2009年8月の歴史的とも言える民主党の衆院選勝利から早10ヶ月。鳩山政権は『新しい優先順位に基づいて、すべての予算を組み替え、子育て・教育、年金・医療、地域主権、雇用・経済に、税金を集中的に使います』と謳ったマニフェストを携えて臨んだものの、国民の期待に沿うことはかなわずに鳩山・小沢両氏の退陣という形で崩壊した。
非自民政権という意味では、2009年8月の経験が最初ではないことは周知のとおりだ。一つ前の非自民政権は、16年前の夏、1993年8月に成立した。現政権の主要なプレイヤーである鳩山氏や小沢氏も政権の中枢で活躍した、細川政権である。
突然の「小鳩退陣」から1週間と経っていない訳だが、細川政権の成立と挫折の記録から果たして鳩山氏や小沢氏は何を学んだのだろうか。何も学んでいなかったのか。政権の類似点は何か、そして相違点は何なのか。
そんなことを考えている折に、本書は刊行された。本書は、1993年8月9日から1994年4月28日まで総理大臣の地位に在った細川護煕氏による日記に、当時様々な形で政権を支えた人々の回想や伊集院氏による当時の状況説明を交えた回顧録である。
なぜこの時期に公刊となったのか。恐らくは細川氏自らが一翼を担った政界再編の現時点の到達点である、民主党による政権成立に際して自らの経験と反省を伝えたかったに相違ない。もしかすると、先に書いた小沢氏と鳩山氏の動静に忸怩たる思いがあったのかもしれない。
細川氏の思いが奈辺にあるかは別にしても、この時期に本書が公刊されたことは自分にとっては非常に有益だった。本書の大部分は日付(と天気)、その日に関連した人との邂逅、そして何を行ったかが簡潔に記載された記録であり、それ自体は無味乾燥な代物である。しかし読み進めるうちに、無味乾燥な毎日の記録が重層的に幾重にも連なりつつ政治が進むという当然の事実に気づく。そして、随所に挿入された状況説明が、圧倒的な情報量に翻弄される読者の「碇」として作用し、大まかな流れを感得させる助けにもなった。
たった8ヶ月余りの時間だが、毎日の日記から把握できる情報量は圧倒的だ。それは、民主党政権とは異なる8党派の寄せ集めという連立政権が、当時の課題であった政治改革法案、ウルグアイ・ラウンド、円高の進行と実体経済、日米通商問題、国民福祉税構想の頓挫といった税制改革、といった難題に果敢に挑んだという事実と「寄せ集め世帯」から連想されるキーパーソン間の人間模様、そして細川氏を支える人々の思いといった事実に依る。
8ヶ月という期間を考慮すれば、年内成立という公約は果たせなかったものの、抵抗勢力・国会での執拗な駆け引きにもめげず政治改革法案を成立させたことや、ウルグアイ・ラウンドに伴うコメ自由化を決着させたことは細川政権の誇るべき成果だ。二つの政策の成立にあたっては、原理原則に拘り執拗に抵抗した社会党という記述も普天間問題における社民党の抵抗と重なり興味深い。だが当時の社会党が離脱という形を取らずに思いとどまったのは、政治改革の断行という8党派を支えた共通の理念があったからなのだろう。翻って鳩山政権における国民新党、社民党の姿はどうか。連立を支える共通の理念、直面する政策課題への認識は同じものと言えたのか。連立離脱という事実からすればそうとは言えまい。
だが、年が開けて1994年1月に政治改革法案が成ったあたりから、政権を支える武村官房長官(当時)と連立のキーパーソンであった小沢氏との対立が深刻化していく。そして痛恨事となった94年2月の国民福祉税をめぐるゴタゴタである。国民福祉税については細川氏が述べるように、政治改革法案やウルグアイ・ラウンド対策といった重要課題の中で、検討・進行を党や大蔵省事務次官(当時)の斎藤次郎氏に委ねた事、税制というナイーブな課題の最終決定を首相一任という手続きのみで進めようとし、十分に議論を尽くさなかった拙速さといった反省点も増税議論が隆盛を極める昨今では注目に値するだろう。
関連して、鳩山政権が「政治家主導」の名の下で財務省を有効利用する事ができず、更に菅新総理の増税発言が財務省の影響の一端である事を念頭におけば、国民福祉税の伏線として大蔵省が主張した「増減税ワンセット論」(所得税の特別減税と消費税増税の一体的実施)や政策スケジュールの明示への不快感を細川氏が綴っている点も興味深い。結局のところ日米首脳会談を94年2月に控えた局面で、93年8月から94年1月まで政治改革法案やウルグアイ・ラウンドにかかりきりとなってしまい、必要な経済対策及び税制に関する議論が十分でなかった事が影響した。
事務方としての官僚の役割という意味では、ウルグアイ・ラウンド交渉における外務・農水省の細川氏のサポートが有効に働いた一方で、税制では大蔵省、対外関係では通産省による影響が、税制・日米通商問題において細川政権に不利に働いたという側面は見逃せない。税制については先に見た通りだが、通商問題においては、通産省主体の交渉が当時の日本に対する過大な要求に繋がる一因になったのではないか。勿論、当時の米国側の国内事情も重視すべき側面だが、本書の中で指摘されているように過大な円高が東アジア諸国の円借款の過大負担に繋がる側面もあり、他にも交渉の余地はあったのではないかと思うのである。
こう書くことで官僚の非を責めるのではない。寧ろ当時手薄であった経済問題や対外交渉こそ、各国務大臣が首相をサポートしつつ事務方を使いこなすことが出来なかったのかということを言いたいのである。ちなみに当時の大蔵大臣は鳩山政権の財務大臣でもあった藤井氏。鳩山政権と財務省の関係や円高の進行といった共通点を見るにつけ、失敗が認識されていたのかという疑問が浮かぶのである。
8党派による奇跡的な連立の結末は、一つの共通目標の終焉とともに、内部抗争という形で瓦解していく。それは細川政権当初からの懸念材料であった武村氏の認識と小沢氏の認識にズレがあったことが発端である。自民党と気脈を通じていた武村氏の軽率な行動は、自民党から離反した小沢氏との確執を生む。首相を補佐する官房長官が首相の足を引っ張るという構図が政権の寿命を縮める一因になるという状況は、鳩山政権における平野官房長官の迷走ぶりと重なる。そして本書の記述から度々漏れ聞こえる「一点突破」は剛腕小沢を連想させる。内閣改造がさきがけ・社会党の反発により頓挫する中で、自民党のYKK、渡辺美智雄氏との連立の可能性といった点も、現在の民主党政権のその後を垣間見させるようで興味深い。
先に書いたとおり、細川政権以降、非自民連立の動きは紆余曲折を経て民主党の成立へと結実していく。更に、官邸機能の強化は橋本政権で形が整えられ、小泉政権でその真価が発揮されるのは周知の通りだ。現政権に何らかの形で携わった人々の中では未だに現役である人間も居るし、そうでない人間も居る。小鳩政権が「二重構造」に堕してしまったのは、当時別組織に属していた二人が同じ党に属した事によるものか、違う要因に基づくのか、等々興味は尽きない。
時を超えて細川政権を経験した人々が中枢に座った鳩山政権がなぜ挫折したのか、そんなことが読後の余韻として残った次第である。本書の巻末で記載されている細川氏へのインタビューの最後の箇所、「リーダーは『何がやれるか』ではなく『何をやるか』を考えなければ駄目だ。」という言葉は、民主党のマニフェストとして引用した「新しい優先順位に基づいて、すべての予算を組み替え、子育て・教育、年金・医療、地域主権、雇用・経済に、税金を集中的に使います」という言葉と重なると感じるのは自分だけだろうか。そして、細川氏が語る「(『何をやるか』に加えて)必要なのは人材集めであり、登用する人材は専門家である必要は全くない。やることは断固としてやるという私心のある人が5,6人いたら、大抵のことができる。・・・中略・・・国中を探せば逸材がどこかに必ずいると思いますよ」という言葉こそ、政策の当否はさて置いて、民主党政権に期待されていることなのではないかと思うのである。
おそらく本書の読後感は読み手にとって様々だろう。ただ本書のような500頁を超える本を読了した重みは又格別であったことを銘記せずにおれない事だけは述べておきたい。
2010年6月10日木曜日
2010年6月8日火曜日
菅首相就任会見雑感
本日夕方、菅首相は就任にあたり記者会見を行った。マニフェストと現実との狭間で、やるべき事とやるべきでない事、出来る事と出来ない事の区別すらつかず、政策実行に必要な調整や周囲の補佐を欠いて自滅した鳩山政権の事はもう言うまい。昨年8月に政権を奪取した民主党にとっても、日本経済にとってもまさに正念場である。菅首相は国民の期待に応えることができるのか、果たしてそうでないのか。
会見では、まず菅首相自らの認識が語られる。曰く、政治の役割は最小不幸の社会をつくることである。曰く、「失われた20年」の経済停滞、社会の閉塞感を脱し日本を元気の良い国にするために、日本経済・財政・社会保障を立て直す必要がある。そして、この停滞の背景には20年間の政治のリーダーシップのなさがあるという。
私も首相の指摘する認識には同意見だ。経済成長は政府が行うものではない。しかしバブル崩壊以降の長期停滞には、適切な政策が早期に取れなかった政治家・官僚の失敗と政治のリーダーシップの無さが大きく影響している。菅首相のこの認識を聞く限りは期待が持てる。
しかし、「財政の立て直しも、まさに経済を成長させる上での必須の要件だと考えている」という首相の発言を聞くと、やはり民主党政権は期待が持てないとの不安がよぎる。確かに経済成長、財政、社会保障を一体として強くしていく事は必要かつ重要な点だが、残念な事にこの三つの要素を一体として強くすることは困難だ。「二兎を追うものは一兎をも得ず」というが、眼前の困難と国民の期待に焦るあまり、まず何に手を付けるべきかについての認識が、失礼ながら首相には不足しているのではないか。
首相の言うように、財政を立て直す事で経済成長は達成できるのだろうか。財政赤字を削減するために増税を行えば、国内需要に抑制圧力がはたらくのは必定だ。国内需要が抑制されれば税収は減少し、さらなる財政赤字の穴埋めのために増税を行えば経済成長どころではなくなってしまう。
増税手段として俎上に上がるのが消費税増税である。消費税増税の実体経済への影響は、国民からの増税を社会保障等の形で再度還元すれば中立であり、もしかするとプラスの効果があるとの主張がなされることがある。しかし再度還元するのならば財政悪化は抑制されず、高齢化の進展に伴って増税が断続的になされる状態になるのは明らかだろう。
消費税増税は住宅や半耐久消費財に対しての消費抑制効果を持っており、これらが在庫投資の拡大を通じて投資低迷に影響する。消費税5%の導入は97年第2四半期だが、消費税導入以降に経済指標が好転したとして、97年第3四半期、第4四半期の民間消費支出が前期比プラスであったことが指摘される。しかし統計データから民間消費支出の内訳を見ると半耐久財の消費は消費税導入時の97年第2四半期以降マイナスが続いており、97年第4四半期には耐久財も前期比マイナスとなった。
消費税の影響については97年末以降に実体経済の悪化が本格化した事から、アジア通貨危機や国内の金融不安が主因であるという指摘もある。勿論これらの現象が実体経済の悪化を後押ししたのは事実だろう。だが、そのことで消費税の実体経済のマイナス効果が無いことにはならないことに注意すべきだ。
現状では景気は回復過程にあるものの、自律的な経済成長を遂げているとは言い難い状況である。それは10年第1四半期の実質GDPの水準がリーマン・ショック時の水準を回復していないことからも明らかだろう。そして、現在の実質GDPの回復の要因の一つとして挙げられる消費の回復は耐久財消費の増加によるものである点も忘れるべきではないだろう。現状で消費税増税を行えば、97年時点よりもドラスティクな形で半耐久財消費減少、耐久財消費減少、更に住宅投資減少という形で効果が波及する可能性もあり得るのではないか。
勿論、財政の立て直しは重要だ。だが政府が行うべきことは消費税増税の前にいくつもある。例えば税・社会保障に関する共通番号制の導入・整備に基づく徴税力の向上や、所得階層の違いに着目した増減税の仕組み、給付付き税額控除制度の早期導入、高所得者層への課税といった政策はより効率的に税収を確保するのみならず、経済悪化に対する財政政策の効力を高める上でも必要だ。これらの制度整備は粛々と進めることが出来るはずだ。
財政悪化の状況は深刻だが、「悪化」と「破綻」は意味が異なる。そして財政破綻に対する直接的なシグナルが出ている訳ではない。財政への信認が必要であれば、マニフェストに掲げられた歳出削減策を進めつつ、以上の政策を行うことで対処すべきである。
さて先程「二兎を追うものは一兎をも得ず」と述べたが、まず菅政権は三つの好循環のために何から手を付けるべきなのか。それは経済成長であり、更に言えばデフレからの脱却だ。「失われた20年」に一貫して作用したのは物価の停滞(デフレ)であり、長きに渡るデフレ予想が先行きの不安感を生み、実体経済を萎縮させている。経済成長には成長戦略という認識が首相にはお有りのようだが、新規事業への萎縮にはデフレ期待による将来への悲観が作用しており、急速な経済成長を進めるアジアに十分にキャッチアップ出来ない大きな要因の一つとして、不十分な金融政策の結果である持続的な円高が作用しているという点にこそ着目すべきだ。
どの産業に進出すべきか、そのことでどういう社会を目指していくのかという点をビジョンとして掲げるのは一つの見識なのかもしれない。但し、それが特定産業への個別の政策介入となれば話は別だ。経済成長を担うのは民間であって政府ではない。そして自由な個人の自由な発想の結果として生まれるイノベーションが経済成長の源泉であるのなら、政府が可能なのは個人が思いきり力を発揮するための環境整備なのである。つまり、最小不幸の社会をつくるためには、デフレから脱却する政策を行うことが必要なのである。
菅政権には不安要素が多い。まず指摘すべきは政権の要である官房長官に仙谷氏が、党の要である政調会長に枝野氏が選ばれたことだ。両者は共に財政再建に意欲的で、ややもすると日本経済そのものを「事業仕分け」という名の停滞に導きかねない。枝野氏は「金利引き上げで景気回復」という暴論を過去唱えていた。一昔前では「円高で内需拡大」という暴論も台頭していた民主党の体質を考慮すると、経済認識の欠如が国を誤らせる可能性も十二分にある。そして、菅首相以外のほとんどの閣僚が温存されているという点も気に掛かる。「小沢外し」は意思決定プロセスの一元化には寄与したのかもしれない。だが、問題は現下の状況に対して適切な政策がなされることであって、一元化により誤った政策が行われるとしたら元も子もないのだ。
一年も立たずにコロコロと政権が交代する状況では、長期政権への期待は持ちづらいのが現状である。政治のリーダーシップを発揮し、最小不幸の社会を築き上げるために、自らの政権で何をなすべきか、あれもこれもではなく、一事に全力を尽くして欲しい。その一事は真に国民の利益となるものであるべきだ。この点を承知することこそが菅首相、更に民主党、惹いては国民の明暗を分けることになるのだろう。
会見では、まず菅首相自らの認識が語られる。曰く、政治の役割は最小不幸の社会をつくることである。曰く、「失われた20年」の経済停滞、社会の閉塞感を脱し日本を元気の良い国にするために、日本経済・財政・社会保障を立て直す必要がある。そして、この停滞の背景には20年間の政治のリーダーシップのなさがあるという。
私も首相の指摘する認識には同意見だ。経済成長は政府が行うものではない。しかしバブル崩壊以降の長期停滞には、適切な政策が早期に取れなかった政治家・官僚の失敗と政治のリーダーシップの無さが大きく影響している。菅首相のこの認識を聞く限りは期待が持てる。
しかし、「財政の立て直しも、まさに経済を成長させる上での必須の要件だと考えている」という首相の発言を聞くと、やはり民主党政権は期待が持てないとの不安がよぎる。確かに経済成長、財政、社会保障を一体として強くしていく事は必要かつ重要な点だが、残念な事にこの三つの要素を一体として強くすることは困難だ。「二兎を追うものは一兎をも得ず」というが、眼前の困難と国民の期待に焦るあまり、まず何に手を付けるべきかについての認識が、失礼ながら首相には不足しているのではないか。
首相の言うように、財政を立て直す事で経済成長は達成できるのだろうか。財政赤字を削減するために増税を行えば、国内需要に抑制圧力がはたらくのは必定だ。国内需要が抑制されれば税収は減少し、さらなる財政赤字の穴埋めのために増税を行えば経済成長どころではなくなってしまう。
増税手段として俎上に上がるのが消費税増税である。消費税増税の実体経済への影響は、国民からの増税を社会保障等の形で再度還元すれば中立であり、もしかするとプラスの効果があるとの主張がなされることがある。しかし再度還元するのならば財政悪化は抑制されず、高齢化の進展に伴って増税が断続的になされる状態になるのは明らかだろう。
消費税増税は住宅や半耐久消費財に対しての消費抑制効果を持っており、これらが在庫投資の拡大を通じて投資低迷に影響する。消費税5%の導入は97年第2四半期だが、消費税導入以降に経済指標が好転したとして、97年第3四半期、第4四半期の民間消費支出が前期比プラスであったことが指摘される。しかし統計データから民間消費支出の内訳を見ると半耐久財の消費は消費税導入時の97年第2四半期以降マイナスが続いており、97年第4四半期には耐久財も前期比マイナスとなった。
消費税の影響については97年末以降に実体経済の悪化が本格化した事から、アジア通貨危機や国内の金融不安が主因であるという指摘もある。勿論これらの現象が実体経済の悪化を後押ししたのは事実だろう。だが、そのことで消費税の実体経済のマイナス効果が無いことにはならないことに注意すべきだ。
現状では景気は回復過程にあるものの、自律的な経済成長を遂げているとは言い難い状況である。それは10年第1四半期の実質GDPの水準がリーマン・ショック時の水準を回復していないことからも明らかだろう。そして、現在の実質GDPの回復の要因の一つとして挙げられる消費の回復は耐久財消費の増加によるものである点も忘れるべきではないだろう。現状で消費税増税を行えば、97年時点よりもドラスティクな形で半耐久財消費減少、耐久財消費減少、更に住宅投資減少という形で効果が波及する可能性もあり得るのではないか。
勿論、財政の立て直しは重要だ。だが政府が行うべきことは消費税増税の前にいくつもある。例えば税・社会保障に関する共通番号制の導入・整備に基づく徴税力の向上や、所得階層の違いに着目した増減税の仕組み、給付付き税額控除制度の早期導入、高所得者層への課税といった政策はより効率的に税収を確保するのみならず、経済悪化に対する財政政策の効力を高める上でも必要だ。これらの制度整備は粛々と進めることが出来るはずだ。
財政悪化の状況は深刻だが、「悪化」と「破綻」は意味が異なる。そして財政破綻に対する直接的なシグナルが出ている訳ではない。財政への信認が必要であれば、マニフェストに掲げられた歳出削減策を進めつつ、以上の政策を行うことで対処すべきである。
さて先程「二兎を追うものは一兎をも得ず」と述べたが、まず菅政権は三つの好循環のために何から手を付けるべきなのか。それは経済成長であり、更に言えばデフレからの脱却だ。「失われた20年」に一貫して作用したのは物価の停滞(デフレ)であり、長きに渡るデフレ予想が先行きの不安感を生み、実体経済を萎縮させている。経済成長には成長戦略という認識が首相にはお有りのようだが、新規事業への萎縮にはデフレ期待による将来への悲観が作用しており、急速な経済成長を進めるアジアに十分にキャッチアップ出来ない大きな要因の一つとして、不十分な金融政策の結果である持続的な円高が作用しているという点にこそ着目すべきだ。
どの産業に進出すべきか、そのことでどういう社会を目指していくのかという点をビジョンとして掲げるのは一つの見識なのかもしれない。但し、それが特定産業への個別の政策介入となれば話は別だ。経済成長を担うのは民間であって政府ではない。そして自由な個人の自由な発想の結果として生まれるイノベーションが経済成長の源泉であるのなら、政府が可能なのは個人が思いきり力を発揮するための環境整備なのである。つまり、最小不幸の社会をつくるためには、デフレから脱却する政策を行うことが必要なのである。
菅政権には不安要素が多い。まず指摘すべきは政権の要である官房長官に仙谷氏が、党の要である政調会長に枝野氏が選ばれたことだ。両者は共に財政再建に意欲的で、ややもすると日本経済そのものを「事業仕分け」という名の停滞に導きかねない。枝野氏は「金利引き上げで景気回復」という暴論を過去唱えていた。一昔前では「円高で内需拡大」という暴論も台頭していた民主党の体質を考慮すると、経済認識の欠如が国を誤らせる可能性も十二分にある。そして、菅首相以外のほとんどの閣僚が温存されているという点も気に掛かる。「小沢外し」は意思決定プロセスの一元化には寄与したのかもしれない。だが、問題は現下の状況に対して適切な政策がなされることであって、一元化により誤った政策が行われるとしたら元も子もないのだ。
一年も立たずにコロコロと政権が交代する状況では、長期政権への期待は持ちづらいのが現状である。政治のリーダーシップを発揮し、最小不幸の社会を築き上げるために、自らの政権で何をなすべきか、あれもこれもではなく、一事に全力を尽くして欲しい。その一事は真に国民の利益となるものであるべきだ。この点を承知することこそが菅首相、更に民主党、惹いては国民の明暗を分けることになるのだろう。
2010年6月1日火曜日
「合理的期待学派」について
不均衡分析の荒野に足を踏み入れると、勢い「合理的期待」と「均衡概念」との関係が気になってくる。毎回寄り道で恐縮だが、今回は伊藤隆敏『不均衡の経済分析』(東洋経済)の補論(いわゆる「合理的期待学派」について)にヒントを得ながら整理してみる。
主に整理する点は、以下の点である。つまり、「合理的期待学派」の主要な結論(政策の無効性や不必要性)は、寧ろ「均衡」の仮定の必然的帰結であり、「合理的期待学派」という呼名はミスリードで、「均衡学派」もしくは「新しい古典派マクロ経済学派」と呼ぶべきであること、ということだ。あわせて均衡と不均衡の含意についても少しふれてみよう。
1.「合理的期待」について
古典的なサージェント=ウォレスの論文では、合理的期待と自然失業率仮説を組み合わせたモデルに基づいて、経済政策が実物経済には影響を与えないというショッキングな結論が導かれている。この含意は、ケインズ派のモデルによる政策の有効性が、民間の期待形成の遅れ(ラグ)にのみ依存しているが、このような状況では、政策が民間の期待を裏切らない限りは有効ではないということを意味する。
以上の点は、サージェント自身の発言からもわかる。つまり「合理的期待理論がすべての政策が無力だと主張しているというのは正しくない。正しいのは、政策が影響を与えるメカニズムが期待の誤りしか存在しないようなモデルでは、論理的帰結として、いつも人々の期待を欺かないかぎり、政策はシステマティックな効力を発揮しないということである」ということだ。
では、ケインズ派のモデルの含意である不均衡の存在が「期待形成の遅れ」以外の理由で生じるとしたらどうだろうか。ニューケインジアンモデルは合理的期待の枠組みに基づきながら、政策の有効性を説明している。まさに「合理的期待」と「政策の有効性」とは無縁の概念なのである。
そうすると、「合理的期待学派」とは何者かという疑問が生じるのももっともな所だろう。サージェント=ウォレスにおける合理的期待を含んだフィリップス曲線の議論では、現実の失業率の自然失業率からの乖離は、時間の経過に伴って縮小していくと想定されている。だが、自然失業率と失業率の乖離が持続すると仮定した場合には、合理的期待を含んだフィリップス曲線の議論は成立せず、ひいては景気循環を説明できないことになる。
よって、これらの批判に呼応するかのように、ルーカスらの「均衡景気循環論」が登場することになった。ここでは、市場均衡が「仮定」として想定され、撹乱要因に対する市場の自律作用に対する信頼がある。一方、市場の自律作用に限界があるとの見方もある。つまり、市場を構成する様々な主体の需給情報の調整が、市場の価格(相対価格)情報のみでは不十分であると考える人々である。これが「ケインズ派」もしくは「不均衡派」となるのは言うまでもないだろう。
2.ルーカス批判と計量モデル
ケインズ型の大規模マクロ計量モデルに対する批判としては、「ルーカス批判」があることは周知の通りだ。これは、モデル式の中にある構造方程式のパラメータは政策ルールの変更により変化してしまうために無効であり、理論的根拠がないという批判である。この「ルーカス批判」に対処するため、政策ルールの変化に対しても不変であるような根本的係数(deep parameter)を推定しようという試みが進められたのは自然の流れだろう。そして、現代的な枠組み(DSGEモデル)においても踏襲されている訳である。
ただ、一方で「ルーカス批判」が理論的に正しいとしても、ケインズ型の大規模マクロ計量モデルも少なからず生き残っているというのも実状である。なぜそうなのか?最も大きな要因は、様々な詳細な制度的要因や要素を考慮する際に現状のDSGEモデルに基づくモデル分析は進化途上という現状だろう。他には、政策ルール変更が頻繁には生じないこと、仮にルール変更が生じたとしてもそれを民間が認知し信用する際にはタイムラグも発生するため、従来型の構造方程式のパラメータが緩やかにしか変化しない可能性があること、ミクロ的基礎付けを有するモデルの定式化が現実との対応において好ましいものかどうかといった論点もあり得るだろう。
