借入れの増加といった側面は実体経済の好転からやや遅れて生じている。銀行貸し出しの増加は05年以降に生じていること、更に資金循環表からは企業部門の債務処理が終了して、借入れが生じているのは06年以降という点を踏まえると、吉川氏が言う金融システムの安定・不良債権というポイントよりも、資産価格への影響こそ重視すべきということになるのではと思う。

6.物価と資産価格
 5節でみたように、量的緩和策の経路という意味では資産価格の変化というものが大きな影響をもたらしているが、金融政策で目標とするのは資産価格ではなく物価である。更に、量的緩和策により物価はゼロ近傍からわずかに上昇したが、量的緩和解除により再度物価は低下している。
物価と資産価格との関係はどのように考えれば良いのだろうか。第9章の渡辺論文は、資産価格と財・サービス価格との関連を調べている。結果は、米国と比較して我が国の財・サービス価格は3倍の粘着性を持っているというものである。仮に米国並みの伸縮性を有していたのであれば、バブル期の消費者物価指数は実績よりも1%高く、バブル崩壊期には実績よりも1%低くなるとのことだ。
 消費者物価指数を構成する財の価格変動の特徴に関しては、第10章の梅田論文が検証している。結果によれば、米英と比較して我が国の方がデジタル家電の価格変化がCPIに及ぼす影響は大きい。90年代のデフレ時においては、サービス価格のゼロインフレがCPIに影響している。欧米諸国はサービス価格が持続的上昇を続けているが、サービス産業における米英と日本の名目賃金格差が価格差に影響しているとのことである。
 感想だが、吉川氏は資産価格の粘着性についてバブル期における局面を重視した議論をされている。一方でバブル崩壊期におけるCPIと資産価格の関係も考える必要があるだろう。バブル崩壊期においてCPIに対して資産価格の粘着性が高いということは、CPIの水準が過大に見積もられていることを意味する。そうすると、実際の政策対応はより緩和的になされなければならなかったのではということになる。

7.長期停滞と金融政策
 さて、金融政策と長期停滞とのかかわりはどう見ることが出来るのだろうか。周知の通り、長期停滞の原因については様々な論争が繰り広げられた。バブル崩壊から20年が経とうとしているが、この点についてコンセンサスが得られたとは言いがたい。岡田・浜田論文では、金融政策が長期停滞に大きな影響を及ぼしたと論じる。
 自分なりにこの論文のポイントを整理すると、概念上短期的ショックと位置づけられるマネタリーなショックが現実的な時間の流れにおける「長期」に渡り影響していたというのが一つ目のポイントである。多くの論者が指摘する長期停滞の原因とは、実物的な要因に基づくものである。標準的な解釈に従う限りこれは正しい。
 しかし長期停滞の中身はというと、成長率の低下は数回の景気循環を経つつ生じていることも事実であり、91年から97年の資産価格の下落と実体経済の悪化が生じた局面、金融危機が生じた98年から2001年までの時期、2002年以降の回復局面において、実物的要因は長期停滞の最中において異なる動きを示している。一方で、貨幣的要因(物価)はディスインフレからデフレの持続という形で停滞が続く。更に為替レートの動きからも円の名目価値の上昇・もしくはその傾向の持続が観察される。つまり、本来は短期とされる貨幣的な現象が長期に渡り持続していたのである。
 この貨幣的な現象の持続は、物価の下方硬直性の存在を示唆する。更に貨幣数量説的な解釈にも異論を提示するものである。長期停滞下においては、金融政策から景気変動という因果関係よりも、実体経済の変動に対して銀行貸し出しやマネーが変化し、受動的な金融政策の結果としてマネタリーベースが変化するという経路が働いていたのではということだ。この点は所謂日銀理論の存在からも納得しやすいだろう。「マネーを刷ればインフレになる」という事実は、長期停滞下の日本経済の状況を眺めれば否ともいえる。
 だが、注意すべきは、貨幣数量説的な解釈が正しくは無いからといって、マネーから物価への経路が否定されているわけではないということである。つまり流動性の罠という形で、貨幣量と物価もしくは景気との間に同時点的な関係が保たれないという状況が生じていれば、流動性の罠から脱却すればマネーと物価の関係は修復されるということになる。
 岡田・浜田論文では為替レートの存在が重視されているが、それは長期停滞の原因を国内的要因のみで捉えようとすると、我が国の停滞を実物的要因か貨幣的要因かを決着づけることが困難であるためだ。この点が二つ目のポイントだろう。
先程上で書いたニュース・ドライブンな動学的現象という枠組みは、実物的な意味での長期停滞の解釈としても有効である。つまり、生産性の将来の低下が予想されたとすると、それは将来所得の割引現在価値である富や恒常所得の低下を認識させるため、現在供給能力が低下していないにも関わらず現在の総需要は低下することになる。貨幣と物価をこのような枠組みに追加すれば、実物的要因に基づくデフレと長期停滞という現象を説明できてしまう。
 そこで出てくるのが、実質為替レートに関する議論だ。この点は非常に勉強になった。ここで重要な点は、実質為替レートと交易条件が同じではないということと、景気循環との関係において実質為替レートの調整が不備であったという指摘だろう。
 咀嚼すべき点は多いのだが、実質為替レートは資産価格である為替レートと、粘着的にしか変化しない物価の組み合わせである。実質為替レートの調整不全(為替レートと物価とのアンバランス)は、経済活動に対する重要かつ本質的な原因となりえるというのが、岡田・浜田論文の結論である。この点は、経済の激変期におけるストックの重要性、つまり資産市場の調整はバブル崩壊という形で急激に進む一方で、ストックの動きに伴う形で生じるフローの調整は緩慢であり、それが長期停滞をもたらしうるという視点である。サブプライム危機から世界金融危機、そして世界的な実体経済の悪化という局面を見ても、資産バブルの崩壊によって米国の過剰とも言える消費は停滞が進んでいるが、その調整は価格の粘着性により緩やかに進んでいる。以上の事実はストックの急速な調整に対してフローの調整は緩慢に進むという状況を反映しているのである。

