岡田靖さんが急逝されたとのご連絡を昨日(11日)頂いた。だが不覚にも訃報を知ったのは本日(12日)である。以前から体調を崩されていたのは伺っていたが、お見舞いに伺うことも出来ず仕舞いであった。死に至る可能性も十二分にあるという状況を乗り越えられて、職場復帰をされた際、隣におられたある方(自分ではない)に向かって「まだまだ「リフレ派」は渡さない。俺はしぶといからね。」と冗談を言われていたのを伺ったのが最後となってしまった。研究所の机の上には献本させて頂いた拙著が置かれていた。切れ味鋭い言説で思い切り批判して頂きたかったのに、感想を伺うことも出来ず残念な限りである。
私自身、岡田さんの謦咳に接したのは極々僅かであり、お会いしたのも数度という状況であるため、岡田さんのお人柄について良く知る訳ではない。だが、様々な機会にお話を伺う中で、エコノミストとして自分が知り得る人々の中ではまさに別次元の方であることは認識できた。
大和證券経済研究所、大和證券、クレディスイスファーストボストン証券、学習院大学特別客員教授、更に内閣府経済社会総合研究所というご経歴を拝見すると、我が国の中ではビジネスエコノミストという区分に属するのかもしれない。だが岡田さんの魅力と凄みとして特筆すべきは、ビジネスエコノミストでありながら、世のアカデミックな経済学者と同等、いやそれ以上の経済学の知識を有し、かつ現実経済について造詣が深かったという点である。
極めて大雑把な整理をすれば、アカデミアに属する経済学者は理論構築には熱心でも世の中を知らず又データを知らず、一方でビジネスエコノミストは世の中を知りデータを知り得たとしても、その分析用具は理論の体をなしていない、というこの国のエコノミスト業界の現状において稀有な存在であった訳だ。なまくら刀では現実を分析し政策提言を行う際の「キレ」は鈍り、その末路は紙の無駄遣いとなる。一方で、研ぎ澄まされた刀でも斬る対象・視点が誤りであれば、分析した結果や政策提言は的外れなものとなり失笑を買うことになる。エコノミストの価値はこの二つをいかにして極め、バランス良く位置づけることが出来るかということに尽きるのだろう。言うまでもなく岡田さんはこの両者を見事なまでに極めて高いレベルで統合された方であった。
そして、ビジネスエコノミストの迷妄に対して近親憎悪とも思える憤りを持つ自分にとって、数少ない尊敬出来るエコノミストの一人であった。経済を深く知るには、思考の枠組みとしての経済学を知らねばならないが、「経済学」学で満足してはならない。そして経済を深く知ることはデータの動きを追う「経過観察」のみでは駄目で、何をどうすれば分かるのかというヒントを様々な論文やネットやお会いした機会を通じて教えて頂いた。
恐らく岡田さんがこの国で十分に活躍出来るような土壌・環境が整っていたのならば、日本経済は「失われた20年」にはならなかっただろう。慙愧の念にたえない。
(一部修正しました。ご容赦ください。)
(追記5月27日2:15)
現在発売中の『月刊サイゾー』6月号にて、岡田靖さんへの思いとともに、対談をさせて頂きました。宜しければご覧頂ければと存じます。岡田さんに少しでも近づけるよう、地道に努力していきたいと思うこの頃です。
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