ケインズ型の大規模計量モデルに対する批判としては、シムズの多変量自己回帰モデルに基づくものもある。これは誘導型に基づくマクロ経済の記述・予測に力を入れるものだが、当時の「合理的期待学派」や「マネタリズム」、「ルーカス批判」とはケインズ派批判の文脈では一致するものの、方法論ははっきりと異なるという点は確認しておくべきだろう。
3.「均衡」学派から見た「不均衡」学派
さて、伊藤隆敏『不均衡の経済分析』(東洋経済)の補論(いわゆる「合理的期待学派」について)の中で最も興味深かったのは、「均衡」学派による「不均衡」の仮定への批判と、バロー・グロスマンの「転向」についての話題である。
ご存知のとおり、バローとグロスマンは、労働、消費財、および貨幣の3財を想定した貨幣経済を前提とした上で不均衡モデルの構築を行っている。このモデルの内容や含意も追々紹介したいところだが、彼らは不均衡派から新しい古典派マクロ経済学へと転向を果たしている。
「転向者」からの不均衡批判は次のようなものだ。バローは「不均衡モデルの十代な問題点は、需要や供給の一致を無視していることにある・・・・・相互に有利な取引機会を機械的に残してしまうことで、不均衡アプローチは政策介入を非常に簡単に正当化してしまう」と述べる。そしてグロスマンは「不均衡分析は予想される取引からの利益(gains from trade)を実現することに失敗しているので最大化仮説に違反している」と言う。更にバローやグロスマンを改宗させたルーカスは、均衡景気循環論の特徴は「描写が経済学的に訳のわからない「不均衡」ではなく、経済学的に理解のできる代替効果に基づいている」と論じる。
こういった改宗者や教祖による「均衡派」からの批判に対する「不均衡派」の伊藤氏の反批判はこうだ。「取引からの利益」は市場の競売人による価格調整の誤りに基づくものであり、最大化仮説に基づく分権的競争市場では外生的に受け取るのは価格情報のみで、潜在的取引相手が欲する需給に関する情報は得られない。たとえ「競売人」が存在して、模索課程の想定をおいたとしても、需給の法則で均衡価格を発見(つまり予想される取引から利益を得尽くす)する機会は限られている。まして「競売人」のいない世界で「取引の利益」を利用しつくす保証はどこにもないのである。そして、「不均衡」の仮定は、競売人の居ない市場で、「取引をしながらの学習」が行われる際には非常にもっともな仮定で、けっして「取引機会を機械的に残す」ものでも「経済的にわけのわからない」ものでもない。
伊藤氏は続けて「むしろ均衡の仮定こそが「取引機会を機械的にとり尽くしてしまう」ということができるのではなかろうか」と続けるが、お読みの方がどう考えるかはその人次第なのかもしれない。但し、「不均衡」を認めることで、市場の価格調整機能に重きをおかなくなれば、新たな地平-無機質な交換媒介ではなく貨幣の持つ魔力そのもの-に一歩足を踏み入れることは確実である。そしてそれこそが、ケインズの問題意識を真に理解することにも繋がるし、かつ現代においても必要な事なのではないかと思うのである。
主に整理する点は、以下の点である。つまり、「合理的期待学派」の主要な結論(政策の無効性や不必要性)は、寧ろ「均衡」の仮定の必然的帰結であり、「合理的期待学派」という呼名はミスリードで、「均衡学派」もしくは「新しい古典派マクロ経済学派」と呼ぶべきであること、ということだ。あわせて均衡と不均衡の含意についても少しふれてみよう。
1.「合理的期待」について
古典的なサージェント=ウォレスの論文では、合理的期待と自然失業率仮説を組み合わせたモデルに基づいて、経済政策が実物経済には影響を与えないというショッキングな結論が導かれている。この含意は、ケインズ派のモデルによる政策の有効性が、民間の期待形成の遅れ(ラグ)にのみ依存しているが、このような状況では、政策が民間の期待を裏切らない限りは有効ではないということを意味する。
以上の点は、サージェント自身の発言からもわかる。つまり「合理的期待理論がすべての政策が無力だと主張しているというのは正しくない。正しいのは、政策が影響を与えるメカニズムが期待の誤りしか存在しないようなモデルでは、論理的帰結として、いつも人々の期待を欺かないかぎり、政策はシステマティックな効力を発揮しないということである」ということだ。
では、ケインズ派のモデルの含意である不均衡の存在が「期待形成の遅れ」以外の理由で生じるとしたらどうだろうか。ニューケインジアンモデルは合理的期待の枠組みに基づきながら、政策の有効性を説明している。まさに「合理的期待」と「政策の有効性」とは無縁の概念なのである。
そうすると、「合理的期待学派」とは何者かという疑問が生じるのももっともな所だろう。サージェント=ウォレスにおける合理的期待を含んだフィリップス曲線の議論では、現実の失業率の自然失業率からの乖離は、時間の経過に伴って縮小していくと想定されている。だが、自然失業率と失業率の乖離が持続すると仮定した場合には、合理的期待を含んだフィリップス曲線の議論は成立せず、ひいては景気循環を説明できないことになる。
よって、これらの批判に呼応するかのように、ルーカスらの「均衡景気循環論」が登場することになった。ここでは、市場均衡が「仮定」として想定され、撹乱要因に対する市場の自律作用に対する信頼がある。一方、市場の自律作用に限界があるとの見方もある。つまり、市場を構成する様々な主体の需給情報の調整が、市場の価格(相対価格)情報のみでは不十分であると考える人々である。これが「ケインズ派」もしくは「不均衡派」となるのは言うまでもないだろう。
2.ルーカス批判と計量モデル
ケインズ型の大規模マクロ計量モデルに対する批判としては、「ルーカス批判」があることは周知の通りだ。これは、モデル式の中にある構造方程式のパラメータは政策ルールの変更により変化してしまうために無効であり、理論的根拠がないという批判である。この「ルーカス批判」に対処するため、政策ルールの変化に対しても不変であるような根本的係数(deep parameter)を推定しようという試みが進められたのは自然の流れだろう。そして、現代的な枠組み(DSGEモデル)においても踏襲されている訳である。
ただ、一方で「ルーカス批判」が理論的に正しいとしても、ケインズ型の大規模マクロ計量モデルも少なからず生き残っているというのも実状である。なぜそうなのか?最も大きな要因は、様々な詳細な制度的要因や要素を考慮する際に現状のDSGEモデルに基づくモデル分析は進化途上という現状だろう。他には、政策ルール変更が頻繁には生じないこと、仮にルール変更が生じたとしてもそれを民間が認知し信用する際にはタイムラグも発生するため、従来型の構造方程式のパラメータが緩やかにしか変化しない可能性があること、ミクロ的基礎付けを有するモデルの定式化が現実との対応において好ましいものかどうかといった論点もあり得るだろう。
ケインズ型の大規模計量モデルに対する批判としては、シムズの多変量自己回帰モデルに基づくものもある。これは誘導型に基づくマクロ経済の記述・予測に力を入れるものだが、当時の「合理的期待学派」や「マネタリズム」、「ルーカス批判」とはケインズ派批判の文脈では一致するものの、方法論ははっきりと異なるという点は確認しておくべきだろう。
3.「均衡」学派から見た「不均衡」学派
さて、伊藤隆敏『不均衡の経済分析』(東洋経済)の補論(いわゆる「合理的期待学派」について)の中で最も興味深かったのは、「均衡」学派による「不均衡」の仮定への批判と、バロー・グロスマンの「転向」についての話題である。
ご存知のとおり、バローとグロスマンは、労働、消費財、および貨幣の3財を想定した貨幣経済を前提とした上で不均衡モデルの構築を行っている。このモデルの内容や含意も追々紹介したいところだが、彼らは不均衡派から新しい古典派マクロ経済学へと転向を果たしている。
「転向者」からの不均衡批判は次のようなものだ。バローは「不均衡モデルの十代な問題点は、需要や供給の一致を無視していることにある・・・・・相互に有利な取引機会を機械的に残してしまうことで、不均衡アプローチは政策介入を非常に簡単に正当化してしまう」と述べる。そしてグロスマンは「不均衡分析は予想される取引からの利益(gains from trade)を実現することに失敗しているので最大化仮説に違反している」と言う。更にバローやグロスマンを改宗させたルーカスは、均衡景気循環論の特徴は「描写が経済学的に訳のわからない「不均衡」ではなく、経済学的に理解のできる代替効果に基づいている」と論じる。
こういった改宗者や教祖による「均衡派」からの批判に対する「不均衡派」の伊藤氏の反批判はこうだ。「取引からの利益」は市場の競売人による価格調整の誤りに基づくものであり、最大化仮説に基づく分権的競争市場では外生的に受け取るのは価格情報のみで、潜在的取引相手が欲する需給に関する情報は得られない。たとえ「競売人」が存在して、模索課程の想定をおいたとしても、需給の法則で均衡価格を発見(つまり予想される取引から利益を得尽くす)する機会は限られている。まして「競売人」のいない世界で「取引の利益」を利用しつくす保証はどこにもないのである。そして、「不均衡」の仮定は、競売人の居ない市場で、「取引をしながらの学習」が行われる際には非常にもっともな仮定で、けっして「取引機会を機械的に残す」ものでも「経済的にわけのわからない」ものでもない。
伊藤氏は続けて「むしろ均衡の仮定こそが「取引機会を機械的にとり尽くしてしまう」ということができるのではなかろうか」と続けるが、お読みの方がどう考えるかはその人次第なのかもしれない。但し、「不均衡」を認めることで、市場の価格調整機能に重きをおかなくなれば、新たな地平-無機質な交換媒介ではなく貨幣の持つ魔力そのもの-に一歩足を踏み入れることは確実である。そしてそれこそが、ケインズの問題意識を真に理解することにも繋がるし、かつ現代においても必要な事なのではないかと思うのである。
2010年5月26日水曜日
「ケインズの経済学」とは何か?(その1)
現実経済は貨幣経済であり、我が国の長期停滞を考える場合に貨幣的現象が大きく影響しているのであれば、貨幣経済に正面から取り組んだケインズ自身の著作を再検討することが必要だろう。そして「ケインズの経済学」以後のマクロ経済学の潮流は、一般均衡理論の中における「貨幣」の位置づけを巡って展開しているようにも思われるのである。New KeynesianモデルがRBCモデルに硬直性を付加したものという見方は、まさに以下で見るケインジアンの反革命が繰り返し現れていると見ることもできるのではないだろうか。
以下では、小手調べに花輪俊哉監修『ケインズ経済学の再評価』の中から花輪俊哉氏による簡潔なまとめ(序:ケインズ経済学の再評価をめぐって)の印象に残った部分を纏めてみることにしよう。
1.異端の書『一般理論』
・ケインズの経済学が正当化される課程で、ケインジアンの経済学が確立されたが、そこでは次第にケインズの革新性が薄れてきたと思われる。
・政策面では、「不況の経済学」として不況克服に効力を発揮したケインズの経済学も、インフレ期に入ると、その政策の有効性に疑問が提示されることになった。新古典派総合といった混合経済観もケインズの経済学の革新性を薄めた。
・正統派の目でケインズの理論を見た当初は、それは異端的に見えた。しかし、それを正統派の立場で矛盾なく解釈しようとする試みは、究極のところ、ケインズの理論の本質をも見失わせることになってしまうだろう。それこそケインジアンの反革命の姿である。
・ケインズの理論は正統派理論を批判するというよりも、むしろそれを拡充し、完成させるものと考えられるのである。
2.ケインジアンの反革命
・ケインズの理論の中に正統派理論を包摂することが是認されるには、ケインズ理論の中に新しいパン種が含まれていなければならない。新しいパン種とは、資本主義経済が、すぐれて貨幣経済的性格を持っているという認識である。
・正統派古典派モデルの場合は、実物市場はその枠内で均衡し、貨幣は実物市場に何ら影響を与えず、相対価格が決定される。貨幣市場では相対価格が何ら関係せずに、貨幣量所与の下で物価水準が定まる。
・ケインジアンのモデル(IS-LM)は固定価格の想定が入っており、貨幣経済論として不十分であるだけでなく、ケインジアンによる反革命を示すものと見なされるようになった。結局、ケインズの理論は正統派の部分理論と解されることになった。つまり、ケインズの理論は正統派の「特殊ケース」として位置づけられるものの、現実経済の説明力が優れていることによって評価されるという主張である。
3.マネタリストの反革命
・ケインジアンの反革命は、ケインズの主張を正統派の理論的フレームワークで解釈しようとした結果生じたものである。この反革命は意図的なものではなかった。
・しかしマネタリストの反革命は意図的なものであり、反革命は「フィスカリストかマネタリストか」、「裁量かルールか」といった形でなされているが、本質的な対立は、貨幣の供給方式による。
・ケインジアンは自由裁量、マネタリストはルールに基づく形で、貨幣を供給する。この背景には、ケインジアンは実物経済秩序は本質的に不安定と認識する一方で、マネタリストは貨幣的撹乱さえなければ、実物経済秩序は本質的に安定的であるというビジョンの違いである。
・マネタリストが貨幣として重視したのは現金通貨だが、ケインズやケインジアンは、銀行の創造する銀行貨幣が重視されるべきものと考えた。銀行行動の重要性は無視出来ない要因だろう。
4.貨幣と貨幣経済
・IS-LM分析が貨幣経済の分析として不十分ではないかという疑いは古くからあった。つまり、貨幣経済における不均衡状態では、期間中の総期待支出がその期間における総所得に等しい必要はなく、貨幣需要関数は所得の関数というよりは、寧ろ期間中における計画的消費支出及び投資支出の関数とすべきと主張されているのである。
・IS-LMモデルでは、期待収益の増加によりIS曲線がシフトしたとしても、LM曲線はシフトしない。金融動機モデルは、IS曲線のシフトはLM曲線をシフトさせることになる。こうして金融動機モデルは、IS-LMモデルと同様に、貨幣部門と実物部門を二分できないと考えているのである。
・以上はP・デビッドソンの分析だが、クラウワーやレィヨンフーヴッドの分析はよりミクロ理論的アプローチであった。彼らは、ケインズの経済学を「貨幣は商品を買い、商品は貨幣を買う。しかし商品は商品を買わない」という貨幣経済の理論としてとらえた。そして、彼らは観念的需要と有効需要とを区別し、有効需要の問題は不均衡状態において意義を持つこと、またここでの貨幣の機能は、まさに不確実性下における交換手段としての貨幣の機能であり、情報コストがゼロと考えているワルラス的一般均衡と区別されなければならないと考えた。
・ワルラスの模索課程の理論では、競売人が想定され、需給一致がなされない限りは取引が成立せず、不均衡価格に対応する需要量は観念的な世界での出来事とされている。しかし、観念的な世界は現実世界ではない。
・現実の世界では不均衡下でも取引が行われるのであり、そのような競売人は存在しない。競売人の存在を否定すると、均衡価格情報を市場参加者に伝えるという情報面における障害が存在する不確実な社会を想定することになり、そこにおいてまさに貨幣経済の特色が見られると考えられるようになった。なぜなら、「貨幣の重要性は、本質的にそれが現在と将来とを結ぶ連結環であることから生じる」からである。
5.所得制約と合成の誤謬
・クラウワーやレィヨンフーヴッドの分析は、ケインズ理論を貨幣経済の理論として見直すことを強調するのみならず、所得制約(「二重決定仮説」)を重視するところに特色がある。
・ケインジアンの反革命においては、ケインズ理論は賃金・価格の硬直性を課程した一般均衡理論と考えられたのだが、クラウワーやレィヨンフーヴッドは、本来のケインズ理論では賃金・価格の硬直性は政策的勧告であって行動仮説ではないと主張する。ここに価格調整型経済から数量調整型経済への転換が見られた。
・数量調整型経済といっても、賃金・価格の硬直性という厳格な仮定は必要ではなく、即時的価格調整という古典派の厳格な仮定をやめることで十分とされる。そして「制限された価格調整速度」の説明として、独占や労働組合の団結といった制度的制約をもってくる必要はなく、「情報伝達機能を有した競売人の存在を否定すること」が指摘される。以上から、所得制約(「二重決定仮説」)は、貨幣経済と密接に関連していることがわかる。
・所得制約の重視は有効需要理論の意味を明確にさせたのだが、ケインズ理論における制約はこうした種類だけではない。「合成の誤謬」への言及からも明らかだが、個別的合理性が必ずしも社会全体での合理性に繋がらないという認識は、一つの社会的制約の存在を示しており、かつ従来の一般均衡理論とは大きく異なるところである。
・よって、ケインズの経済学の再評価は有効需要の再評価のみならず、「合成の誤謬」にみられるような社会的制約の分析まで拡充されなければならないだろう。この点で、クラウワーやレィヨンフーヴッドの分析は不十分である。
・さらに、クラウワーやレィヨンフーヴッドの分析は、労働市場における所得制約の分析に留まっていた。還元すれば労働市場における需要不足が財市場における需要を制約するのである。一方、パティンキンの不均衡分析では財市場における需要不足が労働市場における需要を制約するケースが分析されていた。バローとグロスマンは、両者のモデルを統合することで、不均衡分析の一般化を図ったが、そこでは在庫調節による需給調整が適切に論じられているとは考えられない。
・ケインズの経済学におけるストック調整は、主に金融資産について行われた。金融資産の累積が進むにつれて、証券価格の変化(利子率の変化)はキャピタルゲインやロスを生じさせるおそれがでてくる。よって、ケインズ理論は貨幣経済理論を超えて金融経済の理論となっていると考えられる。
以下では、小手調べに花輪俊哉監修『ケインズ経済学の再評価』の中から花輪俊哉氏による簡潔なまとめ(序:ケインズ経済学の再評価をめぐって)の印象に残った部分を纏めてみることにしよう。
1.異端の書『一般理論』
・ケインズの経済学が正当化される課程で、ケインジアンの経済学が確立されたが、そこでは次第にケインズの革新性が薄れてきたと思われる。
・政策面では、「不況の経済学」として不況克服に効力を発揮したケインズの経済学も、インフレ期に入ると、その政策の有効性に疑問が提示されることになった。新古典派総合といった混合経済観もケインズの経済学の革新性を薄めた。
・正統派の目でケインズの理論を見た当初は、それは異端的に見えた。しかし、それを正統派の立場で矛盾なく解釈しようとする試みは、究極のところ、ケインズの理論の本質をも見失わせることになってしまうだろう。それこそケインジアンの反革命の姿である。
・ケインズの理論は正統派理論を批判するというよりも、むしろそれを拡充し、完成させるものと考えられるのである。
2.ケインジアンの反革命
・ケインズの理論の中に正統派理論を包摂することが是認されるには、ケインズ理論の中に新しいパン種が含まれていなければならない。新しいパン種とは、資本主義経済が、すぐれて貨幣経済的性格を持っているという認識である。
・正統派古典派モデルの場合は、実物市場はその枠内で均衡し、貨幣は実物市場に何ら影響を与えず、相対価格が決定される。貨幣市場では相対価格が何ら関係せずに、貨幣量所与の下で物価水準が定まる。
・ケインジアンのモデル(IS-LM)は固定価格の想定が入っており、貨幣経済論として不十分であるだけでなく、ケインジアンによる反革命を示すものと見なされるようになった。結局、ケインズの理論は正統派の部分理論と解されることになった。つまり、ケインズの理論は正統派の「特殊ケース」として位置づけられるものの、現実経済の説明力が優れていることによって評価されるという主張である。
3.マネタリストの反革命
・ケインジアンの反革命は、ケインズの主張を正統派の理論的フレームワークで解釈しようとした結果生じたものである。この反革命は意図的なものではなかった。
・しかしマネタリストの反革命は意図的なものであり、反革命は「フィスカリストかマネタリストか」、「裁量かルールか」といった形でなされているが、本質的な対立は、貨幣の供給方式による。
・ケインジアンは自由裁量、マネタリストはルールに基づく形で、貨幣を供給する。この背景には、ケインジアンは実物経済秩序は本質的に不安定と認識する一方で、マネタリストは貨幣的撹乱さえなければ、実物経済秩序は本質的に安定的であるというビジョンの違いである。
・マネタリストが貨幣として重視したのは現金通貨だが、ケインズやケインジアンは、銀行の創造する銀行貨幣が重視されるべきものと考えた。銀行行動の重要性は無視出来ない要因だろう。
4.貨幣と貨幣経済
・IS-LM分析が貨幣経済の分析として不十分ではないかという疑いは古くからあった。つまり、貨幣経済における不均衡状態では、期間中の総期待支出がその期間における総所得に等しい必要はなく、貨幣需要関数は所得の関数というよりは、寧ろ期間中における計画的消費支出及び投資支出の関数とすべきと主張されているのである。
・IS-LMモデルでは、期待収益の増加によりIS曲線がシフトしたとしても、LM曲線はシフトしない。金融動機モデルは、IS曲線のシフトはLM曲線をシフトさせることになる。こうして金融動機モデルは、IS-LMモデルと同様に、貨幣部門と実物部門を二分できないと考えているのである。
・以上はP・デビッドソンの分析だが、クラウワーやレィヨンフーヴッドの分析はよりミクロ理論的アプローチであった。彼らは、ケインズの経済学を「貨幣は商品を買い、商品は貨幣を買う。しかし商品は商品を買わない」という貨幣経済の理論としてとらえた。そして、彼らは観念的需要と有効需要とを区別し、有効需要の問題は不均衡状態において意義を持つこと、またここでの貨幣の機能は、まさに不確実性下における交換手段としての貨幣の機能であり、情報コストがゼロと考えているワルラス的一般均衡と区別されなければならないと考えた。
・ワルラスの模索課程の理論では、競売人が想定され、需給一致がなされない限りは取引が成立せず、不均衡価格に対応する需要量は観念的な世界での出来事とされている。しかし、観念的な世界は現実世界ではない。
・現実の世界では不均衡下でも取引が行われるのであり、そのような競売人は存在しない。競売人の存在を否定すると、均衡価格情報を市場参加者に伝えるという情報面における障害が存在する不確実な社会を想定することになり、そこにおいてまさに貨幣経済の特色が見られると考えられるようになった。なぜなら、「貨幣の重要性は、本質的にそれが現在と将来とを結ぶ連結環であることから生じる」からである。
5.所得制約と合成の誤謬
・クラウワーやレィヨンフーヴッドの分析は、ケインズ理論を貨幣経済の理論として見直すことを強調するのみならず、所得制約(「二重決定仮説」)を重視するところに特色がある。
・ケインジアンの反革命においては、ケインズ理論は賃金・価格の硬直性を課程した一般均衡理論と考えられたのだが、クラウワーやレィヨンフーヴッドは、本来のケインズ理論では賃金・価格の硬直性は政策的勧告であって行動仮説ではないと主張する。ここに価格調整型経済から数量調整型経済への転換が見られた。
・数量調整型経済といっても、賃金・価格の硬直性という厳格な仮定は必要ではなく、即時的価格調整という古典派の厳格な仮定をやめることで十分とされる。そして「制限された価格調整速度」の説明として、独占や労働組合の団結といった制度的制約をもってくる必要はなく、「情報伝達機能を有した競売人の存在を否定すること」が指摘される。以上から、所得制約(「二重決定仮説」)は、貨幣経済と密接に関連していることがわかる。
・所得制約の重視は有効需要理論の意味を明確にさせたのだが、ケインズ理論における制約はこうした種類だけではない。「合成の誤謬」への言及からも明らかだが、個別的合理性が必ずしも社会全体での合理性に繋がらないという認識は、一つの社会的制約の存在を示しており、かつ従来の一般均衡理論とは大きく異なるところである。
・よって、ケインズの経済学の再評価は有効需要の再評価のみならず、「合成の誤謬」にみられるような社会的制約の分析まで拡充されなければならないだろう。この点で、クラウワーやレィヨンフーヴッドの分析は不十分である。
・さらに、クラウワーやレィヨンフーヴッドの分析は、労働市場における所得制約の分析に留まっていた。還元すれば労働市場における需要不足が財市場における需要を制約するのである。一方、パティンキンの不均衡分析では財市場における需要不足が労働市場における需要を制約するケースが分析されていた。バローとグロスマンは、両者のモデルを統合することで、不均衡分析の一般化を図ったが、そこでは在庫調節による需給調整が適切に論じられているとは考えられない。
・ケインズの経済学におけるストック調整は、主に金融資産について行われた。金融資産の累積が進むにつれて、証券価格の変化(利子率の変化)はキャピタルゲインやロスを生じさせるおそれがでてくる。よって、ケインズ理論は貨幣経済理論を超えて金融経済の理論となっていると考えられる。
2010年5月17日月曜日
田中秀臣『デフレ不況 日本銀行の大罪』を読む
我が国がデフレに陥って早10年が経過した。「失われた20年」とも呼ばれる長期停滞に、このデフレが大きな影響を及ぼしていることは言を待たないだろう。本書は、デフレに最も大きな影響を与える金融政策、日本銀行について論じた書籍である。
まず一読して感じたのは、「デフレ」という現象と「デフレ」に決定的に影響を与える日本銀行について様々な視点から論じられていることだ。