8.再びFED ViewとBIS Viewを巡って
 段々とまとめでなくなってしまったような気もするが、以上の論文の概要を説明した上で、吉川氏の議論は、日本の経験が金融政策に対してどのような教訓をもたらしたのかという点に移っていく。結論を述べれば、世界金融危機が生じたことは、我が国の経験が生かされなかったことを意味するというのが、氏の議論である。
 氏が指摘するのは、「マクロ経済にとり最大の脅威でもあるバブルはあらゆる努力を払って回避しなければならない」というものである。そしてBIS Viewと同じ考えをもっていた経済学者-シュンペーター、ハイエク、等々の考え方が紹介される。つまり、バブルは金利政策の効果とは定量的に比較にならないほどの大きな影響をマクロ経済に与える、というものだ。この指摘からはバブルを予見して金融政策を行うことの必要性が氏から主張されるのは当然ともいえるだろう。更に、期待は安定しないという指摘も興味深いところだ。
 感想だが、確かにバブルは実体経済に悪影響を与えるし、バブルを避けることが出来るのであればそれに越したことはない。しかしやはりバブルを未然に政策担当者が判断し、それを避けるような政策を行うことが可能なのかという点は疑問である。
 バブルを予見できるということは「暴れ馬」と吉川氏が指摘する公衆の期待が把握できるという事につながらないか。又、バブルを予見し、金利を引き締めるということは公衆の期待を変え、ファンダメンタルズについての政策当局の理解にラグを生じさせ、政策の歪みをもたらすのではないか。資産市場における期待を安定化させることはできないという認識はFED Viewにおいても共通だろう。だからこそ、バブルは把握できず、これまで世界中で数々のバブルが崩壊するという事態を我々は経験してきたのではなかろうか。
 注意すべき点は、資産価格の「期待」はコントロールできないが、物価に関する「期待」に働きかけることが可能かという点である。この点は今回の金融政策の帰結を見極めなければ、教訓という点では判断がつかないだろう。更に「期待」についての精緻な研究が今後も必要なのだろう。

深尾京司編『マクロ経済と産業構造 バブル/デフレ期の日本経済と経済政策1』(その1)