第一章は「日銀理論」について手厳しい批判がなされる。デフレに最も影響を及ぼすのが日本銀行の金融政策であるにも関わらず、現下のデフレに責任が全く無いと主張する総裁、経済危機やデフレに関する当事者意識のなさ、政府によるデフレ宣言以降の迷走、必要以上にバブルを懸念する政策スタンス、イエスマンが横行する組織、といった特徴が指摘される。
この日銀の金融政策は世界からはどのような眼で見られているのか。第二章は日銀の金融政策について、バーナンキ、スティグリッツ、クルーグマンといった世界的な経済学者の処方箋を紹介しつつ批判を加えている。彼らのアドバイスは、インフレは起こすことが可能で、デフレから脱却するにはインフレ期待を起こすことが必要で、インフレ期待を起こすにはインフレ目標にコミットし、その目標が信認されることである。日銀は「インフレ目標」を超えた政策を行っていると自称しているが、未だデフレにある中で何を誇ることが可能なのだろうか。著者の言うとおり疑問は尽きない。第二章とあわせて第六章を読めば理解が深まるだろう。
第三章は歴史からの教訓、つまり昭和恐慌の経済政策を扱っている。1920年代の失われた10年の後に我が国を襲った昭和恐慌は、マイルドなデフレが続くという内的要因が世界大恐慌という外的要因も相まって当時の日本経済を深刻な不況に落としめたという意味で、現代の不況と共通点を持つ。昭和恐慌の経済政策の経験は、デフレ脱却には金融政策が有効で、特に深刻な不況においては財政政策と金融政策のポリシーミックスが有効である、そしてこれらの政策により人々の期待を変えることが必要であるということだろう。更に高橋財政における「政策レジームの転換」の経験は、現代日本において「デフレは構造問題」「資金重要がない中で日銀がいくら資金供給しても無駄」という「日銀理論」から、「デフレは日本銀行の責任で解決する問題」で、「断固としてデフレに立ち向かう」という能動的なレジームへの転換を意味するという指摘は至極真っ当である。そしてこの指摘や経験通りの政策こそが、第二章の経済学者の提言を活かしつつ、今回の金融危機において実際に各国が行ってきたことではないか。
第四章は、日本銀行、失敗の戦後史と題して、日本銀行の戦後史を敷衍している。70年代前半期の狂乱物価の経験と論争はインフレには原油価格の高騰ではなく、マネーの増大が影響することを確認させた。70年代後半からプラザ合意以前の日銀はマネーの伸びを指標として堅実な金融政策を行った金融政策の黄金期であると言えるだろう。この時期は安定成長期と呼ばれるが、プラザ合意以降の円高が日銀に過度な金融緩和を行わせることになる。そして、悪名高い「バブルつぶし」が行われる。当時の日銀の主張は、インフレに対処するための利上げというものだったが、当時のインフレ率は懸念すべき水準で無かったのは明らかだった。そして政策金利の引き下げは小出しになされ、ひいてはデフレ下のゼロ金利政策の突入と、その後の早すぎる解除という形で失敗が続く。
第五章は「構造改革主義」についてである。「構造改革主義」とは、我が国の経済低迷の主因を構造的問題によるものとし、経済停滞の解決を構造改革によって行うことを意図している。著者の言うとおり、自分も構造改革が02年以降の景気回復を成し遂げた訳ではないし、構造改革による潜在成長率上昇という指摘自体が誤りであると考えるためである。潜在成長率自体は政府がコントロールできないため、政策が効果をもたらすという判断は不可能だし、いくつかの実証研究を見る限り、構造改革によって潜在成長率は大きく向上してはいない。将来に関する潜在成長率の高まりの期待が現在の成長を促すという視点もあるだろう。但し当時の小泉政権での成果は十分なものではなかった。
そして、90年代以降常に同じ悩みを政府が抱えているように思うが、財政難の中で反対にさらされつつ、苦労して経済対策を行ったものの、効果は少なく、かつ民衆からバラマキと批判される始末である。なぜ金融政策の重要性に気がつかないのか、疑問に思うところだ。
第七章は「リフレ政策-デフレ不況の処方箋」と題して、包括的に政策メニューが提示された上で、様々な政策について議論がされている。これはリフレ政策について興味をもつ人にとっても(興味を持たない人にとっても)便利かつ有益だろう。勿論、「具体的手段がない」と発言する政策担当者にとっても有用である。著者が最後の箇所で述べるように、我が国の「失われた20年」を脱却するには、政治の力が必要だろう。それは、政策手段の迅速な選択においてもそうだろうし、日銀と政府との適切な強調を達成する上においても、日銀の失敗を認めさせ、断固としてデフレと立ち向かう組織へと変貌させるためにも必要だ。既に20年経った。いい加減もう動いても良いのではないかと本書を読んで感じるのである。
以上が本書を読んで印象に残った点である。さて、本書を読んで次に感じた特徴は、著述のわかりやすさだ。流れるように読めるので短時間で読めてしまうのだが、実はそれぞれの議論の奥は深い。本書を読んで当時色々議論したり考えたりしたことが蘇って良い読書体験をさせて頂いたが、関連して過去の議論が包括的に纏められている点も有用だろう。
以上、簡単に本書で印象に残った箇所にふれながら感想を書いてみた。「デフレ不況」の内実と処方箋について興味を持つ方は是非本書を手にとるべきである。デフレから脱するには、政府の力が必要だし、力を行使することも可能で、それを成さしめるのは民衆の力でもある。
この文言は5年前にも書いたことがある。「不可能だ」と安全な場所からニヒルに構えるのも結構だ。だが、デフレを容認し、政策の失敗を幾多の暴論と妄言で糊塗した挙句に、政策の失敗の結果である長期停滞を容認せよという理屈に本当に納得することができるのだろうか。私には無理である。
「異常」な政策の奥底には、常識や政策の当否で捉えられない人間・組織の行動が介在するものだ。著者があとがきで書いているように、政策の当否のみならず日本銀行を批判することの政治経済学的難しさや民主的な統制の失敗にまでクローズアップせざるをえない現実こそ、問題が深刻化している証左と捉えるべきだろう。
まず一読して感じたのは、「デフレ」という現象と「デフレ」に決定的に影響を与える日本銀行について様々な視点から論じられていることだ。
第一章は「日銀理論」について手厳しい批判がなされる。デフレに最も影響を及ぼすのが日本銀行の金融政策であるにも関わらず、現下のデフレに責任が全く無いと主張する総裁、経済危機やデフレに関する当事者意識のなさ、政府によるデフレ宣言以降の迷走、必要以上にバブルを懸念する政策スタンス、イエスマンが横行する組織、といった特徴が指摘される。
この日銀の金融政策は世界からはどのような眼で見られているのか。第二章は日銀の金融政策について、バーナンキ、スティグリッツ、クルーグマンといった世界的な経済学者の処方箋を紹介しつつ批判を加えている。彼らのアドバイスは、インフレは起こすことが可能で、デフレから脱却するにはインフレ期待を起こすことが必要で、インフレ期待を起こすにはインフレ目標にコミットし、その目標が信認されることである。日銀は「インフレ目標」を超えた政策を行っていると自称しているが、未だデフレにある中で何を誇ることが可能なのだろうか。著者の言うとおり疑問は尽きない。第二章とあわせて第六章を読めば理解が深まるだろう。
第三章は歴史からの教訓、つまり昭和恐慌の経済政策を扱っている。1920年代の失われた10年の後に我が国を襲った昭和恐慌は、マイルドなデフレが続くという内的要因が世界大恐慌という外的要因も相まって当時の日本経済を深刻な不況に落としめたという意味で、現代の不況と共通点を持つ。昭和恐慌の経済政策の経験は、デフレ脱却には金融政策が有効で、特に深刻な不況においては財政政策と金融政策のポリシーミックスが有効である、そしてこれらの政策により人々の期待を変えることが必要であるということだろう。更に高橋財政における「政策レジームの転換」の経験は、現代日本において「デフレは構造問題」「資金重要がない中で日銀がいくら資金供給しても無駄」という「日銀理論」から、「デフレは日本銀行の責任で解決する問題」で、「断固としてデフレに立ち向かう」という能動的なレジームへの転換を意味するという指摘は至極真っ当である。そしてこの指摘や経験通りの政策こそが、第二章の経済学者の提言を活かしつつ、今回の金融危機において実際に各国が行ってきたことではないか。
第四章は、日本銀行、失敗の戦後史と題して、日本銀行の戦後史を敷衍している。70年代前半期の狂乱物価の経験と論争はインフレには原油価格の高騰ではなく、マネーの増大が影響することを確認させた。70年代後半からプラザ合意以前の日銀はマネーの伸びを指標として堅実な金融政策を行った金融政策の黄金期であると言えるだろう。この時期は安定成長期と呼ばれるが、プラザ合意以降の円高が日銀に過度な金融緩和を行わせることになる。そして、悪名高い「バブルつぶし」が行われる。当時の日銀の主張は、インフレに対処するための利上げというものだったが、当時のインフレ率は懸念すべき水準で無かったのは明らかだった。そして政策金利の引き下げは小出しになされ、ひいてはデフレ下のゼロ金利政策の突入と、その後の早すぎる解除という形で失敗が続く。
第五章は「構造改革主義」についてである。「構造改革主義」とは、我が国の経済低迷の主因を構造的問題によるものとし、経済停滞の解決を構造改革によって行うことを意図している。著者の言うとおり、自分も構造改革が02年以降の景気回復を成し遂げた訳ではないし、構造改革による潜在成長率上昇という指摘自体が誤りであると考えるためである。潜在成長率自体は政府がコントロールできないため、政策が効果をもたらすという判断は不可能だし、いくつかの実証研究を見る限り、構造改革によって潜在成長率は大きく向上してはいない。将来に関する潜在成長率の高まりの期待が現在の成長を促すという視点もあるだろう。但し当時の小泉政権での成果は十分なものではなかった。
そして、90年代以降常に同じ悩みを政府が抱えているように思うが、財政難の中で反対にさらされつつ、苦労して経済対策を行ったものの、効果は少なく、かつ民衆からバラマキと批判される始末である。なぜ金融政策の重要性に気がつかないのか、疑問に思うところだ。
第七章は「リフレ政策-デフレ不況の処方箋」と題して、包括的に政策メニューが提示された上で、様々な政策について議論がされている。これはリフレ政策について興味をもつ人にとっても(興味を持たない人にとっても)便利かつ有益だろう。勿論、「具体的手段がない」と発言する政策担当者にとっても有用である。著者が最後の箇所で述べるように、我が国の「失われた20年」を脱却するには、政治の力が必要だろう。それは、政策手段の迅速な選択においてもそうだろうし、日銀と政府との適切な強調を達成する上においても、日銀の失敗を認めさせ、断固としてデフレと立ち向かう組織へと変貌させるためにも必要だ。既に20年経った。いい加減もう動いても良いのではないかと本書を読んで感じるのである。
以上が本書を読んで印象に残った点である。さて、本書を読んで次に感じた特徴は、著述のわかりやすさだ。流れるように読めるので短時間で読めてしまうのだが、実はそれぞれの議論の奥は深い。本書を読んで当時色々議論したり考えたりしたことが蘇って良い読書体験をさせて頂いたが、関連して過去の議論が包括的に纏められている点も有用だろう。
以上、簡単に本書で印象に残った箇所にふれながら感想を書いてみた。「デフレ不況」の内実と処方箋について興味を持つ方は是非本書を手にとるべきである。デフレから脱するには、政府の力が必要だし、力を行使することも可能で、それを成さしめるのは民衆の力でもある。
この文言は5年前にも書いたことがある。「不可能だ」と安全な場所からニヒルに構えるのも結構だ。だが、デフレを容認し、政策の失敗を幾多の暴論と妄言で糊塗した挙句に、政策の失敗の結果である長期停滞を容認せよという理屈に本当に納得することができるのだろうか。私には無理である。
「異常」な政策の奥底には、常識や政策の当否で捉えられない人間・組織の行動が介在するものだ。著者があとがきで書いているように、政策の当否のみならず日本銀行を批判することの政治経済学的難しさや民主的な統制の失敗にまでクローズアップせざるをえない現実こそ、問題が深刻化している証左と捉えるべきだろう。
2010年4月14日水曜日
岡田靖さんを悼む
岡田靖さんが書かれたインサイトコラムについてのエントリをサルベージしてみました。お会いした際に、「ブログで取り上げられたら止めるに止められないじゃないか(笑)」と照れくさそうに声をかけて頂いた事を思い出します。ご参考まで。
岡田靖「景気後退と資源高、両面の課題に直面するFRB」を読む。(2008年3月14日)
http://special.reuters.co.jp/contents/insight/index_article.html?storyID=2008-03-07T043007Z_01_TK0080185_RTRIDST_0_ZHAESMA06696.XMLから。
既にご案内のとおり、我が国の為替レートは円高が進み、1ドル=100円ラインを突破する勢いである。これは裏返せばドル安が進展していることを示しているが、昨今のドル安は原油といったエネルギーへの需要を高め、資源価格高騰の原因にもなっている。サブプライムローン問題の深刻化に伴う実態経済の悪化と資源価格高騰といった二つの難問を抱えるというのが米国経済の現状であるが、岡田論説は二つの難問に対してFRBとして何をすべきかを論じている。
1.「どっちつかずな対応」が「失われた十数年への扉」となる。
まず、論説の内容をざっとおさらいすることにしよう。FRBが操作可能な変数は政策金利であるFFレートである。現在抱えている問題は資源価格高騰と実態経済の悪化という二つであるため、一つの政策手段で二つの問題を解決することはできないわけだ。
以上の場合にどうしたらよいのだろうか。第一の選択肢は、問題の所在を曖昧にして、二つの問題(もしくはどちらか)が自然に解決するのを待つというものである。膨大な利益を積み上げてきた米国金融機関がサブプライムローン問題を何とか切り抜けることが出来るのかもしれない。又、資源価格高騰がバブルであるのならば、「バブルが弾けるまで待つ」というのも一つの考え方である。このような認識に立てば、FRBは問題の所在を認めつつ、わずかに金利を下げるという対応に出るのだろう。
しかし、第一の選択肢には悪しき先例があることも忘れてはならない。それはバブル崩壊が不況に転じた際の日銀の政策である。我が国の株価は90 年から暴落を開始したが、当時のインフレ率は3%を超えており、かつ湾岸戦争の影響から石油価格は上昇していた。景気循環日付では91年3月が景気のピークだったのだが、日銀は90年から91年にかけてコールレートを上げ続けたわけだ。そして日銀が明確な緩和政策を行ったのは、 92年4月に入ってからのことだった。
「失われた十数年」、特にバブル崩壊が始まった当初の日銀の金融政策が後で見ると不十分であった点は、例えば「世界的な対外不均衡の拡大、資源価格高騰と我が国のデフレ(その2)」のGDP デフレータの要因分解からマネーサプライの伸びが80年代後半と比較して90年代前半には大幅に低下したこと、そして、「世界的な対外不均衡の拡大、資源価格高騰と我が国のデフレ(その4)」で指摘したように、マネタリーベースの伸びが大きく減少したこと、という事実からも明らかである。
自分なりに岡田論説のポイントを整理すれば、このような引締め姿勢は後で見ると奇異なものに映るのだが、その行動の裏には、実態経済の悪化シグナルが出ているにも関わらず堅調なインフレ率や石油価格の高騰といった条件の中で「どっちつかずな行動」を日銀が採択してしまい、それが「失われた十数年」の扉を開けてしまったということなのである。
2.FRBの対応は「どっちつかずな対応」ではない。
では、このような視点に照らした際に、FRBの現在の対応はどのように評価できるのだろうか。まず着目すべきは、高めのインフレ率と景気後退のリスクという二つの状況に対して、景気後退リスクを重視するスタンスに踏み切っているという点だ。つまり、第二の視点である。これは断続的な利下げ、欧米中銀による市場への資金供給の発動といった政策からも明らかである。我が国の経験から考えると、現状は公的資金注入を行う段階にきているのではないかとも考えられるが、それは金融政策をつかさどるFRBの役割ではない。
周知のとおり、現下の米国経済を取り巻く環境は厳しいものであることは疑いない。消費統計にも黄信号が点りつつあり、景気後退が生じるか否かではなく、その期間と深刻度合いの判断が話題となっているところである。しかし、危機が顕在化したと認識されてからの米国の金融緩和は、バブル崩壊後数年間金融引締めを続けどっちつかずの姿勢をとってしまった我が国と比較すれば、十分に果断なものである。少なくとも「失われた十数年」という程の停滞が生じることはありえないだろう。
3.三月危機と日米経済
昨今、三月危機が囁かれるようになったが、金融緩和の一側面である通貨安(ドル安)と資源価格の高騰が同時に生じる現状は、問題収束への大きな関門であることは間違えない。但し、金融政策の効果が今後徐々に発現していくことを考慮に入れれば、その障害は株価の復帰、実態経済の改善、そしてドル高への復帰というルートを通じて克服されていくのだろう。
このように書くと、ドル安と資源価格高騰は米国経済にインフレ圧力をもたらしている可能性が高いのだから金融緩和は意味がないのでは、という議論もあるのかもしれない。しかしそれは誤りである。サブプライムローン問題とは、担保となる住宅価格の低下がサブプライムローンの延滞率を高め、それが証券価格を下落させ、ひいては投資家や金融機関の損失といった形で信用不安をもたらし、最終的に実態経済の悪化へと結びつくというものである。実態経済の悪化が懸念され、それが現実味を帯びている段階では金融緩和策をとることが必要かつ有効である。米国経済の強さが明確になれば、ドル安という状況は緩和されるだろう。そして原油価格は実需を反映した実勢水準に収束していくのだろう。
我が国の状況はどうだろうか。円高は輸出企業の業況を悪化させる。企業の損益分岐点は100円程度といわれているが、100円を割り込む水準での円高の進展は、確実にこれらの企業の業況を悪化させるだろう。輸出企業の多くは製造業かつ大企業であるが、円高の影響はこれらの企業に留まらず中小企業や他産業にも波及していき、結局はマクロベースの景況悪化に繋がっていく。そして資源価格高騰は実需の低下を伴いつつデフレ圧力として作用し、円高効果と相まって我が国の景況悪化に寄与することになるだろう。
危機を危機と認識し、その対応策を講じる準備が米国及び欧州においてなされている現状では、世界経済において三月危機が現実に生じるという根拠は薄い。寧ろ心配なのは我が国の政策対応である。サブプライムローン問題が顕在化し深刻化する過程の中で、現状維持路線を堅持するという選択は「どっちつかずな対応」である、といえるのではないだろうか。
岡田靖『世界的金融危機、日本の教訓は生かされているか』を読む(2008年10月22日)
ロイターインサイトコラムから。
今回の岡田さんの論説は、今回の金融危機に際して日本が踏んだ轍を FRBが踏んでしまった点について検討がなされている。詳細は御読みいただきたいが、一点目はリーマン・ブラザースの破綻処理、二点目はMMFと預金保険制度、三点目は安全性と効率性との兼ね合いをどう考えるかである。
リーマン・ブラザースの破綻というFRBが下した処置は、金融市場の機能麻痺をもたらし連鎖的な金融機関相互の貸し渋り、金融システム全体の危機を招くという教訓が生かされなかったわけである。個人的には岡田さんと同様、リーマン・ブラザーズを破綻させるという選択肢は取るべきではなかったと思うが、先のエントリでも書いたように、適度な「危機」を醸成することで、公的資金による資本注入策や不良債権の買取りといった安定化策に各国が協力してあたるための布石という捉え方もあるのかもしれない。しかしながらこのようなFRBにとって最大限の甘い評価は「危機」が終わってからするべき類の話だろう。
二点目はMMFの元本割れに関してFRBが預金保護の上限を25万ドルまで引き上げたという点である。そもそも自己責任の問題ともいえるMMFの元本割れだが、その被害額が許容できない水準となってしまえば家計への影響は大となり実体経済悪化の懸念から政策介入せざるをえなくなる。投資対象の規制によりリスクの高い資産への投資を抑制するのか、預金保護を引き上げるのかという点は自己責任と効率性の観点の折り合いという問題を提起することになるだろう。
そして三点目は安全性と効率性の問題である。論説中にも述べられているが、安全から金融自由化という効率性に舵を切った我が国は大停滞に陥り、今もなおその後遺症に苦しんでいるところである。
安全性と効率性に関して考えられる方向性は、一つは安全性に舵を切り、より一層間接金融と直接金融とが並存する方向を志向することだろう。但しこの場合には間接金融と直接金融がどの程度で折り合うべきかという論点が控えている。もう一つの方向性は、直接金融が主体であるという現状の金融システムを念頭に置きながらリスクをどう飼いならすかということである。これまでのバブル生成から崩壊の経験を念頭に置くかぎりは「リスクを飼いならす」ことは難しいが、リスクが顕在化した際にその痛みをどう最小化させ実体経済への拡散を抑えるかという点については方策があるのではと感じる。
重要な点はいかなるシステムを採用していくにせよ、世界のどこかに必ずリスクは存在するという点である。そして、このリスクは引き受け手を捜すことが困難だからこそ、多数の参加者による競争的かつ洗練された市場ではなく、相対でかつ格付け機関という外部情報に頼った値付けという前近代的な形での取引がなされていた。今般生じた危機は事後的に見れば明らかに高いリスクに皆が手を出し、そしてそのリスクが潜在的ではなく損失という具体的な形で広範に表面化したという点が特徴だろう。
事後的に見れば明らかに高いリスクの背景にあると考えられる要素は、その性格から世界に多大なる恩恵をもたらしたのも事実である。2002年以降から続いた世界経済の成長は2007年を一区切りとすれば5年間続いたわけである。昨年中ばから金融危機が始まったものとしてもまだ一年少しであり、実態経済の悪化が顕在化している期間はより短い。「山高ければ谷深し」の喩えに従えば、今後あと4年は実態経済の悪化を伴いつつ金融危機が続くともいえるが、今の所そのような事態が生じうる可能性は少ないと見るのが妥当ではないかとも思うのである。だとすれば、「バブルが悪」と即断し、その恩恵をみすみす溝に捨てるような仕組みの採用に舵を切るのではなく、「バブル」の理解を進めて上手く付き合う方法を考えた方が建設的ではないのだろうか。
岡田靖「目立つ輸出産業の急速な調整、懸念される危機感のギャップ」(インサイトコラム)を読む。(2009年1月9日)
今回の景気後退局面のような状況に直面するとやはり本物のエコノミストの意見を聞きたくなる。岡田さんは自分にとってそのようなエコノミストの一人だが、今回の分析も傾聴するに値するものだ。以下、簡単に紹介しつつ、いくつか自分目線で補足しながら論じてみることにしよう。
今回の岡田さんのコラムは現在進行中の景気後退が過去の景気後退局面と比較してどのような特徴を有しているのかをいくつかの経済指標から整理している。比較対象としての過去の景気後退局面は「バブル崩壊時」(91年2月~92年2月)、「97年危機」(97年3月~98年3月)である。今回の景気後退局面は岡田さんは2007年11月としているが、これは「イワタ流景気動向指数」(岩田規久雄『景気ってなんだろう』ちくまプリマー新書)からみても尤もである。図表1は景気の勢いを示すCIから先行指数を選択しその6ヶ月前比をとったものと景気が後退か拡大かの判断指標を意味するDIから一致指数を選択して内閣府景気循環局面と対応付けたものである。CIの動きは左目盛り、DIの動きは右目盛りである。図表からはDI一致指数が安定的に50%を下回り、かつCI先行指数6ヶ月前比がマイナスをつけ続ける状況になれば景気後退期に入ったと考えられるが、我が国の場合は07年第4四半期、大体11月あたりから景気後退局面に突入していることが示唆される。そして先の「バブル崩壊時」、「97年危機」も上の景気後退期の定義に当然当てはまっている。
図表1 CI及びDIからみた景気動向
出所:内閣府『景気動向指数』
以上の点を念頭に置きながら、コラムに記載されている過去の景気後退局面と比較した今回の景気後退局面の特徴のポイントを5つ挙げると以下のとおりとなる。
1.製造工業の生産指数は、ピーク時と比較して今回は13.3%の低下、97年危機は7.3%、バブル崩壊時は4%低下している。生産縮小ペースは今回が最悪である。
2.在庫水準をみると、ピーク時と比較して今回は4.3%の増加、97年危機は9.6%増加、バブル崩壊時は2.2%減少。在庫積みあがり度合いは97年危機ほどではない。
3.生産予測指数をみると12月は86.9(11月は94)。一段の生産の縮小が今後生じていくことを示唆している。今回の急激な生産調整を可能としているのが急速な雇用調整である。
4.非製造業で生じている被害は、今回景気後退局面は97年危機、バブル崩壊時と比較して軽微である。
5.今回の危機では製造業が急激な生産調整を進めているが、それが非製造業のウエートが高い大都市部で実感されるにはまだ時間がかかるだろう。
今般の景気後退局面の特徴が製造業を中心とした急激な生産調整に端を発しており、今後もこの傾向が持続されると見込まれるところがまず重要な点である。景気後退が広範に伝播していくかどうかを見るポイントは、製造業の深刻化がより進むか、そして非製造業への波及がどの程度進むかという点である。後者の点については、個人的には波及は進むと考えられる。理由の一つは雇用の動向である。
もう少し詳しくみていこう。図表2は手がかりとして景気動向指数に含まれる雇用関連指標の動きを纏めたものである。新規求人数は先行指数、所定外労働時間指数(製造業)は一致指数、常用雇用指数及び完全失業率は遅行指数となっている。新規求人数の動きは景気に先行し、所定外労働時間指数は景気と同時期、残りの二つの指標は景気に遅れて推移する。「イワタ流景気動向指数」の着想に従い、先行指数である新規求人数は対6ヶ月前比をとってみている。
図表2 景気動向指数に含まれる雇用関連指標の動き
出所:内閣府『景気動向指数』
これらの指標から「バブル崩壊時」、「97年危機」と比較した今回の景気後退局面の動向をみていくと、今回の景気後退局面では先行指数である新規求人数のマイナスが景気後退局面に入る以前から進んでいたことがわかり、そして落ち込みの度合いは「バブル崩壊時」、「97年危機」と比較して既に大きくなっていることが示唆される。そして一致指数である所定外労働時間指数の動きは「バブル崩壊時」、「97年危機」と比較して軽微であるもののマイナスに突入しており今後更に深刻化する可能性が高いこと、そして遅行指数である完全失業率、常用雇用指数の悪化は今後生じる可能性が高いことがみてとれるのである。
新規求人数がマイナスをつけている点が気になるが、これはどの産業において生じているのだろうか。厚生労働省「職業安定業務統計」から産業別新規求人数の変化(対前年同月比)を折れ線グラフ、産業別寄与度を棒グラフとして示したのが図表3である。「97年危機」の新規求人数の減少に大きく寄与していたのは製造業、建設業がメインであったのに対して、今回の景気後退局面で特徴的なのは圧倒的にサービス業のウエイトが高いという点である。規模別に比較するとこの新規求人数の減少は29人以下を中心とした小規模事業所において生じており、この点は「97年危機」と同様だが、今後一定のラグを伴いつつ、製造業の生産停滞がサービス業に波及することでサービス業において雇用削減の動きが本格化し、景気後退が広く実感されるようになる可能性が高いことを統計指標は示唆しているのである。以上のような認識に立ってみれば、生活不安除去のための対策といったものではなく、大規模な需要創出策を早めに発動させることが必要であることが理解できるだろう。
図表3 「97年危機」と今回の景気後退局面における新規求人数(含むパートタイム)の推移
出所:厚生労働省『職業安定業務統計』
岡田靖「景気後退と資源高、両面の課題に直面するFRB」を読む。(2008年3月14日)
http://special.reuters.co.jp/contents/insight/index_article.html?storyID=2008-03-07T043007Z_01_TK0080185_RTRIDST_0_ZHAESMA06696.XMLから。
既にご案内のとおり、我が国の為替レートは円高が進み、1ドル=100円ラインを突破する勢いである。これは裏返せばドル安が進展していることを示しているが、昨今のドル安は原油といったエネルギーへの需要を高め、資源価格高騰の原因にもなっている。サブプライムローン問題の深刻化に伴う実態経済の悪化と資源価格高騰といった二つの難問を抱えるというのが米国経済の現状であるが、岡田論説は二つの難問に対してFRBとして何をすべきかを論じている。
1.「どっちつかずな対応」が「失われた十数年への扉」となる。
まず、論説の内容をざっとおさらいすることにしよう。FRBが操作可能な変数は政策金利であるFFレートである。現在抱えている問題は資源価格高騰と実態経済の悪化という二つであるため、一つの政策手段で二つの問題を解決することはできないわけだ。
以上の場合にどうしたらよいのだろうか。第一の選択肢は、問題の所在を曖昧にして、二つの問題(もしくはどちらか)が自然に解決するのを待つというものである。膨大な利益を積み上げてきた米国金融機関がサブプライムローン問題を何とか切り抜けることが出来るのかもしれない。又、資源価格高騰がバブルであるのならば、「バブルが弾けるまで待つ」というのも一つの考え方である。このような認識に立てば、FRBは問題の所在を認めつつ、わずかに金利を下げるという対応に出るのだろう。
しかし、第一の選択肢には悪しき先例があることも忘れてはならない。それはバブル崩壊が不況に転じた際の日銀の政策である。我が国の株価は90 年から暴落を開始したが、当時のインフレ率は3%を超えており、かつ湾岸戦争の影響から石油価格は上昇していた。景気循環日付では91年3月が景気のピークだったのだが、日銀は90年から91年にかけてコールレートを上げ続けたわけだ。そして日銀が明確な緩和政策を行ったのは、 92年4月に入ってからのことだった。
「失われた十数年」、特にバブル崩壊が始まった当初の日銀の金融政策が後で見ると不十分であった点は、例えば「世界的な対外不均衡の拡大、資源価格高騰と我が国のデフレ(その2)」のGDP デフレータの要因分解からマネーサプライの伸びが80年代後半と比較して90年代前半には大幅に低下したこと、そして、「世界的な対外不均衡の拡大、資源価格高騰と我が国のデフレ(その4)」で指摘したように、マネタリーベースの伸びが大きく減少したこと、という事実からも明らかである。
自分なりに岡田論説のポイントを整理すれば、このような引締め姿勢は後で見ると奇異なものに映るのだが、その行動の裏には、実態経済の悪化シグナルが出ているにも関わらず堅調なインフレ率や石油価格の高騰といった条件の中で「どっちつかずな行動」を日銀が採択してしまい、それが「失われた十数年」の扉を開けてしまったということなのである。
2.FRBの対応は「どっちつかずな対応」ではない。
では、このような視点に照らした際に、FRBの現在の対応はどのように評価できるのだろうか。まず着目すべきは、高めのインフレ率と景気後退のリスクという二つの状況に対して、景気後退リスクを重視するスタンスに踏み切っているという点だ。つまり、第二の視点である。これは断続的な利下げ、欧米中銀による市場への資金供給の発動といった政策からも明らかである。我が国の経験から考えると、現状は公的資金注入を行う段階にきているのではないかとも考えられるが、それは金融政策をつかさどるFRBの役割ではない。
周知のとおり、現下の米国経済を取り巻く環境は厳しいものであることは疑いない。消費統計にも黄信号が点りつつあり、景気後退が生じるか否かではなく、その期間と深刻度合いの判断が話題となっているところである。しかし、危機が顕在化したと認識されてからの米国の金融緩和は、バブル崩壊後数年間金融引締めを続けどっちつかずの姿勢をとってしまった我が国と比較すれば、十分に果断なものである。少なくとも「失われた十数年」という程の停滞が生じることはありえないだろう。
3.三月危機と日米経済
昨今、三月危機が囁かれるようになったが、金融緩和の一側面である通貨安(ドル安)と資源価格の高騰が同時に生じる現状は、問題収束への大きな関門であることは間違えない。但し、金融政策の効果が今後徐々に発現していくことを考慮に入れれば、その障害は株価の復帰、実態経済の改善、そしてドル高への復帰というルートを通じて克服されていくのだろう。
このように書くと、ドル安と資源価格高騰は米国経済にインフレ圧力をもたらしている可能性が高いのだから金融緩和は意味がないのでは、という議論もあるのかもしれない。しかしそれは誤りである。サブプライムローン問題とは、担保となる住宅価格の低下がサブプライムローンの延滞率を高め、それが証券価格を下落させ、ひいては投資家や金融機関の損失といった形で信用不安をもたらし、最終的に実態経済の悪化へと結びつくというものである。実態経済の悪化が懸念され、それが現実味を帯びている段階では金融緩和策をとることが必要かつ有効である。米国経済の強さが明確になれば、ドル安という状況は緩和されるだろう。そして原油価格は実需を反映した実勢水準に収束していくのだろう。
我が国の状況はどうだろうか。円高は輸出企業の業況を悪化させる。企業の損益分岐点は100円程度といわれているが、100円を割り込む水準での円高の進展は、確実にこれらの企業の業況を悪化させるだろう。輸出企業の多くは製造業かつ大企業であるが、円高の影響はこれらの企業に留まらず中小企業や他産業にも波及していき、結局はマクロベースの景況悪化に繋がっていく。そして資源価格高騰は実需の低下を伴いつつデフレ圧力として作用し、円高効果と相まって我が国の景況悪化に寄与することになるだろう。
危機を危機と認識し、その対応策を講じる準備が米国及び欧州においてなされている現状では、世界経済において三月危機が現実に生じるという根拠は薄い。寧ろ心配なのは我が国の政策対応である。サブプライムローン問題が顕在化し深刻化する過程の中で、現状維持路線を堅持するという選択は「どっちつかずな対応」である、といえるのではないだろうか。
岡田靖『世界的金融危機、日本の教訓は生かされているか』を読む(2008年10月22日)
ロイターインサイトコラムから。
今回の岡田さんの論説は、今回の金融危機に際して日本が踏んだ轍を FRBが踏んでしまった点について検討がなされている。詳細は御読みいただきたいが、一点目はリーマン・ブラザースの破綻処理、二点目はMMFと預金保険制度、三点目は安全性と効率性との兼ね合いをどう考えるかである。
リーマン・ブラザースの破綻というFRBが下した処置は、金融市場の機能麻痺をもたらし連鎖的な金融機関相互の貸し渋り、金融システム全体の危機を招くという教訓が生かされなかったわけである。個人的には岡田さんと同様、リーマン・ブラザーズを破綻させるという選択肢は取るべきではなかったと思うが、先のエントリでも書いたように、適度な「危機」を醸成することで、公的資金による資本注入策や不良債権の買取りといった安定化策に各国が協力してあたるための布石という捉え方もあるのかもしれない。しかしながらこのようなFRBにとって最大限の甘い評価は「危機」が終わってからするべき類の話だろう。
二点目はMMFの元本割れに関してFRBが預金保護の上限を25万ドルまで引き上げたという点である。そもそも自己責任の問題ともいえるMMFの元本割れだが、その被害額が許容できない水準となってしまえば家計への影響は大となり実体経済悪化の懸念から政策介入せざるをえなくなる。投資対象の規制によりリスクの高い資産への投資を抑制するのか、預金保護を引き上げるのかという点は自己責任と効率性の観点の折り合いという問題を提起することになるだろう。
そして三点目は安全性と効率性の問題である。論説中にも述べられているが、安全から金融自由化という効率性に舵を切った我が国は大停滞に陥り、今もなおその後遺症に苦しんでいるところである。
安全性と効率性に関して考えられる方向性は、一つは安全性に舵を切り、より一層間接金融と直接金融とが並存する方向を志向することだろう。但しこの場合には間接金融と直接金融がどの程度で折り合うべきかという論点が控えている。もう一つの方向性は、直接金融が主体であるという現状の金融システムを念頭に置きながらリスクをどう飼いならすかということである。これまでのバブル生成から崩壊の経験を念頭に置くかぎりは「リスクを飼いならす」ことは難しいが、リスクが顕在化した際にその痛みをどう最小化させ実体経済への拡散を抑えるかという点については方策があるのではと感じる。
重要な点はいかなるシステムを採用していくにせよ、世界のどこかに必ずリスクは存在するという点である。そして、このリスクは引き受け手を捜すことが困難だからこそ、多数の参加者による競争的かつ洗練された市場ではなく、相対でかつ格付け機関という外部情報に頼った値付けという前近代的な形での取引がなされていた。今般生じた危機は事後的に見れば明らかに高いリスクに皆が手を出し、そしてそのリスクが潜在的ではなく損失という具体的な形で広範に表面化したという点が特徴だろう。
事後的に見れば明らかに高いリスクの背景にあると考えられる要素は、その性格から世界に多大なる恩恵をもたらしたのも事実である。2002年以降から続いた世界経済の成長は2007年を一区切りとすれば5年間続いたわけである。昨年中ばから金融危機が始まったものとしてもまだ一年少しであり、実態経済の悪化が顕在化している期間はより短い。「山高ければ谷深し」の喩えに従えば、今後あと4年は実態経済の悪化を伴いつつ金融危機が続くともいえるが、今の所そのような事態が生じうる可能性は少ないと見るのが妥当ではないかとも思うのである。だとすれば、「バブルが悪」と即断し、その恩恵をみすみす溝に捨てるような仕組みの採用に舵を切るのではなく、「バブル」の理解を進めて上手く付き合う方法を考えた方が建設的ではないのだろうか。
岡田靖「目立つ輸出産業の急速な調整、懸念される危機感のギャップ」(インサイトコラム)を読む。(2009年1月9日)
今回の景気後退局面のような状況に直面するとやはり本物のエコノミストの意見を聞きたくなる。岡田さんは自分にとってそのようなエコノミストの一人だが、今回の分析も傾聴するに値するものだ。以下、簡単に紹介しつつ、いくつか自分目線で補足しながら論じてみることにしよう。
今回の岡田さんのコラムは現在進行中の景気後退が過去の景気後退局面と比較してどのような特徴を有しているのかをいくつかの経済指標から整理している。比較対象としての過去の景気後退局面は「バブル崩壊時」(91年2月~92年2月)、「97年危機」(97年3月~98年3月)である。今回の景気後退局面は岡田さんは2007年11月としているが、これは「イワタ流景気動向指数」(岩田規久雄『景気ってなんだろう』ちくまプリマー新書)からみても尤もである。図表1は景気の勢いを示すCIから先行指数を選択しその6ヶ月前比をとったものと景気が後退か拡大かの判断指標を意味するDIから一致指数を選択して内閣府景気循環局面と対応付けたものである。CIの動きは左目盛り、DIの動きは右目盛りである。図表からはDI一致指数が安定的に50%を下回り、かつCI先行指数6ヶ月前比がマイナスをつけ続ける状況になれば景気後退期に入ったと考えられるが、我が国の場合は07年第4四半期、大体11月あたりから景気後退局面に突入していることが示唆される。そして先の「バブル崩壊時」、「97年危機」も上の景気後退期の定義に当然当てはまっている。
図表1 CI及びDIからみた景気動向
出所:内閣府『景気動向指数』
以上の点を念頭に置きながら、コラムに記載されている過去の景気後退局面と比較した今回の景気後退局面の特徴のポイントを5つ挙げると以下のとおりとなる。
1.製造工業の生産指数は、ピーク時と比較して今回は13.3%の低下、97年危機は7.3%、バブル崩壊時は4%低下している。生産縮小ペースは今回が最悪である。
2.在庫水準をみると、ピーク時と比較して今回は4.3%の増加、97年危機は9.6%増加、バブル崩壊時は2.2%減少。在庫積みあがり度合いは97年危機ほどではない。
3.生産予測指数をみると12月は86.9(11月は94)。一段の生産の縮小が今後生じていくことを示唆している。今回の急激な生産調整を可能としているのが急速な雇用調整である。
4.非製造業で生じている被害は、今回景気後退局面は97年危機、バブル崩壊時と比較して軽微である。
5.今回の危機では製造業が急激な生産調整を進めているが、それが非製造業のウエートが高い大都市部で実感されるにはまだ時間がかかるだろう。
今般の景気後退局面の特徴が製造業を中心とした急激な生産調整に端を発しており、今後もこの傾向が持続されると見込まれるところがまず重要な点である。景気後退が広範に伝播していくかどうかを見るポイントは、製造業の深刻化がより進むか、そして非製造業への波及がどの程度進むかという点である。後者の点については、個人的には波及は進むと考えられる。理由の一つは雇用の動向である。
もう少し詳しくみていこう。図表2は手がかりとして景気動向指数に含まれる雇用関連指標の動きを纏めたものである。新規求人数は先行指数、所定外労働時間指数(製造業)は一致指数、常用雇用指数及び完全失業率は遅行指数となっている。新規求人数の動きは景気に先行し、所定外労働時間指数は景気と同時期、残りの二つの指標は景気に遅れて推移する。「イワタ流景気動向指数」の着想に従い、先行指数である新規求人数は対6ヶ月前比をとってみている。
図表2 景気動向指数に含まれる雇用関連指標の動き
出所:内閣府『景気動向指数』
これらの指標から「バブル崩壊時」、「97年危機」と比較した今回の景気後退局面の動向をみていくと、今回の景気後退局面では先行指数である新規求人数のマイナスが景気後退局面に入る以前から進んでいたことがわかり、そして落ち込みの度合いは「バブル崩壊時」、「97年危機」と比較して既に大きくなっていることが示唆される。そして一致指数である所定外労働時間指数の動きは「バブル崩壊時」、「97年危機」と比較して軽微であるもののマイナスに突入しており今後更に深刻化する可能性が高いこと、そして遅行指数である完全失業率、常用雇用指数の悪化は今後生じる可能性が高いことがみてとれるのである。
新規求人数がマイナスをつけている点が気になるが、これはどの産業において生じているのだろうか。厚生労働省「職業安定業務統計」から産業別新規求人数の変化(対前年同月比)を折れ線グラフ、産業別寄与度を棒グラフとして示したのが図表3である。「97年危機」の新規求人数の減少に大きく寄与していたのは製造業、建設業がメインであったのに対して、今回の景気後退局面で特徴的なのは圧倒的にサービス業のウエイトが高いという点である。規模別に比較するとこの新規求人数の減少は29人以下を中心とした小規模事業所において生じており、この点は「97年危機」と同様だが、今後一定のラグを伴いつつ、製造業の生産停滞がサービス業に波及することでサービス業において雇用削減の動きが本格化し、景気後退が広く実感されるようになる可能性が高いことを統計指標は示唆しているのである。以上のような認識に立ってみれば、生活不安除去のための対策といったものではなく、大規模な需要創出策を早めに発動させることが必要であることが理解できるだろう。
図表3 「97年危機」と今回の景気後退局面における新規求人数(含むパートタイム)の推移
出所:厚生労働省『職業安定業務統計』
2010年4月12日月曜日
追悼 岡田靖さん
岡田靖さんが急逝されたとのご連絡を昨日(11日)頂いた。だが不覚にも訃報を知ったのは本日(12日)である。以前から体調を崩されていたのは伺っていたが、お見舞いに伺うことも出来ず仕舞いであった。死に至る可能性も十二分にあるという状況を乗り越えられて、職場復帰をされた際、隣におられたある方(自分ではない)に向かって「まだまだ「リフレ派」は渡さない。俺はしぶといからね。」と冗談を言われていたのを伺ったのが最後となってしまった。研究所の机の上には献本させて頂いた拙著が置かれていた。切れ味鋭い言説で思い切り批判して頂きたかったのに、感想を伺うことも出来ず残念な限りである。
私自身、岡田さんの謦咳に接したのは極々僅かであり、お会いしたのも数度という状況であるため、岡田さんのお人柄について良く知る訳ではない。だが、様々な機会にお話を伺う中で、エコノミストとして自分が知り得る人々の中ではまさに別次元の方であることは認識できた。
大和證券経済研究所、大和證券、クレディスイスファーストボストン証券、学習院大学特別客員教授、更に内閣府経済社会総合研究所というご経歴を拝見すると、我が国の中ではビジネスエコノミストという区分に属するのかもしれない。だが岡田さんの魅力と凄みとして特筆すべきは、ビジネスエコノミストでありながら、世のアカデミックな経済学者と同等、いやそれ以上の経済学の知識を有し、かつ現実経済について造詣が深かったという点である。
極めて大雑把な整理をすれば、アカデミアに属する経済学者は理論構築には熱心でも世の中を知らず又データを知らず、一方でビジネスエコノミストは世の中を知りデータを知り得たとしても、その分析用具は理論の体をなしていない、というこの国のエコノミスト業界の現状において稀有な存在であった訳だ。なまくら刀では現実を分析し政策提言を行う際の「キレ」は鈍り、その末路は紙の無駄遣いとなる。一方で、研ぎ澄まされた刀でも斬る対象・視点が誤りであれば、分析した結果や政策提言は的外れなものとなり失笑を買うことになる。エコノミストの価値はこの二つをいかにして極め、バランス良く位置づけることが出来るかということに尽きるのだろう。言うまでもなく岡田さんはこの両者を見事なまでに極めて高いレベルで統合された方であった。
そして、ビジネスエコノミストの迷妄に対して近親憎悪とも思える憤りを持つ自分にとって、数少ない尊敬出来るエコノミストの一人であった。経済を深く知るには、思考の枠組みとしての経済学を知らねばならないが、「経済学」学で満足してはならない。そして経済を深く知ることはデータの動きを追う「経過観察」のみでは駄目で、何をどうすれば分かるのかというヒントを様々な論文やネットやお会いした機会を通じて教えて頂いた。
恐らく岡田さんがこの国で十分に活躍出来るような土壌・環境が整っていたのならば、日本経済は「失われた20年」にはならなかっただろう。慙愧の念にたえない。
(一部修正しました。ご容赦ください。)
(追記5月27日2:15)
現在発売中の『月刊サイゾー』6月号にて、岡田靖さんへの思いとともに、対談をさせて頂きました。宜しければご覧頂ければと存じます。岡田さんに少しでも近づけるよう、地道に努力していきたいと思うこの頃です。
私自身、岡田さんの謦咳に接したのは極々僅かであり、お会いしたのも数度という状況であるため、岡田さんのお人柄について良く知る訳ではない。だが、様々な機会にお話を伺う中で、エコノミストとして自分が知り得る人々の中ではまさに別次元の方であることは認識できた。
大和證券経済研究所、大和證券、クレディスイスファーストボストン証券、学習院大学特別客員教授、更に内閣府経済社会総合研究所というご経歴を拝見すると、我が国の中ではビジネスエコノミストという区分に属するのかもしれない。だが岡田さんの魅力と凄みとして特筆すべきは、ビジネスエコノミストでありながら、世のアカデミックな経済学者と同等、いやそれ以上の経済学の知識を有し、かつ現実経済について造詣が深かったという点である。
極めて大雑把な整理をすれば、アカデミアに属する経済学者は理論構築には熱心でも世の中を知らず又データを知らず、一方でビジネスエコノミストは世の中を知りデータを知り得たとしても、その分析用具は理論の体をなしていない、というこの国のエコノミスト業界の現状において稀有な存在であった訳だ。なまくら刀では現実を分析し政策提言を行う際の「キレ」は鈍り、その末路は紙の無駄遣いとなる。一方で、研ぎ澄まされた刀でも斬る対象・視点が誤りであれば、分析した結果や政策提言は的外れなものとなり失笑を買うことになる。エコノミストの価値はこの二つをいかにして極め、バランス良く位置づけることが出来るかということに尽きるのだろう。言うまでもなく岡田さんはこの両者を見事なまでに極めて高いレベルで統合された方であった。
そして、ビジネスエコノミストの迷妄に対して近親憎悪とも思える憤りを持つ自分にとって、数少ない尊敬出来るエコノミストの一人であった。経済を深く知るには、思考の枠組みとしての経済学を知らねばならないが、「経済学」学で満足してはならない。そして経済を深く知ることはデータの動きを追う「経過観察」のみでは駄目で、何をどうすれば分かるのかというヒントを様々な論文やネットやお会いした機会を通じて教えて頂いた。
恐らく岡田さんがこの国で十分に活躍出来るような土壌・環境が整っていたのならば、日本経済は「失われた20年」にはならなかっただろう。慙愧の念にたえない。
(一部修正しました。ご容赦ください。)
(追記5月27日2:15)
現在発売中の『月刊サイゾー』6月号にて、岡田靖さんへの思いとともに、対談をさせて頂きました。宜しければご覧頂ければと存じます。岡田さんに少しでも近づけるよう、地道に努力していきたいと思うこの頃です。
2010年3月29日月曜日
量的緩和は実体経済指標を統計的に有意に刺激する 量的金融緩和無効論の批判的検討「特集 デフレ日本の財政金融政策」(週刊金融財政事情2010/03/29号)
『週刊金融財政事情』の特集は「デフレ日本の財政金融政策」ということで、高橋洋一、松岡幹裕、河野龍太郎の三氏が寄稿している。個人的にはこの三つの論考の中で重要だと感じるのは松岡氏による量的緩和政策の評価である。この論考を中心にまとめてみよう。
さて松岡氏の論考は、表題にも掲げた通り、量的金融緩和無効論に対する批判的検討である。この論考のベースは、浜田・原田編『長期不況の理論と実証 日本経済の停滞と金融政策』第二章所収の同氏の論文(日銀理論とは何か:名目短期金利ゼロの下限と金融政策)(同種の論文はESRI DP No.29としても読める)と思われるが、量的金融緩和策無効論についての批判的な検討がなされている。
松岡氏による、量的金融緩和無効論の主張を取り上げてみよう。論説では7つ全ての無効論が否定されている。つまり、量的緩和策は有効であったということだ。
1.量的緩和は景気刺激策としては無力だったのか?