 内閣府経済社会総合研究所が企画・監修しているバブル/デフレ期の日本経済と経済政策のシリーズも7巻全てが出揃った。本シリーズは所謂「失われた10年」がどのような時代であったのかを分析した論文集の体裁をとっている。出来るだけ、各論文全ての内容についてまとめつつ、あわせて関連論文も整理しつつ進みたい。
 さて、第一巻にあたる『マクロ経済と産業構造』では、「失われた10年」における日本経済の低迷の原因を、需要サイド・供給サイド双方の視点から包括的に分析している。以下では全体像を俯瞰するという意味で、編者の深尾京司氏による序をまとめる。
まず本書の内容は、先に述べたように需要サイド及び供給サイドからマクロ経済を分析するというものである。マクロ経済の動向を議論する際に重要となるGDPギャップ、実質金利といった変数は推計により得られるため、推計方法によって数値が変化する。これらの点に加えて、CIといった景気動向指数、景気判断と経済政策といったテーマについても分析がなされている。

1.需要サイドからみた「失われた10年」
 需要サイドの分析としては、祝迫・岡田論文、石井論文、宮川・田中論文、堀論文が該当するだろう。
 祝迫・岡田論文では、「日本経済における消費と貯蓄-1980年代以降の概観」と題して、1980年代以降の日本の消費変動を、ライフサイクル仮説で考えた長期均衡からの乖離という視点で分析している。結果をみると、90年代前半までの時期は、バブル崩壊が耐久財消費の急激な低下を生み出したが、非耐久財やサービス消費に対する影響は限定的であったこと、90年代後半になると家計所得・消費がGDP変化と比較して大きく落ち込んでいること、家計収入の減少と比較して消費は相対的に減少していないため、家計貯蓄率の低下が生じた、というものである。
 石井論文は「バブルからデフレ期にかけての家計の予備的貯蓄行動の変化」と題して、予備的貯蓄行動の視点から貯蓄率への影響を分析している。これによれば、予備的貯蓄に影響したのは完全失業率の悪化という失業リスクであり、資産価格変動リスクが貯蓄率に影響したとの結果は見いだせていないこと、失業リスクの影響は90年代後半から00年代にかけて低下している、との結果がえられている。
 宮川・田中論文は「設備投資分析の潮流と日本経済-過剰投資か過少投資か」として、設備投資の動向の実証分析を行っている。結果としては、日本の設備投資の伸びは低下しているが、水準は他国と比較して必ずしも低くないこと、バブル崩壊前までの日本の投資行動には横並び行動という非合理的な要因が影響していたこと、近年ではキャッシュ・フローが投資行動に影響していることを得ている。
 堀論文「アジアの発展と日本経済-外需動向・為替レートと日本の国際競争力」は、外的環境の変化を概観しつつ、その環境変化が日本経済のパフォーマンスに与えた影響を分析している。90年代から顕著になった国際環境の動きは、東アジアの経済発展であろう。90年代の「失われた10年」から脱却するにあたり、東アジアの経済成長をなぜもっと取り込むことができなかったのか。堀論文では、アジア市場の急拡大という機会が円高による国際競争力の低下で相殺され、円の高止まり状況の下で、低付加価値品のみならず高付加価値品まで競争力を失っていったことを明らかにしている。

2.供給サイドからみた「失われた10年」
 供給サイドからみた分析は、櫻井論文、元橋論文、中島論文、深尾・金論文、塩路論文が該当する。
消費について分析を行った祝迫・岡田論文や石井論文でふれられているポイントで関連する雇用動向については、櫻井論文「労働供給、労働需要、技術進歩と経済成長」として分析されている。労働供給については人口の低下という形で量的な側面への制約が強まる一方、高学歴化による質の向上と非正規化による質の低下が生じた。労働需要に関しては、90年代後半以降の不況の深刻化により大幅な減退が見られた。また、熟練労働者の相対雇用を増やし、非熟練労働者の相対雇用を減らすという非中立的な影響は、日本でも観察された。
 元橋論文「日本企業の研究開発資産の蓄積とパフォーマンスに関する実証分析」は、1980年以降の日本企業におけるR&D投資とR&D資産の蓄積動向、R&D投資の決定要因、R&D資産の生産性について分析がなされている。分析によれば、1990年代に入りR&D資産の蓄積速度は企業の財務状況の悪化に伴い低下したが、企業が収益性の高い分野に研究開発投資を集中させたことでR&D資産の限界生産性は上昇している。
 日本経済が停滞から成長径路に復帰するには、サービス産業の生産性向上が必須だとしばしば指摘される。だが、サービス産業の生産性の計測には数多くの困難が生じ、統計上の整備が不十分であることも周知の事実だろう。中島論文「サービス産業の生産性」では、我が国で広く用いられている指標が真の生産性と乖離する可能性を指摘するとともに、新たなサービス業のアウトプットを定義した上で生産性を推計している。結果として従来のヘドニックアプローチによる品質調整はバイアスをもたらすことがわかる。
 深尾・金論文「生産性・資源配分と日本の成長」は、資源配分と生産性の視点から80年代以降の日本経済を概観している。結果としては、90年代の成長率の減速にはTFP成長率の低下が相当程度影響している。だが、TFP成長率の低下は、産業間の資源配分の変化や各産業内での企業間の資源配分の非効率化が原因とは言えない。寧ろ、各産業内、各企業内のTFP成長率そのものの低下がマクロ全体のTFP成長率の低下の原因である。日本経済の新陳代謝機能は長期に渡って停滞しており、資源配分の改善は重要な課題である。
 TFP成長率は需要変化と無縁ではない。では、TFP成長率と景気変動との関係はどのように考えれば良いのか。塩路論文「生産性変動と1990年代以降の日本経済」では、この疑問について考察している。需要変動として重要なポイントは、TFP成長率の推計に稼働率要因を含めるという点だが、稼働率変動を含めた場合でも製造業のTFP成長率が低下するとの結論は変わらないが、非製造業ではTFP成長率の低下がかなり抑制される。また資源配分が非効率か否かを検討する場合には生産サイドのみの視点では不十分であり、需要構造によっては、寧ろ生産性上昇率が減少した産業に資源を再配分することが最適となる可能性も示唆されている。