松岡氏は簡単な実証分析(5変数VARに基づく、日銀当座預金増が実体経済に与える影響)を行った上で、量的緩和策が実体経済(CI一致指数、消費総合指数)に影響を及ぼすのは最低でも9ヶ月以上の期間がかかり、その影響は24ヶ月が過ぎても持続していることを示している。金融政策の効果ラグは1年から1年半なので、金融政策に即時的な効果を求めるのは難しい。そして推計結果からは無力ではないということがわかる。
さて、量的緩和政策についての実証分析として代表的なもの(Kimura他(2002)、Kimura and Small(2004)、Fujiwara(2006)、Oda and Ueda(2007))を敷衍すると、量的緩和策の効果として有効な径路は、時間軸効果に関するものであり、ポートフォリオリバランス効果は無く、かつ金利がゼロの場合にマネーを増加させても実体経済には殆ど効果がなかったとされている。
しかし、これらの研究は量的緩和政策の実施期間を完全に織り込んだものではない(例えばKimura他(2002)では、85年Q3~02年Q1、Fujiwara(2006)は85年1月~2003年12月)。更にOda and Ueda(2007)及びKimura and Small(2004)は実体経済の影響を調べていない。そして、量的緩和政策では政策手段として日銀当座預金残高が採用されているが、このことは量的緩和政策前後で構造変化が生じたことを示唆する。確かに構造変化をマルコフスィッチング等の手法により織り込むこともあり得るが、量的緩和の期間自体を標本期間とするのが適当だろう。
量的緩和の期間のみを含んだ実証分析としては、Honda他(2007)、原田・増島(2009)、本多他(2010)が挙げられるが、これらの研究で確認されているのは、日銀当座預金残高(マネタリーベース)の増加は実体経済を拡大させ、その際の効果としては時間軸効果は検出されず、ポートフォリオリバランス効果により資産価格の上昇が実体経済を好転させたという事実である。尚、デフレ期待に関する歯止め効果があったこと(竹田・慶田(2009))や、銀行間のコール・レートのスプレッドをほぼ完全に解消させ、株価の上昇を引き起こしたこと(福田(2009))も報告されている。松岡氏の所論は、以上の点を鑑みても正しいと考えられる。
2.名目金利至上主義は正しいのか?
論点の2.から4.についてだが、これはいくらマネーを供給しても資金需要が無いために、景気は刺激できないという考え方に繋がる。つまり、中央銀行は自らが適切と考える名目短期金利の水準で金融市場が需要する準備預金を受動的に供給するに過ぎない、というものである。ただし、そうであるならば、中央銀行は景気後退に対して無力であり、そして景気の過熱に対しても無力であろう。
さらに名目金利至上主義は、金融政策の波及径路を狭く限定しているのではないかと考えられる。金融政策の波及径路は、為替レートや他の資産価格、実物資産と金融資産の代替といった径路でも波及する。これらの点は1.の実証研究や02年以降の実体経済の回復局面の事例からも明らかだ。
3.超過準備ブタ積み論は正しいのか?
論点の5.は超過準備ブタ積み論である。日銀当座預金を増額しても銀行は貸出を増やさないので、実体経済に好影響はでないというものだ。松岡氏は、超過準備が1兆と1000兆の場合で全く違いが無い、という筈が無いと論じるが、そのとおりだ。つまり、超過準備を拡大する過程で中央銀行は家計、企業、政府の負債を購入するが、これらの主体の負債を購入することでファイナンスを得ることができた主体は存在するだろう。ファイナンスができた主体が消費・投資・・といった経済活動を行うのは必定である。
更にブタ積み論が見落としているのは、金融政策は現金との代替性が不完全な資産(証券)と現金という二つの金融資産の交換を通じて波及するということだ。名目短期金利はこれらの交換の結果定まるものである。つまり、現金と代替性が低い資産を中央銀行が大量に購入することで景気刺激効果は実現するのである。
この点は、片岡(2009)及び片岡(2010)でも論じられているが、日銀や欧米中央銀行が行った量的緩和策の経験を踏まえれば(現在では)簡単に確認できる。日銀の場合、01年~06年の量的緩和政策の期間に日銀当座預金残高は30兆円(GDP比1.2ポイントベース)の量的緩和であり、購入対象資産は長期国債が殆どであった。長期国債は現金との代替性がほぼ完全な短期国債よりも現金との代替性は低いものの、外貨建て外国証券よりも代替性は高く、更に社債や株式、ETFといった資産よりも更に代替性は高いだろう。欧米中央銀行は、リーマン・ショック前後以降に総資産を名目GDP比8~13ポイントベースで拡大した。つまり、日銀の量的緩和策と比較して4~6倍のペースで緩和を行った。更に、長期国債のみならず、現金との代替性がさらに低い資産も積極的に購入した。これらが、日本の量的緩和策と比較して資産価格の早期反転や実体経済への影響が早期に生じた理由である。
そしてブタ積み論が見落としている点は、超過準備の多寡が、民間資金需要の程度を示したものではないということだ。日銀当座預金の残高が中央銀行の政策変数であるのならば、当座預金の残高は民間資金需要の増減に対して固定される。例えば民間資金需要が増加して、民間銀行が日銀の当座預金を取り崩して資金供給を行った場合には、当座預金残高(つまり超過準備)は減少する。しかし、当座預金残高が一定の金額に固定するような政策運営を日銀が行っている場合には、日銀は同額の買いオペを実施するために当座預金残高は維持されるのである。
4.構造的デフレ論に対して
わが国のインフレ率が上がらないのは、技術進歩や国際競争の激化が影響しているとの議論もある。しかしこれらは他の先進国でも同様に観察される事例であって、日本だけがなぜデフレになるのかを説明できない。更に、先進国では一人当たり名目賃金は90年代以降継続して年率3~5%で上昇しているが、日本はなぜ上昇していないのかを説明することができない。更に国際競争の激化で賃金が抑制されるのならば、製造業の賃金が相対的に減少する筈だが、日本を含む多くの先進国で観察されるのは逆の現象(非製造業の賃金の下落が進む)であることも説明できない。わが国の最大の問題点は、デフレ(つまり名目変数が殆ど伸びていないこと)であり、これには金融政策の失敗が決定的な影響を及ぼしている。
5.財政赤字はインフレに繋がるか?
財政赤字がインフレに繋がるという議論は、わが国において財政赤字が経済政策の失敗と景気停滞の結果であること、更にわが国の資金循環表から、民間部門の貯蓄投資差額が財政収支変動を相殺するように動く傾向を考慮していない。インフレは景気の過熱により生じ、それは同時に税収の回復、つまり財政赤字の解消を伴う。財政赤字がインフレに繋がるという因果性は疑わしいし、中央銀行が国債引き受けによりマネーを供給することでインフレになるのであれば、以上の径路を伴う筈であるため、その際には財政赤字は改善に向かっているだろう。
6.インフレはコントロール出来るのか?
最後の7.についてだが、インフレが加速するとコントロールできないという話はありえない。過去の金融政策の事例を見る限り、インフレ期待をコントロールすることは可能である。量的緩和策によりインフレが生じるのであれば、それは、景気拡大を伴なっており、実体経済の改善を伴うだろう。
7.感想
松岡氏の論考を簡単に纏めたが、極めて明快な論説である。ご興味のある方は先の浜田・原田編著に掲載されている論文や、ESRI DPもあわせて読むと良いと思う。量的緩和政策の実証研究については、別途纏めつつ、国際的な比較結果を考慮した実証研究についても(可能であれば)紹介したいところである。
さて、松岡氏の論考の末尾にも書かれているが、日銀は政策金利0.1%の下で貸出しを行う新型オペを実施し、更に3月の政策決定会合ではこの金額を拡充することを発表した。しかし私(松岡氏もそうだが)にいわせれば、これは「だまし」の緩和に過ぎない。つまり、日銀は貸出しの拡充分だけ売りオペを増加させることで新型オペの資金供給を相殺しており、当座預金残高の増加は殆ど生じていないためだ。政策金利0.1%という制約がある限り、国債買切りオペの増額といった政策も無意味だろう。つまり、当座預金残高の増加を伴うという状況を維持しつつ、明確なコミットメントを伴なう金融政策が今必要なのである。
さて松岡氏の論考は、表題にも掲げた通り、量的金融緩和無効論に対する批判的検討である。この論考のベースは、浜田・原田編『長期不況の理論と実証 日本経済の停滞と金融政策』第二章所収の同氏の論文(日銀理論とは何か:名目短期金利ゼロの下限と金融政策)(同種の論文はESRI DP No.29としても読める)と思われるが、量的金融緩和策無効論についての批判的な検討がなされている。
松岡氏による、量的金融緩和無効論の主張を取り上げてみよう。論説では7つ全ての無効論が否定されている。つまり、量的緩和策は有効であったということだ。
1.量的緩和は金融システム不安に対して有効だが、景気刺激策としては無力である。
2.金融政策スタンスは名目短期金利の絶対水準により判断され、金融政策はマネーではなく金利を通じて実
体経済に波及する。(名目短期金利至上主義)
3.金融政策は主に短期金融市場を通じて波及する。(短期金融市場至上主義)
4.名目短期金利がゼロに達したら追加的な金融緩和はできない。
5.資金需要が無いので、量的緩和をしても景気を刺激できない(超過準備ブタ積み論)。
6.中央銀行による国債引き受けは、インフレにつながる。
7.インフレは加速し始めると手に負えない。
1.量的緩和は景気刺激策としては無力だったのか?
松岡氏は簡単な実証分析(5変数VARに基づく、日銀当座預金増が実体経済に与える影響)を行った上で、量的緩和策が実体経済(CI一致指数、消費総合指数)に影響を及ぼすのは最低でも9ヶ月以上の期間がかかり、その影響は24ヶ月が過ぎても持続していることを示している。金融政策の効果ラグは1年から1年半なので、金融政策に即時的な効果を求めるのは難しい。そして推計結果からは無力ではないということがわかる。
さて、量的緩和政策についての実証分析として代表的なもの(Kimura他(2002)、Kimura and Small(2004)、Fujiwara(2006)、Oda and Ueda(2007))を敷衍すると、量的緩和策の効果として有効な径路は、時間軸効果に関するものであり、ポートフォリオリバランス効果は無く、かつ金利がゼロの場合にマネーを増加させても実体経済には殆ど効果がなかったとされている。
しかし、これらの研究は量的緩和政策の実施期間を完全に織り込んだものではない(例えばKimura他(2002)では、85年Q3~02年Q1、Fujiwara(2006)は85年1月~2003年12月)。更にOda and Ueda(2007)及びKimura and Small(2004)は実体経済の影響を調べていない。そして、量的緩和政策では政策手段として日銀当座預金残高が採用されているが、このことは量的緩和政策前後で構造変化が生じたことを示唆する。確かに構造変化をマルコフスィッチング等の手法により織り込むこともあり得るが、量的緩和の期間自体を標本期間とするのが適当だろう。
量的緩和の期間のみを含んだ実証分析としては、Honda他(2007)、原田・増島(2009)、本多他(2010)が挙げられるが、これらの研究で確認されているのは、日銀当座預金残高(マネタリーベース)の増加は実体経済を拡大させ、その際の効果としては時間軸効果は検出されず、ポートフォリオリバランス効果により資産価格の上昇が実体経済を好転させたという事実である。尚、デフレ期待に関する歯止め効果があったこと(竹田・慶田(2009))や、銀行間のコール・レートのスプレッドをほぼ完全に解消させ、株価の上昇を引き起こしたこと(福田(2009))も報告されている。松岡氏の所論は、以上の点を鑑みても正しいと考えられる。
2.名目金利至上主義は正しいのか?
論点の2.から4.についてだが、これはいくらマネーを供給しても資金需要が無いために、景気は刺激できないという考え方に繋がる。つまり、中央銀行は自らが適切と考える名目短期金利の水準で金融市場が需要する準備預金を受動的に供給するに過ぎない、というものである。ただし、そうであるならば、中央銀行は景気後退に対して無力であり、そして景気の過熱に対しても無力であろう。
さらに名目金利至上主義は、金融政策の波及径路を狭く限定しているのではないかと考えられる。金融政策の波及径路は、為替レートや他の資産価格、実物資産と金融資産の代替といった径路でも波及する。これらの点は1.の実証研究や02年以降の実体経済の回復局面の事例からも明らかだ。
3.超過準備ブタ積み論は正しいのか?
論点の5.は超過準備ブタ積み論である。日銀当座預金を増額しても銀行は貸出を増やさないので、実体経済に好影響はでないというものだ。松岡氏は、超過準備が1兆と1000兆の場合で全く違いが無い、という筈が無いと論じるが、そのとおりだ。つまり、超過準備を拡大する過程で中央銀行は家計、企業、政府の負債を購入するが、これらの主体の負債を購入することでファイナンスを得ることができた主体は存在するだろう。ファイナンスができた主体が消費・投資・・といった経済活動を行うのは必定である。
更にブタ積み論が見落としているのは、金融政策は現金との代替性が不完全な資産(証券)と現金という二つの金融資産の交換を通じて波及するということだ。名目短期金利はこれらの交換の結果定まるものである。つまり、現金と代替性が低い資産を中央銀行が大量に購入することで景気刺激効果は実現するのである。
この点は、片岡(2009)及び片岡(2010)でも論じられているが、日銀や欧米中央銀行が行った量的緩和策の経験を踏まえれば(現在では)簡単に確認できる。日銀の場合、01年~06年の量的緩和政策の期間に日銀当座預金残高は30兆円(GDP比1.2ポイントベース)の量的緩和であり、購入対象資産は長期国債が殆どであった。長期国債は現金との代替性がほぼ完全な短期国債よりも現金との代替性は低いものの、外貨建て外国証券よりも代替性は高く、更に社債や株式、ETFといった資産よりも更に代替性は高いだろう。欧米中央銀行は、リーマン・ショック前後以降に総資産を名目GDP比8~13ポイントベースで拡大した。つまり、日銀の量的緩和策と比較して4~6倍のペースで緩和を行った。更に、長期国債のみならず、現金との代替性がさらに低い資産も積極的に購入した。これらが、日本の量的緩和策と比較して資産価格の早期反転や実体経済への影響が早期に生じた理由である。
そしてブタ積み論が見落としている点は、超過準備の多寡が、民間資金需要の程度を示したものではないということだ。日銀当座預金の残高が中央銀行の政策変数であるのならば、当座預金の残高は民間資金需要の増減に対して固定される。例えば民間資金需要が増加して、民間銀行が日銀の当座預金を取り崩して資金供給を行った場合には、当座預金残高(つまり超過準備)は減少する。しかし、当座預金残高が一定の金額に固定するような政策運営を日銀が行っている場合には、日銀は同額の買いオペを実施するために当座預金残高は維持されるのである。
4.構造的デフレ論に対して
わが国のインフレ率が上がらないのは、技術進歩や国際競争の激化が影響しているとの議論もある。しかしこれらは他の先進国でも同様に観察される事例であって、日本だけがなぜデフレになるのかを説明できない。更に、先進国では一人当たり名目賃金は90年代以降継続して年率3~5%で上昇しているが、日本はなぜ上昇していないのかを説明することができない。更に国際競争の激化で賃金が抑制されるのならば、製造業の賃金が相対的に減少する筈だが、日本を含む多くの先進国で観察されるのは逆の現象(非製造業の賃金の下落が進む)であることも説明できない。わが国の最大の問題点は、デフレ(つまり名目変数が殆ど伸びていないこと)であり、これには金融政策の失敗が決定的な影響を及ぼしている。
5.財政赤字はインフレに繋がるか?
財政赤字がインフレに繋がるという議論は、わが国において財政赤字が経済政策の失敗と景気停滞の結果であること、更にわが国の資金循環表から、民間部門の貯蓄投資差額が財政収支変動を相殺するように動く傾向を考慮していない。インフレは景気の過熱により生じ、それは同時に税収の回復、つまり財政赤字の解消を伴う。財政赤字がインフレに繋がるという因果性は疑わしいし、中央銀行が国債引き受けによりマネーを供給することでインフレになるのであれば、以上の径路を伴う筈であるため、その際には財政赤字は改善に向かっているだろう。
6.インフレはコントロール出来るのか?
最後の7.についてだが、インフレが加速するとコントロールできないという話はありえない。過去の金融政策の事例を見る限り、インフレ期待をコントロールすることは可能である。量的緩和策によりインフレが生じるのであれば、それは、景気拡大を伴なっており、実体経済の改善を伴うだろう。
7.感想
松岡氏の論考を簡単に纏めたが、極めて明快な論説である。ご興味のある方は先の浜田・原田編著に掲載されている論文や、ESRI DPもあわせて読むと良いと思う。量的緩和政策の実証研究については、別途纏めつつ、国際的な比較結果を考慮した実証研究についても(可能であれば)紹介したいところである。
さて、松岡氏の論考の末尾にも書かれているが、日銀は政策金利0.1%の下で貸出しを行う新型オペを実施し、更に3月の政策決定会合ではこの金額を拡充することを発表した。しかし私(松岡氏もそうだが)にいわせれば、これは「だまし」の緩和に過ぎない。つまり、日銀は貸出しの拡充分だけ売りオペを増加させることで新型オペの資金供給を相殺しており、当座預金残高の増加は殆ど生じていないためだ。政策金利0.1%という制約がある限り、国債買切りオペの増額といった政策も無意味だろう。つまり、当座預金残高の増加を伴うという状況を維持しつつ、明確なコミットメントを伴なう金融政策が今必要なのである。
2010年3月26日金曜日
Effects of Fiscal Stimulus in Structural Models(IMF WP/10/73)
もしかすると既にどなたか紹介しているのかもしれないが、一応メモ書き。
Econbrowser及びEconomist’s Viewでも取り上げられているが、Economist’s Viewの方がグラフが沢山掲載されていて政策手段と効果の対応がわかりやすい。直接比較可能な形でのシミュレーション結果の比較は困難だと思ったが、やはり対象となっている機関による共同作業なんですね。納得。
・Effects of Fiscal Stimulus in Structural Models(IMF WP/10/73)
・"Effects of Fiscal Stimulus in Structural Models"(Economist’s View)
・Policy Analysis in DSGEs(Econbrowser)
Econbrowser及びEconomist’s Viewでも取り上げられているが、Economist’s Viewの方がグラフが沢山掲載されていて政策手段と効果の対応がわかりやすい。直接比較可能な形でのシミュレーション結果の比較は困難だと思ったが、やはり対象となっている機関による共同作業なんですね。納得。
・Effects of Fiscal Stimulus in Structural Models(IMF WP/10/73)
・"Effects of Fiscal Stimulus in Structural Models"(Economist’s View)
・Policy Analysis in DSGEs(Econbrowser)
2010年3月25日木曜日
吉川洋編『デフレ経済と金融政策 バブル/デフレ期の日本経済と経済政策2』(その1)
以下、『デフレ経済と金融政策』の序から各論文の概要と、吉川氏の議論、自分の感想をメモ書きしてみることにしよう。個別の論文については、同タイトルの(その2)・(その3)という形で順次関連文献にふれながらまとめる予定(どこまでできるか分からないが)である。
1.誤った「理論」を論じているのは誰か?