3.GDPギャップ・潜在成長率・均衡実質金利・景気判断・景気循環
 マクロ経済を議論する際に注意すべき点は、GDPギャップ、潜在成長率、均衡実質金利、自然失業率、NAIRUといった鍵概念が、統計データから直接把握できるのではなく、推計により間接的に把握される、という点であろう。推計という手続きが入ることで、様々な誤差が混入する可能性もある。誤った推計を自らの政策決定の為に都合良く利用する可能性もあるのかもしれない。以上の意味で、これらの鍵概念を検討する際には、使用されている統計データが概念と十分対応したものかどうか、推計上のバイアスはあるのかどうか、といった点について認識しておくことが必要だろう。そして推計結果を盲信するのではなく、加工無しに得られる統計データの結果から推計結果を判断していくことも必要だろう。
 さて、酒巻論文「1980年代以降のGDPギャップと潜在成長率について」では、日本の潜在GDP及びGDPギャップに関する推定方法の包括的なレビューと1980年代以降のデータを用いた推計がなされている。潜在GDPの推計方法としては、生産関数に基づくもの、オークン法則に基づくもの、フィルターを適用することによるトレンド抽出、DSGEモデルを想定した上での推計、といった4つの方法があり、それぞれの方法で結果は異なる。最も広く用いられている手法である生産関数アプローチからGDPギャップを推計すると、GDPギャップの水準は年々低下していき、99年にはマイナス5%となった。潜在成長率は3%台から90年代半ば以降は1%台まで低下した。
 鎌田論文「わが国の均衡実質金利」は、均衡実質金利の推計について代表的な手法を紹介しつつ、日本の均衡実質金利の推計を行っている。推計される均衡実質金利の水準は手法・モデルの違いによりかなりの幅があるものの、97年から98年頃に均衡実質金利がマイナスに落ち込んでいたこと、マイナス幅はせいぜい1%であり、持続期間も長くはなかったという結論が得られている。推計値を基準に金融政策スタンスを評価する際には、推計値自身のもつ不確実性を吟味することが必要である。鎌田論文ではリアルタイム推計誤差の検討がなされているが、結果からは均衡実質金利の推計値を過信せず参考程度の利用に留めるべきとの指摘がある。
 「失われた10年」における景気判断と経済政策との関係はどのように考えたら良いのだろうか。北坂論文「わが国のバブル期以降の経済見通し・景気判断と経済政策-その経緯と現時点からの評価」では、バブル期以降の日本経済の状況、政府の経済見通しと景気判断について考察がなされている。バブル期以降のマクロ経済を概観することで、資産価格変動が景気と大きく関連していることが確認され、見通しや景気判断に資産価格や金融面の動きを重視する必要性が指摘される。政府経済見通しについては、政府が景気後退の可能性を正しく予想する一方で、景気後退期間を短く見積もりがちであると論じられている。そして月例経済報告における政府判断で景気後退と判断すると、ほぼ同時期に政策発動がなされていることがわかるが、これは「景気後退を認めることが何らかの対応をしなければいけないことを意味する」という認識につながり、景気後退の認定を遅らせるのではないかという懸念が示されている。
 最後に1990年代の経済停滞期において景気循環に構造変化が生じたのか否かという点だが、渡部論文「日本の景気循環の構造変化」はこの点について計量分析がなされている。結果は、日本の景気循環には、過去25年間において構造変化点が2箇所あり、構造変化の時期は1991年8月と2004年8月である可能性が最も高い、というものである。

4.需要サイドと供給サイド、そして「失われた20年」
 以上、深尾氏の序に即して個々の論文について纏めたが、バブル崩壊が生じ、それが「失われた10年」となり、2000年代の不十分な回復、そして現在の不況という現状からは、需要サイド・供給サイド双方の視点にたった分析が改めて必要であろう。私自身は長期停滞をもたらした要因は需要サイドにあり、かつ貨幣的現象が影響していると考えている。これは長期停滞の原因仮説としては少数派に属すると認識している。
長期停滞が10年、20年と続くことで需要サイドの停滞が供給サイドの停滞に結びつき、相互依存的に作用するという状況は、現下の不況を乗り越えるための早期の必要かつ十分な経済政策の実行とあわせて供給能力の拡大を阻害する要因の除去が求められる局面にあることを示唆していると言えるだろう。

2010年3月15日月曜日

月例経済報告(平成22年3月)

 本日公表された月例経済報告(平成22年3月)では、従来からの生産の改善に続き、機械受注統計や景気動向指数でも改善の兆候が現れていることで、先月(2月)と比較して更に一歩景気持ち直しの傾向が進んだことが記載されている。一方でリスク要因もあり、それは海外景気の下振れ懸念や、デフレの影響、雇用情勢の悪化懸念が未だ続くというものである。基本的な目線はこれまでと変わらないように思える。
 総論についてざっとみると、「景気は着実に持ち直してきているが、自律性は弱く、失業率が高水準にあるなど厳しい状況にある」とのことだ。持ち直しの兆候にあるのは、輸出、生産、個人消費である。企業の業況判断は厳しい状況にあるものの、生産・輸出の回復が進んでいることから持ち直しの動きガ進んでいる。しかし、大企業と中小企業では判断に格差が見られる。
 先行きについては海外経済の改善・緊急経済対策の効果を背景にして持ち直し傾向が続いている。今後を見るためのポイントとしては言うまでも無く、消費と輸出の二つの動きをどう見るかに依るだろう。消費については政策効果がどのような形で発現していくかが検討を要するポイントだ。そして、デフレから脱却するための具体的な政策対応も必要である。ただし、政府と日銀の政策対応は十分ではないことが気がかりだ。

中村宗悦「「高橋財政」に対する新聞論調-『東京朝日新聞』社説の分析-」

 歴史科学協議会編集の『歴史評論』3月号の特集は、「1929年世界恐慌と日本社会」と題されている。井上財政の失敗と高橋財政の成功については、これを「歴史の教訓」として肯定的に捉える論調と、恐慌から戦争に至る過渡期として捉える論調の二つがあり得るだろう。前者はエコノミストが好んで用いる論調であり、後者は日本経済史のテキストで語られる論調である。
 勿論二つの論調の相違と断絶をどう捉えるかという論点はあるが、この特集では、世界恐慌前後期における経済政策やこれに対する日本社会の反応を多面的に解釈することで、複雑な社会背景を浮かび上がらせようということを意図している。本特集では6編の論文が収録されているが、以下では、その中で中村宗悦氏の論文を感想を交えながら簡単に取り上げてみたい。ご興味のある方は(門外漢の誤解等も十分あり得ると思うので)是非取り寄せてお読み頂ければ幸いである。
 中村論文では、東京朝日新聞の社説を丹念にたどることで、金輸出再禁止から馬場財政への転換までの時代の経済政策に対する公衆の反応がどのようなものであったかを明らかにしている。
 岩田規久男編『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社)に納められた論文(「金解禁をめぐる新聞メディアの論調」)では、『東京朝日新聞』と熾烈な購読者競争を繰り広げていた『大阪毎日新聞』の論調を取り上げて、メディアの論調と政策との関係が考察されていた。内容を簡単に要約すれば、a)金解禁に関する経済学者・エコノミストの論考は殆ど見当たらなかった、b)一方で金解禁に関する解説記事は頻繁に見られた、c)金解禁から金輸出再禁止に至る期間では、新聞の明確な論調の転換はなく、寧ろ一貫して産業合理化や不良債権処理の断行を旨とする井上財政の清算主義に親和的な論調であった、d)1932年以降に高橋財政が本格化しはじめても、新聞はリフレ政策による景気回復を「空景気」として警戒感を弱めていないが、明確な金融政策の転換が進み景気回復が本格化するとともに、「空景気」とする論調は影をひそめていく、ということだろう。
 掲題の論文は、発行部数が若干多い『東京朝日新聞』を取り上げつつ、金輸出再禁止、赤字公債の引受け、5.15事件、公債漸減主義の採用、2.26事件、馬場財政といった6つの政策転換において『東京朝日新聞』の論調がどのように変化していったのかという点が分析されている。順次見ていくことにしよう。