まず、序の議論をはじめるにあたって、ケインズの有名な議論-『経済学の理論や哲学は、普通考えられているよりも実は大きな影響を現実の社会に与える。「理論」が政策当局、政治家、アジテーターに与える影響は、「既得権益」などよりも遥かに大きい。だから「理論」は危険なものであるのだ』が引用される。
吉川氏が「理論」として論難する相手は誰なのか。それは、端的に言えば米国主流派の経済学者、そしてFRBの「理論」である。
米国主流派の経済学者やFRB当局は、「失われた10年」における日本の金融政策を「too little, too late」であるとし、「正しい政策対応」は分かっていると論じた。「失われた10年」とは無縁であった欧米では安定した物価と経済成長が達成されており、バーナンキ現議長は「現代のマクロ経済政策は景気循環の問題を解決した」と述べていた。しかし、今回の米国発の金融危機は彼らが言う「正しい政策対応」が本当に正しかったのか?という疑問を提起させる。
この「正しい政策対応」の根幹にあるのは、テイラールールに代表されるような一定のルールを参照しつつ、金利を上下させるというルールベースの金融政策によって、物価安定と長期の経済成長が達成される、という世界の中央銀行のコンセンサスにあると吉川氏は言う。
2.FED ViewとBIS View
そこで、本論の内容に入る。つまり、世界同時金融危機と呼べる現象を生じさせた背景として、定説となったと思われたFED Viewが果たして正しかったのかという点である。第一章及び第二章の話題は、このFED Viewと対立する考え方であるBIS Viewとの違いと対立の様相についてである。第一章の翁論文は、この二つの見方の違いと対立を整理し、第二章の翁・村田論文は、世界的なディスインフレーションに関する解釈においても二つの見方には違いがあることを指摘している。更に11章の地主論文では、ITバブル崩壊後のFRBの金融政策をナラティブアプローチに基づいて分析し、資産価格の動向には、雇用やデフレほどFRBが注意を払っていなかったと指摘している。
吉川氏による二つの見方の評価は、FED Viewは乱暴であり、異端的な見方と目されたBIS Viewの視点、特に「バブルの崩壊とともに深刻な、すなわち金利を下げるだけでは簡単にはclean upすることができない不況・デフレに陥るリスクがある。」という視点こそ重要だという。吉川氏によれば、バブルは崩壊してから対応すれば良いという問題ではなく、それこそが政策により回避されるべき重大な問題である、ということになる。
個人的な感想を述べれば、FED Viewが言うところの「バブルは崩壊してから対処すればよい」という論点は、以下の理由にあると考えられる。
1つ目は、バブルが生じている時点ではバブルとは認識できないことである。特に安定した経済成長が観察されれば、その際には資産価格も上昇する。ファンダメンタルズに対応した資産価格とそうでない部分をリアルタイムで区分するのは難しい。2つ目は、バブルだと認識できたとして利上げを行おうとする際に、その判断をどのようにして市中に浸透させるのか、それは困難ではないかということである。3つ目は、利上げという中央銀行のバブルに対する判断が経済主体の行動を変化させ、中央銀行の政策判断の根拠でもあった経済状況を変えてしまうという点である。以上から判断すれば、FED Viewにおける「バブルはそれが生じている段階でバブルだとは認識できない」という論点は正しく、乱暴という議論は金融危機という現在の状況に少し依存しすぎなのではないかと思う。ただし、バブルが崩壊してからではわからないからといって、バブル崩壊後の経済への影響が軽微であると楽観視し、バブル崩壊に伴う政策対応を金融政策のみに頼ることもいささかミスリードである。特に流動性の罠に経済が陥った際の政策対応は、信用緩和策を行っている米国や英国、ECBといった中央銀行にとっては課題だろう。その意味で第3章の白川論文は参考となる。
3.「流動性の罠」下の金融政策
第3章の白川論文に続き、議論されているのが第4章の吉川論文である。ここでは有名なクルーグマンのIts baaack論文が検討される。吉川氏によれば、クルーグマン論文のポイントは、消費者の効用最大化に基づく「しっかりとした」モデルにより「インフレターゲットと量的緩和」という政策提言に理論的基礎を与えたと多くの経済学者・エコノミストが考えたことにあるとのことである。吉川氏によるクルーグマン論文の問題点は、名目金利がゼロであるとする異常な経済状況を対象としているが、一方で実質金利がインフレにより下がることで経済の調整メカニズムが働くのであれば問題はないという「正常」な経済を仮定しているとのことである。この視点からは、我が国の金融危機に象徴されるような不良債権問題といった要素がクルーグマン論文のモデルでは対象とされていない。そして、ルールの代表格でもあるテイラールールには不良債権の特別席はなく、GDPギャップという要素に実体経済の要素は押し込められてしまっていると指摘する。
さて感想だが、吉川氏の議論に従えば資産価格といった要素をルールにどう取り込むかという点は今後の課題ではないかと思う。ただし一方で12章の岡田・浜田論文でも挙げられているとおり、流動性の罠を、ある定常過程からある定常過程への移行過程において発生する論理的な「短期」として区分される現象と捉えるのであれば、流動性の罠の本質はニュース・ドライブンな動学的現象であるともいえるだろう。つまり将来の外生変数の低下が現時点で予想されることで、将来の期待を折り込んだものに現在の均衡が調整されうるということである。この意味では、クルーグマン論文は流動性の罠の本質を捉えているといえるのである。
4.貨幣数量説としてのデフレの解釈
さて、吉川氏のまとめは、貨幣数量説的なデフレの解釈に話が移る。貨幣数量方程式に従えば、マネーサプライの変化と物価との間は関係がある。しかし一方でゼロ金利政策、量的緩和政策といった非伝統的な政策を行ったにも関わらず、デフレは続いたのも事実である。第5章の宮尾論文はECMに基づいて貨幣数量方程式の検証を行っている。長期的な均衡関係ということでは、マネー(M1)と物価との間には安定的な関係が成立しているが、短期的なダイナミクスという意味では、マネーが物価変動に対して影響するという関係が2000年代に入って消滅しているという議論がなされている。
感想だが、このように見ていくと、2000年代に入ってマネーと物価変動との間の関係が消滅するという事実は、「マネーを刷ればインフレになる」という単純な貨幣数量説的な認識を否定しているようにもとれる。
だが、注意すべきは同時点間のマネーと物価変動との間に関係がないという事実は、マネーと物価との間に関係がないということではなく、流動性の罠に陥った状況を実証分析で確認したもの、ではないかという点である。それでは、量的緩和策がどのような経路を辿ってどのような形で効果をもたらしただろうか。
5.量的緩和策
量的緩和策についてはいくつか論点がある。まず、第6章の竹田・慶田論文である。こちらは消費動向調査の個票データから負債デフレ論とデフレ心理についての分析がなされている。計測の結果、98年以降は過大なデフレ期待が検出され、デフレ期待に歯止めをかけたのが資産価格についての期待の好転、そして量的緩和策であるとの結果が記載されている。
量的緩和政策が金融システムにどのような影響をもたらしたのか。この点は第7章の福田論文で議論されている。福田論文では、銀行間市場のコール・レートに着目し、日次ベースでコール・レートのスプレッド(日中最高値と最低値の差)を分析している。量的緩和政策は、コール・レートのスプレッドを大幅に縮小させほぼ完全に解消させた。一方、コール・レートのスプレッド縮小は株価の上昇を引き起こすという分析結果も得られている。
第8章の原田・増島論文は、VARモデルに基づいて量的緩和政策の波及経路として、従来指摘されていた「時間軸効果」、中・長期金利低下による効果ではなく、資産価格の上昇を通じた実体経済の改善という経路を辿ったことを実証している。これらの結果は、第6章、第7章の研究と整合的だろう。
感想だが、つまり、これらの研究成果から浮かび上がる量的緩和政策の効果(波及経路)とは、過大なデフレ期待に歯止めをかけて資産価格について期待を好転させ、実体経済を改善させたという経路と、金融危機における金融システムの崩壊を食い止めたという経路の二つが挙げられる。「時間軸効果」といった意味での日銀のコミットメントが効果をもたらしたという話ではないことに注意すべきだろう。
さて個人的に気になるのは、資産価格と金融システム、更に実体経済との関係が我が国の長期停滞からの脱却過程でどのように作用したのかという点である。12章の岡田・浜田論文でも指摘されているが、深刻な金融危機からの脱却過程では、株価の上昇から実体経済の好転が生じ、金融システムの安定や貸し出し・借入れの増加といった側面は実体経済の好転からやや遅れて生じている。銀行貸し出しの増加は05年以降に生じていること、更に資金循環表からは企業部門の債務処理が終了して、借入れが生じているのは06年以降という点を踏まえると、吉川氏が言う金融システムの安定・不良債権というポイントよりも、資産価格への影響こそ重視すべきということになるのではと思う。
6.物価と資産価格
5節でみたように、量的緩和策の経路という意味では資産価格の変化というものが大きな影響をもたらしているが、金融政策で目標とするのは資産価格ではなく物価である。更に、量的緩和策により物価はゼロ近傍からわずかに上昇したが、量的緩和解除により再度物価は低下している。
物価と資産価格との関係はどのように考えれば良いのだろうか。第9章の渡辺論文は、資産価格と財・サービス価格との関連を調べている。結果は、米国と比較して我が国の財・サービス価格は3倍の粘着性を持っているというものである。仮に米国並みの伸縮性を有していたのであれば、バブル期の消費者物価指数は実績よりも1%高く、バブル崩壊期には実績よりも1%低くなるとのことだ。
消費者物価指数を構成する財の価格変動の特徴に関しては、第10章の梅田論文が検証している。結果によれば、米英と比較して我が国の方がデジタル家電の価格変化がCPIに及ぼす影響は大きい。90年代のデフレ時においては、サービス価格のゼロインフレがCPIに影響している。欧米諸国はサービス価格が持続的上昇を続けているが、サービス産業における米英と日本の名目賃金格差が価格差に影響しているとのことである。
感想だが、吉川氏は資産価格の粘着性についてバブル期における局面を重視した議論をされている。一方でバブル崩壊期におけるCPIと資産価格の関係も考える必要があるだろう。バブル崩壊期においてCPIに対して資産価格の粘着性が高いということは、CPIの水準が過大に見積もられていることを意味する。そうすると、実際の政策対応はより緩和的になされなければならなかったのではということになる。
7.長期停滞と金融政策
さて、金融政策と長期停滞とのかかわりはどう見ることが出来るのだろうか。周知の通り、長期停滞の原因については様々な論争が繰り広げられた。バブル崩壊から20年が経とうとしているが、この点についてコンセンサスが得られたとは言いがたい。岡田・浜田論文では、金融政策が長期停滞に大きな影響を及ぼしたと論じる。
自分なりにこの論文のポイントを整理すると、概念上短期的ショックと位置づけられるマネタリーなショックが現実的な時間の流れにおける「長期」に渡り影響していたというのが一つ目のポイントである。多くの論者が指摘する長期停滞の原因とは、実物的な要因に基づくものである。標準的な解釈に従う限りこれは正しい。
しかし長期停滞の中身はというと、成長率の低下は数回の景気循環を経つつ生じていることも事実であり、91年から97年の資産価格の下落と実体経済の悪化が生じた局面、金融危機が生じた98年から2001年までの時期、2002年以降の回復局面において、実物的要因は長期停滞の最中において異なる動きを示している。一方で、貨幣的要因(物価)はディスインフレからデフレの持続という形で停滞が続く。更に為替レートの動きからも円の名目価値の上昇・もしくはその傾向の持続が観察される。つまり、本来は短期とされる貨幣的な現象が長期に渡り持続していたのである。
この貨幣的な現象の持続は、物価の下方硬直性の存在を示唆する。更に貨幣数量説的な解釈にも異論を提示するものである。長期停滞下においては、金融政策から景気変動という因果関係よりも、実体経済の変動に対して銀行貸し出しやマネーが変化し、受動的な金融政策の結果としてマネタリーベースが変化するという経路が働いていたのではということだ。この点は所謂日銀理論の存在からも納得しやすいだろう。「マネーを刷ればインフレになる」という事実は、長期停滞下の日本経済の状況を眺めれば否ともいえる。
だが、注意すべきは、貨幣数量説的な解釈が正しくは無いからといって、マネーから物価への経路が否定されているわけではないということである。つまり流動性の罠という形で、貨幣量と物価もしくは景気との間に同時点的な関係が保たれないという状況が生じていれば、流動性の罠から脱却すればマネーと物価の関係は修復されるということになる。
岡田・浜田論文では為替レートの存在が重視されているが、それは長期停滞の原因を国内的要因のみで捉えようとすると、我が国の停滞を実物的要因か貨幣的要因かを決着づけることが困難であるためだ。この点が二つ目のポイントだろう。
先程上で書いたニュース・ドライブンな動学的現象という枠組みは、実物的な意味での長期停滞の解釈としても有効である。つまり、生産性の将来の低下が予想されたとすると、それは将来所得の割引現在価値である富や恒常所得の低下を認識させるため、現在供給能力が低下していないにも関わらず現在の総需要は低下することになる。貨幣と物価をこのような枠組みに追加すれば、実物的要因に基づくデフレと長期停滞という現象を説明できてしまう。
そこで出てくるのが、実質為替レートに関する議論だ。この点は非常に勉強になった。ここで重要な点は、実質為替レートと交易条件が同じではないということと、景気循環との関係において実質為替レートの調整が不備であったという指摘だろう。
咀嚼すべき点は多いのだが、実質為替レートは資産価格である為替レートと、粘着的にしか変化しない物価の組み合わせである。実質為替レートの調整不全(為替レートと物価とのアンバランス)は、経済活動に対する重要かつ本質的な原因となりえるというのが、岡田・浜田論文の結論である。この点は、経済の激変期におけるストックの重要性、つまり資産市場の調整はバブル崩壊という形で急激に進む一方で、ストックの動きに伴う形で生じるフローの調整は緩慢であり、それが長期停滞をもたらしうるという視点である。サブプライム危機から世界金融危機、そして世界的な実体経済の悪化という局面を見ても、資産バブルの崩壊によって米国の過剰とも言える消費は停滞が進んでいるが、その調整は価格の粘着性により緩やかに進んでいる。以上の事実はストックの急速な調整に対してフローの調整は緩慢に進むという状況を反映しているのである。
8.再びFED ViewとBIS Viewを巡って
段々とまとめでなくなってしまったような気もするが、以上の論文の概要を説明した上で、吉川氏の議論は、日本の経験が金融政策に対してどのような教訓をもたらしたのかという点に移っていく。結論を述べれば、世界金融危機が生じたことは、我が国の経験が生かされなかったことを意味するというのが、氏の議論である。
氏が指摘するのは、「マクロ経済にとり最大の脅威でもあるバブルはあらゆる努力を払って回避しなければならない」というものである。そしてBIS Viewと同じ考えをもっていた経済学者-シュンペーター、ハイエク、等々の考え方が紹介される。つまり、バブルは金利政策の効果とは定量的に比較にならないほどの大きな影響をマクロ経済に与える、というものだ。この指摘からはバブルを予見して金融政策を行うことの必要性が氏から主張されるのは当然ともいえるだろう。更に、期待は安定しないという指摘も興味深いところだ。
感想だが、確かにバブルは実体経済に悪影響を与えるし、バブルを避けることが出来るのであればそれに越したことはない。しかしやはりバブルを未然に政策担当者が判断し、それを避けるような政策を行うことが可能なのかという点は疑問である。
バブルを予見できるということは「暴れ馬」と吉川氏が指摘する公衆の期待が把握できるという事につながらないか。又、バブルを予見し、金利を引き締めるということは公衆の期待を変え、ファンダメンタルズについての政策当局の理解にラグを生じさせ、政策の歪みをもたらすのではないか。資産市場における期待を安定化させることはできないという認識はFED Viewにおいても共通だろう。だからこそ、バブルは把握できず、これまで世界中で数々のバブルが崩壊するという事態を我々は経験してきたのではなかろうか。
注意すべき点は、資産価格の「期待」はコントロールできないが、物価に関する「期待」に働きかけることが可能かという点である。この点は今回の金融政策の帰結を見極めなければ、教訓という点では判断がつかないだろう。更に「期待」についての精緻な研究が今後も必要なのだろう。
1.誤った「理論」を論じているのは誰か?
まず、序の議論をはじめるにあたって、ケインズの有名な議論-『経済学の理論や哲学は、普通考えられているよりも実は大きな影響を現実の社会に与える。「理論」が政策当局、政治家、アジテーターに与える影響は、「既得権益」などよりも遥かに大きい。だから「理論」は危険なものであるのだ』が引用される。
吉川氏が「理論」として論難する相手は誰なのか。それは、端的に言えば米国主流派の経済学者、そしてFRBの「理論」である。
米国主流派の経済学者やFRB当局は、「失われた10年」における日本の金融政策を「too little, too late」であるとし、「正しい政策対応」は分かっていると論じた。「失われた10年」とは無縁であった欧米では安定した物価と経済成長が達成されており、バーナンキ現議長は「現代のマクロ経済政策は景気循環の問題を解決した」と述べていた。しかし、今回の米国発の金融危機は彼らが言う「正しい政策対応」が本当に正しかったのか?という疑問を提起させる。
この「正しい政策対応」の根幹にあるのは、テイラールールに代表されるような一定のルールを参照しつつ、金利を上下させるというルールベースの金融政策によって、物価安定と長期の経済成長が達成される、という世界の中央銀行のコンセンサスにあると吉川氏は言う。
2.FED ViewとBIS View
そこで、本論の内容に入る。つまり、世界同時金融危機と呼べる現象を生じさせた背景として、定説となったと思われたFED Viewが果たして正しかったのかという点である。第一章及び第二章の話題は、このFED Viewと対立する考え方であるBIS Viewとの違いと対立の様相についてである。第一章の翁論文は、この二つの見方の違いと対立を整理し、第二章の翁・村田論文は、世界的なディスインフレーションに関する解釈においても二つの見方には違いがあることを指摘している。更に11章の地主論文では、ITバブル崩壊後のFRBの金融政策をナラティブアプローチに基づいて分析し、資産価格の動向には、雇用やデフレほどFRBが注意を払っていなかったと指摘している。
吉川氏による二つの見方の評価は、FED Viewは乱暴であり、異端的な見方と目されたBIS Viewの視点、特に「バブルの崩壊とともに深刻な、すなわち金利を下げるだけでは簡単にはclean upすることができない不況・デフレに陥るリスクがある。」という視点こそ重要だという。吉川氏によれば、バブルは崩壊してから対応すれば良いという問題ではなく、それこそが政策により回避されるべき重大な問題である、ということになる。
個人的な感想を述べれば、FED Viewが言うところの「バブルは崩壊してから対処すればよい」という論点は、以下の理由にあると考えられる。
1つ目は、バブルが生じている時点ではバブルとは認識できないことである。特に安定した経済成長が観察されれば、その際には資産価格も上昇する。ファンダメンタルズに対応した資産価格とそうでない部分をリアルタイムで区分するのは難しい。2つ目は、バブルだと認識できたとして利上げを行おうとする際に、その判断をどのようにして市中に浸透させるのか、それは困難ではないかということである。3つ目は、利上げという中央銀行のバブルに対する判断が経済主体の行動を変化させ、中央銀行の政策判断の根拠でもあった経済状況を変えてしまうという点である。以上から判断すれば、FED Viewにおける「バブルはそれが生じている段階でバブルだとは認識できない」という論点は正しく、乱暴という議論は金融危機という現在の状況に少し依存しすぎなのではないかと思う。ただし、バブルが崩壊してからではわからないからといって、バブル崩壊後の経済への影響が軽微であると楽観視し、バブル崩壊に伴う政策対応を金融政策のみに頼ることもいささかミスリードである。特に流動性の罠に経済が陥った際の政策対応は、信用緩和策を行っている米国や英国、ECBといった中央銀行にとっては課題だろう。その意味で第3章の白川論文は参考となる。
3.「流動性の罠」下の金融政策
第3章の白川論文に続き、議論されているのが第4章の吉川論文である。ここでは有名なクルーグマンのIts baaack論文が検討される。吉川氏によれば、クルーグマン論文のポイントは、消費者の効用最大化に基づく「しっかりとした」モデルにより「インフレターゲットと量的緩和」という政策提言に理論的基礎を与えたと多くの経済学者・エコノミストが考えたことにあるとのことである。吉川氏によるクルーグマン論文の問題点は、名目金利がゼロであるとする異常な経済状況を対象としているが、一方で実質金利がインフレにより下がることで経済の調整メカニズムが働くのであれば問題はないという「正常」な経済を仮定しているとのことである。この視点からは、我が国の金融危機に象徴されるような不良債権問題といった要素がクルーグマン論文のモデルでは対象とされていない。そして、ルールの代表格でもあるテイラールールには不良債権の特別席はなく、GDPギャップという要素に実体経済の要素は押し込められてしまっていると指摘する。
さて感想だが、吉川氏の議論に従えば資産価格といった要素をルールにどう取り込むかという点は今後の課題ではないかと思う。ただし一方で12章の岡田・浜田論文でも挙げられているとおり、流動性の罠を、ある定常過程からある定常過程への移行過程において発生する論理的な「短期」として区分される現象と捉えるのであれば、流動性の罠の本質はニュース・ドライブンな動学的現象であるともいえるだろう。つまり将来の外生変数の低下が現時点で予想されることで、将来の期待を折り込んだものに現在の均衡が調整されうるということである。この意味では、クルーグマン論文は流動性の罠の本質を捉えているといえるのである。
4.貨幣数量説としてのデフレの解釈
さて、吉川氏のまとめは、貨幣数量説的なデフレの解釈に話が移る。貨幣数量方程式に従えば、マネーサプライの変化と物価との間は関係がある。しかし一方でゼロ金利政策、量的緩和政策といった非伝統的な政策を行ったにも関わらず、デフレは続いたのも事実である。第5章の宮尾論文はECMに基づいて貨幣数量方程式の検証を行っている。長期的な均衡関係ということでは、マネー(M1)と物価との間には安定的な関係が成立しているが、短期的なダイナミクスという意味では、マネーが物価変動に対して影響するという関係が2000年代に入って消滅しているという議論がなされている。
感想だが、このように見ていくと、2000年代に入ってマネーと物価変動との間の関係が消滅するという事実は、「マネーを刷ればインフレになる」という単純な貨幣数量説的な認識を否定しているようにもとれる。
だが、注意すべきは同時点間のマネーと物価変動との間に関係がないという事実は、マネーと物価との間に関係がないということではなく、流動性の罠に陥った状況を実証分析で確認したもの、ではないかという点である。それでは、量的緩和策がどのような経路を辿ってどのような形で効果をもたらしただろうか。
5.量的緩和策
量的緩和策についてはいくつか論点がある。まず、第6章の竹田・慶田論文である。こちらは消費動向調査の個票データから負債デフレ論とデフレ心理についての分析がなされている。計測の結果、98年以降は過大なデフレ期待が検出され、デフレ期待に歯止めをかけたのが資産価格についての期待の好転、そして量的緩和策であるとの結果が記載されている。
量的緩和政策が金融システムにどのような影響をもたらしたのか。この点は第7章の福田論文で議論されている。福田論文では、銀行間市場のコール・レートに着目し、日次ベースでコール・レートのスプレッド(日中最高値と最低値の差)を分析している。量的緩和政策は、コール・レートのスプレッドを大幅に縮小させほぼ完全に解消させた。一方、コール・レートのスプレッド縮小は株価の上昇を引き起こすという分析結果も得られている。
第8章の原田・増島論文は、VARモデルに基づいて量的緩和政策の波及経路として、従来指摘されていた「時間軸効果」、中・長期金利低下による効果ではなく、資産価格の上昇を通じた実体経済の改善という経路を辿ったことを実証している。これらの結果は、第6章、第7章の研究と整合的だろう。
感想だが、つまり、これらの研究成果から浮かび上がる量的緩和政策の効果(波及経路)とは、過大なデフレ期待に歯止めをかけて資産価格について期待を好転させ、実体経済を改善させたという経路と、金融危機における金融システムの崩壊を食い止めたという経路の二つが挙げられる。「時間軸効果」といった意味での日銀のコミットメントが効果をもたらしたという話ではないことに注意すべきだろう。
さて個人的に気になるのは、資産価格と金融システム、更に実体経済との関係が我が国の長期停滞からの脱却過程でどのように作用したのかという点である。12章の岡田・浜田論文でも指摘されているが、深刻な金融危機からの脱却過程では、株価の上昇から実体経済の好転が生じ、金融システムの安定や貸し出し・借入れの増加といった側面は実体経済の好転からやや遅れて生じている。銀行貸し出しの増加は05年以降に生じていること、更に資金循環表からは企業部門の債務処理が終了して、借入れが生じているのは06年以降という点を踏まえると、吉川氏が言う金融システムの安定・不良債権というポイントよりも、資産価格への影響こそ重視すべきということになるのではと思う。
6.物価と資産価格
5節でみたように、量的緩和策の経路という意味では資産価格の変化というものが大きな影響をもたらしているが、金融政策で目標とするのは資産価格ではなく物価である。更に、量的緩和策により物価はゼロ近傍からわずかに上昇したが、量的緩和解除により再度物価は低下している。
物価と資産価格との関係はどのように考えれば良いのだろうか。第9章の渡辺論文は、資産価格と財・サービス価格との関連を調べている。結果は、米国と比較して我が国の財・サービス価格は3倍の粘着性を持っているというものである。仮に米国並みの伸縮性を有していたのであれば、バブル期の消費者物価指数は実績よりも1%高く、バブル崩壊期には実績よりも1%低くなるとのことだ。
消費者物価指数を構成する財の価格変動の特徴に関しては、第10章の梅田論文が検証している。結果によれば、米英と比較して我が国の方がデジタル家電の価格変化がCPIに及ぼす影響は大きい。90年代のデフレ時においては、サービス価格のゼロインフレがCPIに影響している。欧米諸国はサービス価格が持続的上昇を続けているが、サービス産業における米英と日本の名目賃金格差が価格差に影響しているとのことである。
感想だが、吉川氏は資産価格の粘着性についてバブル期における局面を重視した議論をされている。一方でバブル崩壊期におけるCPIと資産価格の関係も考える必要があるだろう。バブル崩壊期においてCPIに対して資産価格の粘着性が高いということは、CPIの水準が過大に見積もられていることを意味する。そうすると、実際の政策対応はより緩和的になされなければならなかったのではということになる。
7.長期停滞と金融政策
さて、金融政策と長期停滞とのかかわりはどう見ることが出来るのだろうか。周知の通り、長期停滞の原因については様々な論争が繰り広げられた。バブル崩壊から20年が経とうとしているが、この点についてコンセンサスが得られたとは言いがたい。岡田・浜田論文では、金融政策が長期停滞に大きな影響を及ぼしたと論じる。
自分なりにこの論文のポイントを整理すると、概念上短期的ショックと位置づけられるマネタリーなショックが現実的な時間の流れにおける「長期」に渡り影響していたというのが一つ目のポイントである。多くの論者が指摘する長期停滞の原因とは、実物的な要因に基づくものである。標準的な解釈に従う限りこれは正しい。
しかし長期停滞の中身はというと、成長率の低下は数回の景気循環を経つつ生じていることも事実であり、91年から97年の資産価格の下落と実体経済の悪化が生じた局面、金融危機が生じた98年から2001年までの時期、2002年以降の回復局面において、実物的要因は長期停滞の最中において異なる動きを示している。一方で、貨幣的要因(物価)はディスインフレからデフレの持続という形で停滞が続く。更に為替レートの動きからも円の名目価値の上昇・もしくはその傾向の持続が観察される。つまり、本来は短期とされる貨幣的な現象が長期に渡り持続していたのである。
この貨幣的な現象の持続は、物価の下方硬直性の存在を示唆する。更に貨幣数量説的な解釈にも異論を提示するものである。長期停滞下においては、金融政策から景気変動という因果関係よりも、実体経済の変動に対して銀行貸し出しやマネーが変化し、受動的な金融政策の結果としてマネタリーベースが変化するという経路が働いていたのではということだ。この点は所謂日銀理論の存在からも納得しやすいだろう。「マネーを刷ればインフレになる」という事実は、長期停滞下の日本経済の状況を眺めれば否ともいえる。
だが、注意すべきは、貨幣数量説的な解釈が正しくは無いからといって、マネーから物価への経路が否定されているわけではないということである。つまり流動性の罠という形で、貨幣量と物価もしくは景気との間に同時点的な関係が保たれないという状況が生じていれば、流動性の罠から脱却すればマネーと物価の関係は修復されるということになる。
岡田・浜田論文では為替レートの存在が重視されているが、それは長期停滞の原因を国内的要因のみで捉えようとすると、我が国の停滞を実物的要因か貨幣的要因かを決着づけることが困難であるためだ。この点が二つ目のポイントだろう。
先程上で書いたニュース・ドライブンな動学的現象という枠組みは、実物的な意味での長期停滞の解釈としても有効である。つまり、生産性の将来の低下が予想されたとすると、それは将来所得の割引現在価値である富や恒常所得の低下を認識させるため、現在供給能力が低下していないにも関わらず現在の総需要は低下することになる。貨幣と物価をこのような枠組みに追加すれば、実物的要因に基づくデフレと長期停滞という現象を説明できてしまう。
そこで出てくるのが、実質為替レートに関する議論だ。この点は非常に勉強になった。ここで重要な点は、実質為替レートと交易条件が同じではないということと、景気循環との関係において実質為替レートの調整が不備であったという指摘だろう。
咀嚼すべき点は多いのだが、実質為替レートは資産価格である為替レートと、粘着的にしか変化しない物価の組み合わせである。実質為替レートの調整不全(為替レートと物価とのアンバランス)は、経済活動に対する重要かつ本質的な原因となりえるというのが、岡田・浜田論文の結論である。この点は、経済の激変期におけるストックの重要性、つまり資産市場の調整はバブル崩壊という形で急激に進む一方で、ストックの動きに伴う形で生じるフローの調整は緩慢であり、それが長期停滞をもたらしうるという視点である。サブプライム危機から世界金融危機、そして世界的な実体経済の悪化という局面を見ても、資産バブルの崩壊によって米国の過剰とも言える消費は停滞が進んでいるが、その調整は価格の粘着性により緩やかに進んでいる。以上の事実はストックの急速な調整に対してフローの調整は緩慢に進むという状況を反映しているのである。
8.再びFED ViewとBIS Viewを巡って
段々とまとめでなくなってしまったような気もするが、以上の論文の概要を説明した上で、吉川氏の議論は、日本の経験が金融政策に対してどのような教訓をもたらしたのかという点に移っていく。結論を述べれば、世界金融危機が生じたことは、我が国の経験が生かされなかったことを意味するというのが、氏の議論である。
氏が指摘するのは、「マクロ経済にとり最大の脅威でもあるバブルはあらゆる努力を払って回避しなければならない」というものである。そしてBIS Viewと同じ考えをもっていた経済学者-シュンペーター、ハイエク、等々の考え方が紹介される。つまり、バブルは金利政策の効果とは定量的に比較にならないほどの大きな影響をマクロ経済に与える、というものだ。この指摘からはバブルを予見して金融政策を行うことの必要性が氏から主張されるのは当然ともいえるだろう。更に、期待は安定しないという指摘も興味深いところだ。
感想だが、確かにバブルは実体経済に悪影響を与えるし、バブルを避けることが出来るのであればそれに越したことはない。しかしやはりバブルを未然に政策担当者が判断し、それを避けるような政策を行うことが可能なのかという点は疑問である。
バブルを予見できるということは「暴れ馬」と吉川氏が指摘する公衆の期待が把握できるという事につながらないか。又、バブルを予見し、金利を引き締めるということは公衆の期待を変え、ファンダメンタルズについての政策当局の理解にラグを生じさせ、政策の歪みをもたらすのではないか。資産市場における期待を安定化させることはできないという認識はFED Viewにおいても共通だろう。だからこそ、バブルは把握できず、これまで世界中で数々のバブルが崩壊するという事態を我々は経験してきたのではなかろうか。
注意すべき点は、資産価格の「期待」はコントロールできないが、物価に関する「期待」に働きかけることが可能かという点である。この点は今回の金融政策の帰結を見極めなければ、教訓という点では判断がつかないだろう。更に「期待」についての精緻な研究が今後も必要なのだろう。
深尾京司編『マクロ経済と産業構造 バブル/デフレ期の日本経済と経済政策1』(その1)
内閣府経済社会総合研究所が企画・監修しているバブル/デフレ期の日本経済と経済政策のシリーズも7巻全てが出揃った。本シリーズは所謂「失われた10年」がどのような時代であったのかを分析した論文集の体裁をとっている。出来るだけ、各論文全ての内容についてまとめつつ、あわせて関連論文も整理しつつ進みたい。
さて、第一巻にあたる『マクロ経済と産業構造』では、「失われた10年」における日本経済の低迷の原因を、需要サイド・供給サイド双方の視点から包括的に分析している。以下では全体像を俯瞰するという意味で、編者の深尾京司氏による序をまとめる。
まず本書の内容は、先に述べたように需要サイド及び供給サイドからマクロ経済を分析するというものである。マクロ経済の動向を議論する際に重要となるGDPギャップ、実質金利といった変数は推計により得られるため、推計方法によって数値が変化する。これらの点に加えて、CIといった景気動向指数、景気判断と経済政策といったテーマについても分析がなされている。
1.需要サイドからみた「失われた10年」
需要サイドの分析としては、祝迫・岡田論文、石井論文、宮川・田中論文、堀論文が該当するだろう。
祝迫・岡田論文では、「日本経済における消費と貯蓄-1980年代以降の概観」と題して、1980年代以降の日本の消費変動を、ライフサイクル仮説で考えた長期均衡からの乖離という視点で分析している。結果をみると、90年代前半までの時期は、バブル崩壊が耐久財消費の急激な低下を生み出したが、非耐久財やサービス消費に対する影響は限定的であったこと、90年代後半になると家計所得・消費がGDP変化と比較して大きく落ち込んでいること、家計収入の減少と比較して消費は相対的に減少していないため、家計貯蓄率の低下が生じた、というものである。
石井論文は「バブルからデフレ期にかけての家計の予備的貯蓄行動の変化」と題して、予備的貯蓄行動の視点から貯蓄率への影響を分析している。これによれば、予備的貯蓄に影響したのは完全失業率の悪化という失業リスクであり、資産価格変動リスクが貯蓄率に影響したとの結果は見いだせていないこと、失業リスクの影響は90年代後半から00年代にかけて低下している、との結果がえられている。
宮川・田中論文は「設備投資分析の潮流と日本経済-過剰投資か過少投資か」として、設備投資の動向の実証分析を行っている。結果としては、日本の設備投資の伸びは低下しているが、水準は他国と比較して必ずしも低くないこと、バブル崩壊前までの日本の投資行動には横並び行動という非合理的な要因が影響していたこと、近年ではキャッシュ・フローが投資行動に影響していることを得ている。
堀論文「アジアの発展と日本経済-外需動向・為替レートと日本の国際競争力」は、外的環境の変化を概観しつつ、その環境変化が日本経済のパフォーマンスに与えた影響を分析している。90年代から顕著になった国際環境の動きは、東アジアの経済発展であろう。90年代の「失われた10年」から脱却するにあたり、東アジアの経済成長をなぜもっと取り込むことができなかったのか。堀論文では、アジア市場の急拡大という機会が円高による国際競争力の低下で相殺され、円の高止まり状況の下で、低付加価値品のみならず高付加価値品まで競争力を失っていったことを明らかにしている。
2.供給サイドからみた「失われた10年」
供給サイドからみた分析は、櫻井論文、元橋論文、中島論文、深尾・金論文、塩路論文が該当する。
消費について分析を行った祝迫・岡田論文や石井論文でふれられているポイントで関連する雇用動向については、櫻井論文「労働供給、労働需要、技術進歩と経済成長」として分析されている。労働供給については人口の低下という形で量的な側面への制約が強まる一方、高学歴化による質の向上と非正規化による質の低下が生じた。労働需要に関しては、90年代後半以降の不況の深刻化により大幅な減退が見られた。また、熟練労働者の相対雇用を増やし、非熟練労働者の相対雇用を減らすという非中立的な影響は、日本でも観察された。
元橋論文「日本企業の研究開発資産の蓄積とパフォーマンスに関する実証分析」は、1980年以降の日本企業におけるR&D投資とR&D資産の蓄積動向、R&D投資の決定要因、R&D資産の生産性について分析がなされている。分析によれば、1990年代に入りR&D資産の蓄積速度は企業の財務状況の悪化に伴い低下したが、企業が収益性の高い分野に研究開発投資を集中させたことでR&D資産の限界生産性は上昇している。
日本経済が停滞から成長径路に復帰するには、サービス産業の生産性向上が必須だとしばしば指摘される。だが、サービス産業の生産性の計測には数多くの困難が生じ、統計上の整備が不十分であることも周知の事実だろう。中島論文「サービス産業の生産性」では、我が国で広く用いられている指標が真の生産性と乖離する可能性を指摘するとともに、新たなサービス業のアウトプットを定義した上で生産性を推計している。結果として従来のヘドニックアプローチによる品質調整はバイアスをもたらすことがわかる。
深尾・金論文「生産性・資源配分と日本の成長」は、資源配分と生産性の視点から80年代以降の日本経済を概観している。結果としては、90年代の成長率の減速にはTFP成長率の低下が相当程度影響している。だが、TFP成長率の低下は、産業間の資源配分の変化や各産業内での企業間の資源配分の非効率化が原因とは言えない。寧ろ、各産業内、各企業内のTFP成長率そのものの低下がマクロ全体のTFP成長率の低下の原因である。日本経済の新陳代謝機能は長期に渡って停滞しており、資源配分の改善は重要な課題である。
TFP成長率は需要変化と無縁ではない。では、TFP成長率と景気変動との関係はどのように考えれば良いのか。塩路論文「生産性変動と1990年代以降の日本経済」では、この疑問について考察している。需要変動として重要なポイントは、TFP成長率の推計に稼働率要因を含めるという点だが、稼働率変動を含めた場合でも製造業のTFP成長率が低下するとの結論は変わらないが、非製造業ではTFP成長率の低下がかなり抑制される。また資源配分が非効率か否かを検討する場合には生産サイドのみの視点では不十分であり、需要構造によっては、寧ろ生産性上昇率が減少した産業に資源を再配分することが最適となる可能性も示唆されている。
3.GDPギャップ・潜在成長率・均衡実質金利・景気判断・景気循環
マクロ経済を議論する際に注意すべき点は、GDPギャップ、潜在成長率、均衡実質金利、自然失業率、NAIRUといった鍵概念が、統計データから直接把握できるのではなく、推計により間接的に把握される、という点であろう。推計という手続きが入ることで、様々な誤差が混入する可能性もある。誤った推計を自らの政策決定の為に都合良く利用する可能性もあるのかもしれない。以上の意味で、これらの鍵概念を検討する際には、使用されている統計データが概念と十分対応したものかどうか、推計上のバイアスはあるのかどうか、といった点について認識しておくことが必要だろう。そして推計結果を盲信するのではなく、加工無しに得られる統計データの結果から推計結果を判断していくことも必要だろう。
さて、酒巻論文「1980年代以降のGDPギャップと潜在成長率について」では、日本の潜在GDP及びGDPギャップに関する推定方法の包括的なレビューと1980年代以降のデータを用いた推計がなされている。潜在GDPの推計方法としては、生産関数に基づくもの、オークン法則に基づくもの、フィルターを適用することによるトレンド抽出、DSGEモデルを想定した上での推計、といった4つの方法があり、それぞれの方法で結果は異なる。最も広く用いられている手法である生産関数アプローチからGDPギャップを推計すると、GDPギャップの水準は年々低下していき、99年にはマイナス5%となった。潜在成長率は3%台から90年代半ば以降は1%台まで低下した。
鎌田論文「わが国の均衡実質金利」は、均衡実質金利の推計について代表的な手法を紹介しつつ、日本の均衡実質金利の推計を行っている。推計される均衡実質金利の水準は手法・モデルの違いによりかなりの幅があるものの、97年から98年頃に均衡実質金利がマイナスに落ち込んでいたこと、マイナス幅はせいぜい1%であり、持続期間も長くはなかったという結論が得られている。推計値を基準に金融政策スタンスを評価する際には、推計値自身のもつ不確実性を吟味することが必要である。鎌田論文ではリアルタイム推計誤差の検討がなされているが、結果からは均衡実質金利の推計値を過信せず参考程度の利用に留めるべきとの指摘がある。
「失われた10年」における景気判断と経済政策との関係はどのように考えたら良いのだろうか。北坂論文「わが国のバブル期以降の経済見通し・景気判断と経済政策-その経緯と現時点からの評価」では、バブル期以降の日本経済の状況、政府の経済見通しと景気判断について考察がなされている。バブル期以降のマクロ経済を概観することで、資産価格変動が景気と大きく関連していることが確認され、見通しや景気判断に資産価格や金融面の動きを重視する必要性が指摘される。政府経済見通しについては、政府が景気後退の可能性を正しく予想する一方で、景気後退期間を短く見積もりがちであると論じられている。そして月例経済報告における政府判断で景気後退と判断すると、ほぼ同時期に政策発動がなされていることがわかるが、これは「景気後退を認めることが何らかの対応をしなければいけないことを意味する」という認識につながり、景気後退の認定を遅らせるのではないかという懸念が示されている。
最後に1990年代の経済停滞期において景気循環に構造変化が生じたのか否かという点だが、渡部論文「日本の景気循環の構造変化」はこの点について計量分析がなされている。結果は、日本の景気循環には、過去25年間において構造変化点が2箇所あり、構造変化の時期は1991年8月と2004年8月である可能性が最も高い、というものである。
4.需要サイドと供給サイド、そして「失われた20年」
以上、深尾氏の序に即して個々の論文について纏めたが、バブル崩壊が生じ、それが「失われた10年」となり、2000年代の不十分な回復、そして現在の不況という現状からは、需要サイド・供給サイド双方の視点にたった分析が改めて必要であろう。私自身は長期停滞をもたらした要因は需要サイドにあり、かつ貨幣的現象が影響していると考えている。これは長期停滞の原因仮説としては少数派に属すると認識している。
長期停滞が10年、20年と続くことで需要サイドの停滞が供給サイドの停滞に結びつき、相互依存的に作用するという状況は、現下の不況を乗り越えるための早期の必要かつ十分な経済政策の実行とあわせて供給能力の拡大を阻害する要因の除去が求められる局面にあることを示唆していると言えるだろう。
さて、第一巻にあたる『マクロ経済と産業構造』では、「失われた10年」における日本経済の低迷の原因を、需要サイド・供給サイド双方の視点から包括的に分析している。以下では全体像を俯瞰するという意味で、編者の深尾京司氏による序をまとめる。
まず本書の内容は、先に述べたように需要サイド及び供給サイドからマクロ経済を分析するというものである。マクロ経済の動向を議論する際に重要となるGDPギャップ、実質金利といった変数は推計により得られるため、推計方法によって数値が変化する。これらの点に加えて、CIといった景気動向指数、景気判断と経済政策といったテーマについても分析がなされている。
1.需要サイドからみた「失われた10年」
需要サイドの分析としては、祝迫・岡田論文、石井論文、宮川・田中論文、堀論文が該当するだろう。
祝迫・岡田論文では、「日本経済における消費と貯蓄-1980年代以降の概観」と題して、1980年代以降の日本の消費変動を、ライフサイクル仮説で考えた長期均衡からの乖離という視点で分析している。結果をみると、90年代前半までの時期は、バブル崩壊が耐久財消費の急激な低下を生み出したが、非耐久財やサービス消費に対する影響は限定的であったこと、90年代後半になると家計所得・消費がGDP変化と比較して大きく落ち込んでいること、家計収入の減少と比較して消費は相対的に減少していないため、家計貯蓄率の低下が生じた、というものである。
石井論文は「バブルからデフレ期にかけての家計の予備的貯蓄行動の変化」と題して、予備的貯蓄行動の視点から貯蓄率への影響を分析している。これによれば、予備的貯蓄に影響したのは完全失業率の悪化という失業リスクであり、資産価格変動リスクが貯蓄率に影響したとの結果は見いだせていないこと、失業リスクの影響は90年代後半から00年代にかけて低下している、との結果がえられている。
宮川・田中論文は「設備投資分析の潮流と日本経済-過剰投資か過少投資か」として、設備投資の動向の実証分析を行っている。結果としては、日本の設備投資の伸びは低下しているが、水準は他国と比較して必ずしも低くないこと、バブル崩壊前までの日本の投資行動には横並び行動という非合理的な要因が影響していたこと、近年ではキャッシュ・フローが投資行動に影響していることを得ている。
堀論文「アジアの発展と日本経済-外需動向・為替レートと日本の国際競争力」は、外的環境の変化を概観しつつ、その環境変化が日本経済のパフォーマンスに与えた影響を分析している。90年代から顕著になった国際環境の動きは、東アジアの経済発展であろう。90年代の「失われた10年」から脱却するにあたり、東アジアの経済成長をなぜもっと取り込むことができなかったのか。堀論文では、アジア市場の急拡大という機会が円高による国際競争力の低下で相殺され、円の高止まり状況の下で、低付加価値品のみならず高付加価値品まで競争力を失っていったことを明らかにしている。
2.供給サイドからみた「失われた10年」
供給サイドからみた分析は、櫻井論文、元橋論文、中島論文、深尾・金論文、塩路論文が該当する。
消費について分析を行った祝迫・岡田論文や石井論文でふれられているポイントで関連する雇用動向については、櫻井論文「労働供給、労働需要、技術進歩と経済成長」として分析されている。労働供給については人口の低下という形で量的な側面への制約が強まる一方、高学歴化による質の向上と非正規化による質の低下が生じた。労働需要に関しては、90年代後半以降の不況の深刻化により大幅な減退が見られた。また、熟練労働者の相対雇用を増やし、非熟練労働者の相対雇用を減らすという非中立的な影響は、日本でも観察された。
元橋論文「日本企業の研究開発資産の蓄積とパフォーマンスに関する実証分析」は、1980年以降の日本企業におけるR&D投資とR&D資産の蓄積動向、R&D投資の決定要因、R&D資産の生産性について分析がなされている。分析によれば、1990年代に入りR&D資産の蓄積速度は企業の財務状況の悪化に伴い低下したが、企業が収益性の高い分野に研究開発投資を集中させたことでR&D資産の限界生産性は上昇している。
日本経済が停滞から成長径路に復帰するには、サービス産業の生産性向上が必須だとしばしば指摘される。だが、サービス産業の生産性の計測には数多くの困難が生じ、統計上の整備が不十分であることも周知の事実だろう。中島論文「サービス産業の生産性」では、我が国で広く用いられている指標が真の生産性と乖離する可能性を指摘するとともに、新たなサービス業のアウトプットを定義した上で生産性を推計している。結果として従来のヘドニックアプローチによる品質調整はバイアスをもたらすことがわかる。
深尾・金論文「生産性・資源配分と日本の成長」は、資源配分と生産性の視点から80年代以降の日本経済を概観している。結果としては、90年代の成長率の減速にはTFP成長率の低下が相当程度影響している。だが、TFP成長率の低下は、産業間の資源配分の変化や各産業内での企業間の資源配分の非効率化が原因とは言えない。寧ろ、各産業内、各企業内のTFP成長率そのものの低下がマクロ全体のTFP成長率の低下の原因である。日本経済の新陳代謝機能は長期に渡って停滞しており、資源配分の改善は重要な課題である。
TFP成長率は需要変化と無縁ではない。では、TFP成長率と景気変動との関係はどのように考えれば良いのか。塩路論文「生産性変動と1990年代以降の日本経済」では、この疑問について考察している。需要変動として重要なポイントは、TFP成長率の推計に稼働率要因を含めるという点だが、稼働率変動を含めた場合でも製造業のTFP成長率が低下するとの結論は変わらないが、非製造業ではTFP成長率の低下がかなり抑制される。また資源配分が非効率か否かを検討する場合には生産サイドのみの視点では不十分であり、需要構造によっては、寧ろ生産性上昇率が減少した産業に資源を再配分することが最適となる可能性も示唆されている。
3.GDPギャップ・潜在成長率・均衡実質金利・景気判断・景気循環
マクロ経済を議論する際に注意すべき点は、GDPギャップ、潜在成長率、均衡実質金利、自然失業率、NAIRUといった鍵概念が、統計データから直接把握できるのではなく、推計により間接的に把握される、という点であろう。推計という手続きが入ることで、様々な誤差が混入する可能性もある。誤った推計を自らの政策決定の為に都合良く利用する可能性もあるのかもしれない。以上の意味で、これらの鍵概念を検討する際には、使用されている統計データが概念と十分対応したものかどうか、推計上のバイアスはあるのかどうか、といった点について認識しておくことが必要だろう。そして推計結果を盲信するのではなく、加工無しに得られる統計データの結果から推計結果を判断していくことも必要だろう。