1.金輸出再禁止前後
まず、「金輸出再禁止」直後の1931年12月~32年3月までの論調については、金輸出再禁止の決定(1931年12月13日)と、犬養内閣による「新内閣の予算方針」(1931年12月18日)に対する反応が対象となる。金輸出再禁止が決定された翌日の社説は、金本位制を「国内及び国際間の貸借関係を公正なものにするための唯一の制度」として、眼前の苦痛、つまり昭和恐慌の苦難を緩和するために撤廃することは好ましくない、と論じている。また、「新内閣の予算方針」については、増税や緊縮財政の緩和については賛意を示すものの、公債の増加の可能性には批判的で、さらに公債の増加によりインフレが進むことについても批判的であった。そして金輸出再禁止による為替の下落に際して「対外信用を失墜せしめ、為替を惨落させ、円貨の価値を暴落させ、それによりて国内産業を振興せしめようとすること程不堅実な方策はない」と痛切に批判している。さらにインフレに対する懸念も述べられている。例えば「大多数の国民は収入の増加なく、購買力の増進ないのに物価の急落、従つて生ずる生活苦の増進に脅威されている」とある。


2.日銀の赤字公債引き受け

 次の局面は高橋が日銀による赤字公債引受策を表明した1932年3月8日の局面である。この時期の論調は、インフレ政策が財界の利益となることを評価しつつも、それが一時的な人気取りを人為的な形で引き起こす政策で、放漫財政の旗振り役として機能することを恐れるというものであった。つまり、デフレかつ不況に陥っていたという現状において、インフレを伴う財政赤字の拡大を懸念し、「空虚な景気論に迷わされることなく、財政悪化を阻止して立て直しをはかるべき」との論調である。
 このデフレ下での赤字公債発行を伴うインフレ政策への批判は、思うように景気が回復しない当時の状況とハイパーインフレへの懸念とが結びつくことで、インフレをコントロールすることの不可能性を指摘する事に繋がる。以上のように、日銀の赤字公債引受策が発表された当初では、1.の清算主義的な論調の影響も相まって、ハイパーインフレと放漫財政への懸念が表明されていたのである。

3.5.15事件と公債漸減主義への転換
 5.15事件以降に成立した斎藤内閣から公債漸減主義への転換が図られていくまでのこの時期は、高橋財政により着々と政策が実行され、インフレと実体経済の回復が進んだ時期であった。1933年4月にアメリカが本格的なインフレ政策へと転換すると、新聞の論調が「インフレ政策」に対して親和性を持つものに変わっていく。しかし、この「インフレ政策」の効果は一時的で、以下のような根本的な日本経済の問題を解決するものではないと捉えられた。
 中村論文では、当時新聞が認識していた日本経済の5つの問題点を指摘する。一つ目は赤字公債の発行の中での軍事費の膨張についての懸念である。二つ目は、増発された公債の市中消化能力の限界と増税の必要性についてである。三つ目はインフレについての懸念である。つまり、インフレが進むことで財政上の悪影響が生じることを懸念していた。四つ目は財政支出と公債発行そのものが問題の根本であるとの認識である。五つ目は、為替についてである。貿易が好調に推移したのは為替の急低下によると新聞は指摘していたが、一方でこの貿易の拡大の原因は満州への輸出拡大といった貿易構造の変化にも依ると指摘していたことである。
だが、高橋蔵相が赤字公債漸減を明らかにすると、新聞は高橋の表明に賛意を示すことになる。更に遠慮がちに述べられていた増税策についても明確な肯定が表明されるようになり、財界の一部で増税の余力が生じているとの指摘もなされるようになった。
 1935年初の社説では、1934年の経済状況を総括して、不測の災害を蒙った農村方面の窮迫といった状況は生じたものの、日銀の国債引き受けと低金利の平準化、為替の低位安定に基づく輸出の好調、軍需品及び輸出関係事業の活況を評価している。また1935年半ば以降の局面では一時的な景気後退はあるものの、その影響は軽微であるという観測であった。1936年後半においては、高橋が進める赤字漸減政策について新聞の論調は好意的である。だが、一方で軍部をはじめとする圧力も存在しており、健全財政主義を時代遅れと言いふらす論者も少なくないという情勢であった。