さて、酒巻論文「1980年代以降のGDPギャップと潜在成長率について」では、日本の潜在GDP及びGDPギャップに関する推定方法の包括的なレビューと1980年代以降のデータを用いた推計がなされている。潜在GDPの推計方法としては、生産関数に基づくもの、オークン法則に基づくもの、フィルターを適用することによるトレンド抽出、DSGEモデルを想定した上での推計、といった4つの方法があり、それぞれの方法で結果は異なる。最も広く用いられている手法である生産関数アプローチからGDPギャップを推計すると、GDPギャップの水準は年々低下していき、99年にはマイナス5%となった。潜在成長率は3%台から90年代半ば以降は1%台まで低下した。
鎌田論文「わが国の均衡実質金利」は、均衡実質金利の推計について代表的な手法を紹介しつつ、日本の均衡実質金利の推計を行っている。推計される均衡実質金利の水準は手法・モデルの違いによりかなりの幅があるものの、97年から98年頃に均衡実質金利がマイナスに落ち込んでいたこと、マイナス幅はせいぜい1%であり、持続期間も長くはなかったという結論が得られている。推計値を基準に金融政策スタンスを評価する際には、推計値自身のもつ不確実性を吟味することが必要である。鎌田論文ではリアルタイム推計誤差の検討がなされているが、結果からは均衡実質金利の推計値を過信せず参考程度の利用に留めるべきとの指摘がある。
「失われた10年」における景気判断と経済政策との関係はどのように考えたら良いのだろうか。北坂論文「わが国のバブル期以降の経済見通し・景気判断と経済政策-その経緯と現時点からの評価」では、バブル期以降の日本経済の状況、政府の経済見通しと景気判断について考察がなされている。バブル期以降のマクロ経済を概観することで、資産価格変動が景気と大きく関連していることが確認され、見通しや景気判断に資産価格や金融面の動きを重視する必要性が指摘される。政府経済見通しについては、政府が景気後退の可能性を正しく予想する一方で、景気後退期間を短く見積もりがちであると論じられている。そして月例経済報告における政府判断で景気後退と判断すると、ほぼ同時期に政策発動がなされていることがわかるが、これは「景気後退を認めることが何らかの対応をしなければいけないことを意味する」という認識につながり、景気後退の認定を遅らせるのではないかという懸念が示されている。
最後に1990年代の経済停滞期において景気循環に構造変化が生じたのか否かという点だが、渡部論文「日本の景気循環の構造変化」はこの点について計量分析がなされている。結果は、日本の景気循環には、過去25年間において構造変化点が2箇所あり、構造変化の時期は1991年8月と2004年8月である可能性が最も高い、というものである。
4.需要サイドと供給サイド、そして「失われた20年」
以上、深尾氏の序に即して個々の論文について纏めたが、バブル崩壊が生じ、それが「失われた10年」となり、2000年代の不十分な回復、そして現在の不況という現状からは、需要サイド・供給サイド双方の視点にたった分析が改めて必要であろう。私自身は長期停滞をもたらした要因は需要サイドにあり、かつ貨幣的現象が影響していると考えている。これは長期停滞の原因仮説としては少数派に属すると認識している。
長期停滞が10年、20年と続くことで需要サイドの停滞が供給サイドの停滞に結びつき、相互依存的に作用するという状況は、現下の不況を乗り越えるための早期の必要かつ十分な経済政策の実行とあわせて供給能力の拡大を阻害する要因の除去が求められる局面にあることを示唆していると言えるだろう。
2010年3月15日月曜日
月例経済報告(平成22年3月)
本日公表された月例経済報告(平成22年3月)では、従来からの生産の改善に続き、機械受注統計や景気動向指数でも改善の兆候が現れていることで、先月(2月)と比較して更に一歩景気持ち直しの傾向が進んだことが記載されている。一方でリスク要因もあり、それは海外景気の下振れ懸念や、デフレの影響、雇用情勢の悪化懸念が未だ続くというものである。基本的な目線はこれまでと変わらないように思える。
総論についてざっとみると、「景気は着実に持ち直してきているが、自律性は弱く、失業率が高水準にあるなど厳しい状況にある」とのことだ。持ち直しの兆候にあるのは、輸出、生産、個人消費である。企業の業況判断は厳しい状況にあるものの、生産・輸出の回復が進んでいることから持ち直しの動きガ進んでいる。しかし、大企業と中小企業では判断に格差が見られる。
先行きについては海外経済の改善・緊急経済対策の効果を背景にして持ち直し傾向が続いている。今後を見るためのポイントとしては言うまでも無く、消費と輸出の二つの動きをどう見るかに依るだろう。消費については政策効果がどのような形で発現していくかが検討を要するポイントだ。そして、デフレから脱却するための具体的な政策対応も必要である。ただし、政府と日銀の政策対応は十分ではないことが気がかりだ。
総論についてざっとみると、「景気は着実に持ち直してきているが、自律性は弱く、失業率が高水準にあるなど厳しい状況にある」とのことだ。持ち直しの兆候にあるのは、輸出、生産、個人消費である。企業の業況判断は厳しい状況にあるものの、生産・輸出の回復が進んでいることから持ち直しの動きガ進んでいる。しかし、大企業と中小企業では判断に格差が見られる。
先行きについては海外経済の改善・緊急経済対策の効果を背景にして持ち直し傾向が続いている。今後を見るためのポイントとしては言うまでも無く、消費と輸出の二つの動きをどう見るかに依るだろう。消費については政策効果がどのような形で発現していくかが検討を要するポイントだ。そして、デフレから脱却するための具体的な政策対応も必要である。ただし、政府と日銀の政策対応は十分ではないことが気がかりだ。
中村宗悦「「高橋財政」に対する新聞論調-『東京朝日新聞』社説の分析-」
歴史科学協議会編集の『歴史評論』3月号の特集は、「1929年世界恐慌と日本社会」と題されている。井上財政の失敗と高橋財政の成功については、これを「歴史の教訓」として肯定的に捉える論調と、恐慌から戦争に至る過渡期として捉える論調の二つがあり得るだろう。前者はエコノミストが好んで用いる論調であり、後者は日本経済史のテキストで語られる論調である。
勿論二つの論調の相違と断絶をどう捉えるかという論点はあるが、この特集では、世界恐慌前後期における経済政策やこれに対する日本社会の反応を多面的に解釈することで、複雑な社会背景を浮かび上がらせようということを意図している。本特集では6編の論文が収録されているが、以下では、その中で中村宗悦氏の論文を感想を交えながら簡単に取り上げてみたい。ご興味のある方は(門外漢の誤解等も十分あり得ると思うので)是非取り寄せてお読み頂ければ幸いである。
中村論文では、東京朝日新聞の社説を丹念にたどることで、金輸出再禁止から馬場財政への転換までの時代の経済政策に対する公衆の反応がどのようなものであったかを明らかにしている。
岩田規久男編『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社)に納められた論文(「金解禁をめぐる新聞メディアの論調」)では、『東京朝日新聞』と熾烈な購読者競争を繰り広げていた『大阪毎日新聞』の論調を取り上げて、メディアの論調と政策との関係が考察されていた。内容を簡単に要約すれば、a)金解禁に関する経済学者・エコノミストの論考は殆ど見当たらなかった、b)一方で金解禁に関する解説記事は頻繁に見られた、c)金解禁から金輸出再禁止に至る期間では、新聞の明確な論調の転換はなく、寧ろ一貫して産業合理化や不良債権処理の断行を旨とする井上財政の清算主義に親和的な論調であった、d)1932年以降に高橋財政が本格化しはじめても、新聞はリフレ政策による景気回復を「空景気」として警戒感を弱めていないが、明確な金融政策の転換が進み景気回復が本格化するとともに、「空景気」とする論調は影をひそめていく、ということだろう。
掲題の論文は、発行部数が若干多い『東京朝日新聞』を取り上げつつ、金輸出再禁止、赤字公債の引受け、5.15事件、公債漸減主義の採用、2.26事件、馬場財政といった6つの政策転換において『東京朝日新聞』の論調がどのように変化していったのかという点が分析されている。順次見ていくことにしよう。
1.金輸出再禁止前後
まず、「金輸出再禁止」直後の1931年12月~32年3月までの論調については、金輸出再禁止の決定(1931年12月13日)と、犬養内閣による「新内閣の予算方針」(1931年12月18日)に対する反応が対象となる。金輸出再禁止が決定された翌日の社説は、金本位制を「国内及び国際間の貸借関係を公正なものにするための唯一の制度」として、眼前の苦痛、つまり昭和恐慌の苦難を緩和するために撤廃することは好ましくない、と論じている。また、「新内閣の予算方針」については、増税や緊縮財政の緩和については賛意を示すものの、公債の増加の可能性には批判的で、さらに公債の増加によりインフレが進むことについても批判的であった。そして金輸出再禁止による為替の下落に際して「対外信用を失墜せしめ、為替を惨落させ、円貨の価値を暴落させ、それによりて国内産業を振興せしめようとすること程不堅実な方策はない」と痛切に批判している。さらにインフレに対する懸念も述べられている。例えば「大多数の国民は収入の増加なく、購買力の増進ないのに物価の急落、従つて生ずる生活苦の増進に脅威されている」とある。
2.日銀の赤字公債引き受け
次の局面は高橋が日銀による赤字公債引受策を表明した1932年3月8日の局面である。この時期の論調は、インフレ政策が財界の利益となることを評価しつつも、それが一時的な人気取りを人為的な形で引き起こす政策で、放漫財政の旗振り役として機能することを恐れるというものであった。つまり、デフレかつ不況に陥っていたという現状において、インフレを伴う財政赤字の拡大を懸念し、「空虚な景気論に迷わされることなく、財政悪化を阻止して立て直しをはかるべき」との論調である。
このデフレ下での赤字公債発行を伴うインフレ政策への批判は、思うように景気が回復しない当時の状況とハイパーインフレへの懸念とが結びつくことで、インフレをコントロールすることの不可能性を指摘する事に繋がる。以上のように、日銀の赤字公債引受策が発表された当初では、1.の清算主義的な論調の影響も相まって、ハイパーインフレと放漫財政への懸念が表明されていたのである。
3.5.15事件と公債漸減主義への転換
5.15事件以降に成立した斎藤内閣から公債漸減主義への転換が図られていくまでのこの時期は、高橋財政により着々と政策が実行され、インフレと実体経済の回復が進んだ時期であった。1933年4月にアメリカが本格的なインフレ政策へと転換すると、新聞の論調が「インフレ政策」に対して親和性を持つものに変わっていく。しかし、この「インフレ政策」の効果は一時的で、以下のような根本的な日本経済の問題を解決するものではないと捉えられた。
中村論文では、当時新聞が認識していた日本経済の5つの問題点を指摘する。一つ目は赤字公債の発行の中での軍事費の膨張についての懸念である。二つ目は、増発された公債の市中消化能力の限界と増税の必要性についてである。三つ目はインフレについての懸念である。つまり、インフレが進むことで財政上の悪影響が生じることを懸念していた。四つ目は財政支出と公債発行そのものが問題の根本であるとの認識である。五つ目は、為替についてである。貿易が好調に推移したのは為替の急低下によると新聞は指摘していたが、一方でこの貿易の拡大の原因は満州への輸出拡大といった貿易構造の変化にも依ると指摘していたことである。
だが、高橋蔵相が赤字公債漸減を明らかにすると、新聞は高橋の表明に賛意を示すことになる。更に遠慮がちに述べられていた増税策についても明確な肯定が表明されるようになり、財界の一部で増税の余力が生じているとの指摘もなされるようになった。
1935年初の社説では、1934年の経済状況を総括して、不測の災害を蒙った農村方面の窮迫といった状況は生じたものの、日銀の国債引き受けと低金利の平準化、為替の低位安定に基づく輸出の好調、軍需品及び輸出関係事業の活況を評価している。また1935年半ば以降の局面では一時的な景気後退はあるものの、その影響は軽微であるという観測であった。1936年後半においては、高橋が進める赤字漸減政策について新聞の論調は好意的である。だが、一方で軍部をはじめとする圧力も存在しており、健全財政主義を時代遅れと言いふらす論者も少なくないという情勢であった。
4.2.26事件以後から馬場財政まで
そして1936年2月に2.26事件が生じる。これにより高橋は暗殺され、日本の針路は転換点を迎えることになる。高橋財政に対する新聞の評価は以下のようなものである。つまり、「中心は公債価格の維持によるインフレーションのコントロールであり、4年間に渡ってインフレーションを操作するにあたって、さすがの高橋も健全財政の建前まで退却せざるを得なかった、しかもこの政策も根本においては行き詰まりという状態にあった」というものである。そして今後の財政政策に関しては、高橋財政での健全財政を一歩進めなければ、名人芸により支えられた金融及び為替の安定は不可能であるというのである。
馬場財政においては「庶政一新」、「国民の生活安定」がスローガンとして掲げられた。新聞は馬場財政の増税路線と積極財政主義への転換を好意的に捉えたものであったが、公債増発による拡大予算が軍部の要求を呑む形で成立すると、新聞の論調も準戦闘態勢へと転じていくことになるのである。
5.なぜ失敗から学べないのか
以上駆け足で中村論文の内容をまとめてみた。内容を読むと、当時と現在の新聞の論調が似通っている点に改めて驚く。
例えば、1.のくだり、つまり、安易な増税は現下の不況下では好ましくないとしながらも、一方で財政出動の為の赤字国債の発行には批判的で、インフレが生じた場合に当初生じうる実質所得の低下に対する懸念が表明されるといったところは現在の新聞論調と同じである。
そして、『昭和恐慌の研究』で納められている論文の論点のd)が『東京朝日新聞』の社説においても確認される。つまり、金輸出再禁止後においても新聞の論調は変わらず、「インフレによる景気刺激が有効ならば、世の中に不景気打倒ほど容易なものはない」という議論である。この点も、現在の停滞を様々な構造的要因に求め、インフレなどといった小手先の対策では容易に解決しないという一部識者の議論をトレースしている。結局80年経っても何も変わってはいないのである。
奇しくも現在、デフレが深刻化するとともに財源確保がうまく進まないこともあって、鳩山政権の周囲では消費税増税議論がにわかに生じている。菅副総理は昨年の勝間氏とのヒアリングで「そんな簡単にいくのか」とインフレ・ターゲティング政策への懸念を表明した。これらの点を念頭に読むと、まさに当時の『東京朝日新聞』の論調と現代のマスコミや政策担当者の認識との間に共通点を見出すことができる。
もう一つ論点がある。新聞は当時「庶政一新」、「国民の生活安定」をスローガンとした馬場財政を好意的に捉えた。この二つのスローガンは民主党が政権を奪取した際のスローガンと類似してはいないだろうか。馬場財政は増税と積極財政という二つの政策を旨としていた。現在において確認できるのは、「国民の生活第一」という旗印の元で予定されている「子ども手当」といった積極的な財政政策であり、一方で無駄な予算の削減は思うように進まず、経済の停滞も相まって増税が議論されるという状況である。
勿論、現代は今と違い軍事費の膨張が際限無き財政膨張を生み出すことはないだろう。しかし政局の混乱の中で、なし崩し的に増税と歳出拡大という道に進んでいくのではないかという懸念も拭えない。我々は80年前の失敗から脱することは不可能なのだろうか。成功の経験から学ぶことはできないのか、そんな感想をもってしまうこの頃である。
勿論二つの論調の相違と断絶をどう捉えるかという論点はあるが、この特集では、世界恐慌前後期における経済政策やこれに対する日本社会の反応を多面的に解釈することで、複雑な社会背景を浮かび上がらせようということを意図している。本特集では6編の論文が収録されているが、以下では、その中で中村宗悦氏の論文を感想を交えながら簡単に取り上げてみたい。ご興味のある方は(門外漢の誤解等も十分あり得ると思うので)是非取り寄せてお読み頂ければ幸いである。
中村論文では、東京朝日新聞の社説を丹念にたどることで、金輸出再禁止から馬場財政への転換までの時代の経済政策に対する公衆の反応がどのようなものであったかを明らかにしている。
岩田規久男編『昭和恐慌の研究』(東洋経済新報社)に納められた論文(「金解禁をめぐる新聞メディアの論調」)では、『東京朝日新聞』と熾烈な購読者競争を繰り広げていた『大阪毎日新聞』の論調を取り上げて、メディアの論調と政策との関係が考察されていた。内容を簡単に要約すれば、a)金解禁に関する経済学者・エコノミストの論考は殆ど見当たらなかった、b)一方で金解禁に関する解説記事は頻繁に見られた、c)金解禁から金輸出再禁止に至る期間では、新聞の明確な論調の転換はなく、寧ろ一貫して産業合理化や不良債権処理の断行を旨とする井上財政の清算主義に親和的な論調であった、d)1932年以降に高橋財政が本格化しはじめても、新聞はリフレ政策による景気回復を「空景気」として警戒感を弱めていないが、明確な金融政策の転換が進み景気回復が本格化するとともに、「空景気」とする論調は影をひそめていく、ということだろう。
掲題の論文は、発行部数が若干多い『東京朝日新聞』を取り上げつつ、金輸出再禁止、赤字公債の引受け、5.15事件、公債漸減主義の採用、2.26事件、馬場財政といった6つの政策転換において『東京朝日新聞』の論調がどのように変化していったのかという点が分析されている。順次見ていくことにしよう。
1.金輸出再禁止前後
まず、「金輸出再禁止」直後の1931年12月~32年3月までの論調については、金輸出再禁止の決定(1931年12月13日)と、犬養内閣による「新内閣の予算方針」(1931年12月18日)に対する反応が対象となる。金輸出再禁止が決定された翌日の社説は、金本位制を「国内及び国際間の貸借関係を公正なものにするための唯一の制度」として、眼前の苦痛、つまり昭和恐慌の苦難を緩和するために撤廃することは好ましくない、と論じている。また、「新内閣の予算方針」については、増税や緊縮財政の緩和については賛意を示すものの、公債の増加の可能性には批判的で、さらに公債の増加によりインフレが進むことについても批判的であった。そして金輸出再禁止による為替の下落に際して「対外信用を失墜せしめ、為替を惨落させ、円貨の価値を暴落させ、それによりて国内産業を振興せしめようとすること程不堅実な方策はない」と痛切に批判している。さらにインフレに対する懸念も述べられている。例えば「大多数の国民は収入の増加なく、購買力の増進ないのに物価の急落、従つて生ずる生活苦の増進に脅威されている」とある。
2.日銀の赤字公債引き受け
次の局面は高橋が日銀による赤字公債引受策を表明した1932年3月8日の局面である。この時期の論調は、インフレ政策が財界の利益となることを評価しつつも、それが一時的な人気取りを人為的な形で引き起こす政策で、放漫財政の旗振り役として機能することを恐れるというものであった。つまり、デフレかつ不況に陥っていたという現状において、インフレを伴う財政赤字の拡大を懸念し、「空虚な景気論に迷わされることなく、財政悪化を阻止して立て直しをはかるべき」との論調である。
このデフレ下での赤字公債発行を伴うインフレ政策への批判は、思うように景気が回復しない当時の状況とハイパーインフレへの懸念とが結びつくことで、インフレをコントロールすることの不可能性を指摘する事に繋がる。以上のように、日銀の赤字公債引受策が発表された当初では、1.の清算主義的な論調の影響も相まって、ハイパーインフレと放漫財政への懸念が表明されていたのである。
3.5.15事件と公債漸減主義への転換
5.15事件以降に成立した斎藤内閣から公債漸減主義への転換が図られていくまでのこの時期は、高橋財政により着々と政策が実行され、インフレと実体経済の回復が進んだ時期であった。1933年4月にアメリカが本格的なインフレ政策へと転換すると、新聞の論調が「インフレ政策」に対して親和性を持つものに変わっていく。しかし、この「インフレ政策」の効果は一時的で、以下のような根本的な日本経済の問題を解決するものではないと捉えられた。
中村論文では、当時新聞が認識していた日本経済の5つの問題点を指摘する。一つ目は赤字公債の発行の中での軍事費の膨張についての懸念である。二つ目は、増発された公債の市中消化能力の限界と増税の必要性についてである。三つ目はインフレについての懸念である。つまり、インフレが進むことで財政上の悪影響が生じることを懸念していた。四つ目は財政支出と公債発行そのものが問題の根本であるとの認識である。五つ目は、為替についてである。貿易が好調に推移したのは為替の急低下によると新聞は指摘していたが、一方でこの貿易の拡大の原因は満州への輸出拡大といった貿易構造の変化にも依ると指摘していたことである。
だが、高橋蔵相が赤字公債漸減を明らかにすると、新聞は高橋の表明に賛意を示すことになる。更に遠慮がちに述べられていた増税策についても明確な肯定が表明されるようになり、財界の一部で増税の余力が生じているとの指摘もなされるようになった。
1935年初の社説では、1934年の経済状況を総括して、不測の災害を蒙った農村方面の窮迫といった状況は生じたものの、日銀の国債引き受けと低金利の平準化、為替の低位安定に基づく輸出の好調、軍需品及び輸出関係事業の活況を評価している。また1935年半ば以降の局面では一時的な景気後退はあるものの、その影響は軽微であるという観測であった。1936年後半においては、高橋が進める赤字漸減政策について新聞の論調は好意的である。だが、一方で軍部をはじめとする圧力も存在しており、健全財政主義を時代遅れと言いふらす論者も少なくないという情勢であった。
4.2.26事件以後から馬場財政まで
そして1936年2月に2.26事件が生じる。これにより高橋は暗殺され、日本の針路は転換点を迎えることになる。高橋財政に対する新聞の評価は以下のようなものである。つまり、「中心は公債価格の維持によるインフレーションのコントロールであり、4年間に渡ってインフレーションを操作するにあたって、さすがの高橋も健全財政の建前まで退却せざるを得なかった、しかもこの政策も根本においては行き詰まりという状態にあった」というものである。そして今後の財政政策に関しては、高橋財政での健全財政を一歩進めなければ、名人芸により支えられた金融及び為替の安定は不可能であるというのである。
馬場財政においては「庶政一新」、「国民の生活安定」がスローガンとして掲げられた。新聞は馬場財政の増税路線と積極財政主義への転換を好意的に捉えたものであったが、公債増発による拡大予算が軍部の要求を呑む形で成立すると、新聞の論調も準戦闘態勢へと転じていくことになるのである。
5.なぜ失敗から学べないのか
以上駆け足で中村論文の内容をまとめてみた。内容を読むと、当時と現在の新聞の論調が似通っている点に改めて驚く。
例えば、1.のくだり、つまり、安易な増税は現下の不況下では好ましくないとしながらも、一方で財政出動の為の赤字国債の発行には批判的で、インフレが生じた場合に当初生じうる実質所得の低下に対する懸念が表明されるといったところは現在の新聞論調と同じである。
そして、『昭和恐慌の研究』で納められている論文の論点のd)が『東京朝日新聞』の社説においても確認される。つまり、金輸出再禁止後においても新聞の論調は変わらず、「インフレによる景気刺激が有効ならば、世の中に不景気打倒ほど容易なものはない」という議論である。この点も、現在の停滞を様々な構造的要因に求め、インフレなどといった小手先の対策では容易に解決しないという一部識者の議論をトレースしている。結局80年経っても何も変わってはいないのである。
奇しくも現在、デフレが深刻化するとともに財源確保がうまく進まないこともあって、鳩山政権の周囲では消費税増税議論がにわかに生じている。菅副総理は昨年の勝間氏とのヒアリングで「そんな簡単にいくのか」とインフレ・ターゲティング政策への懸念を表明した。これらの点を念頭に読むと、まさに当時の『東京朝日新聞』の論調と現代のマスコミや政策担当者の認識との間に共通点を見出すことができる。
もう一つ論点がある。新聞は当時「庶政一新」、「国民の生活安定」をスローガンとした馬場財政を好意的に捉えた。この二つのスローガンは民主党が政権を奪取した際のスローガンと類似してはいないだろうか。馬場財政は増税と積極財政という二つの政策を旨としていた。現在において確認できるのは、「国民の生活第一」という旗印の元で予定されている「子ども手当」といった積極的な財政政策であり、一方で無駄な予算の削減は思うように進まず、経済の停滞も相まって増税が議論されるという状況である。
勿論、現代は今と違い軍事費の膨張が際限無き財政膨張を生み出すことはないだろう。しかし政局の混乱の中で、なし崩し的に増税と歳出拡大という道に進んでいくのではないかという懸念も拭えない。我々は80年前の失敗から脱することは不可能なのだろうか。成功の経験から学ぶことはできないのか、そんな感想をもってしまうこの頃である。
2010年3月12日金曜日
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