4.2.26事件以後から馬場財政まで
 そして1936年2月に2.26事件が生じる。これにより高橋は暗殺され、日本の針路は転換点を迎えることになる。高橋財政に対する新聞の評価は以下のようなものである。つまり、「中心は公債価格の維持によるインフレーションのコントロールであり、4年間に渡ってインフレーションを操作するにあたって、さすがの高橋も健全財政の建前まで退却せざるを得なかった、しかもこの政策も根本においては行き詰まりという状態にあった」というものである。そして今後の財政政策に関しては、高橋財政での健全財政を一歩進めなければ、名人芸により支えられた金融及び為替の安定は不可能であるというのである。
 馬場財政においては「庶政一新」、「国民の生活安定」がスローガンとして掲げられた。新聞は馬場財政の増税路線と積極財政主義への転換を好意的に捉えたものであったが、公債増発による拡大予算が軍部の要求を呑む形で成立すると、新聞の論調も準戦闘態勢へと転じていくことになるのである。

5.なぜ失敗から学べないのか
 以上駆け足で中村論文の内容をまとめてみた。内容を読むと、当時と現在の新聞の論調が似通っている点に改めて驚く。
 例えば、1.のくだり、つまり、安易な増税は現下の不況下では好ましくないとしながらも、一方で財政出動の為の赤字国債の発行には批判的で、インフレが生じた場合に当初生じうる実質所得の低下に対する懸念が表明されるといったところは現在の新聞論調と同じである。
 そして、『昭和恐慌の研究』で納められている論文の論点のd)が『東京朝日新聞』の社説においても確認される。つまり、金輸出再禁止後においても新聞の論調は変わらず、「インフレによる景気刺激が有効ならば、世の中に不景気打倒ほど容易なものはない」という議論である。この点も、現在の停滞を様々な構造的要因に求め、インフレなどといった小手先の対策では容易に解決しないという一部識者の議論をトレースしている。結局80年経っても何も変わってはいないのである。
 奇しくも現在、デフレが深刻化するとともに財源確保がうまく進まないこともあって、鳩山政権の周囲では消費税増税議論がにわかに生じている。菅副総理は昨年の勝間氏とのヒアリングで「そんな簡単にいくのか」とインフレ・ターゲティング政策への懸念を表明した。これらの点を念頭に読むと、まさに当時の『東京朝日新聞』の論調と現代のマスコミや政策担当者の認識との間に共通点を見出すことができる。
 もう一つ論点がある。新聞は当時「庶政一新」、「国民の生活安定」をスローガンとした馬場財政を好意的に捉えた。この二つのスローガンは民主党が政権を奪取した際のスローガンと類似してはいないだろうか。馬場財政は増税と積極財政という二つの政策を旨としていた。現在において確認できるのは、「国民の生活第一」という旗印の元で予定されている「子ども手当」といった積極的な財政政策であり、一方で無駄な予算の削減は思うように進まず、経済の停滞も相まって増税が議論されるという状況である。
 勿論、現代は今と違い軍事費の膨張が際限無き財政膨張を生み出すことはないだろう。しかし政局の混乱の中で、なし崩し的に増税と歳出拡大という道に進んでいくのではないかという懸念も拭えない。我々は80年前の失敗から脱することは不可能なのだろうか。成功の経験から学ぶことはできないのか、そんな感想をもってしまうこの頃である。

2010年3月12日金曜日

はじめに

ブログを初めてみることにしました。経済の話題を中心に書こうと思っていますが、コツコツやってみようと思います。週に一回は更新することを目指していますがはたしてどうなることやら。