2010年6月8日火曜日

菅首相就任会見雑感

   本日夕方、菅首相は就任にあたり記者会見を行った。マニフェストと現実との狭間で、やるべき事とやるべきでない事、出来る事と出来ない事の区別すらつかず、政策実行に必要な調整や周囲の補佐を欠いて自滅した鳩山政権の事はもう言うまい。昨年8月に政権を奪取した民主党にとっても、日本経済にとってもまさに正念場である。菅首相は国民の期待に応えることができるのか、果たしてそうでないのか。

   会見では、まず菅首相自らの認識が語られる。曰く、政治の役割は最小不幸の社会をつくることである。曰く、「失われた20年」の経済停滞、社会の閉塞感を脱し日本を元気の良い国にするために、日本経済・財政・社会保障を立て直す必要がある。そして、この停滞の背景には20年間の政治のリーダーシップのなさがあるという。

   私も首相の指摘する認識には同意見だ。経済成長は政府が行うものではない。しかしバブル崩壊以降の長期停滞には、適切な政策が早期に取れなかった政治家・官僚の失敗と政治のリーダーシップの無さが大きく影響している。菅首相のこの認識を聞く限りは期待が持てる。

   しかし、「財政の立て直しも、まさに経済を成長させる上での必須の要件だと考えている」という首相の発言を聞くと、やはり民主党政権は期待が持てないとの不安がよぎる。確かに経済成長、財政、社会保障を一体として強くしていく事は必要かつ重要な点だが、残念な事にこの三つの要素を一体として強くすることは困難だ。「二兎を追うものは一兎をも得ず」というが、眼前の困難と国民の期待に焦るあまり、まず何に手を付けるべきかについての認識が、失礼ながら首相には不足しているのではないか。

   首相の言うように、財政を立て直す事で経済成長は達成できるのだろうか。財政赤字を削減するために増税を行えば、国内需要に抑制圧力がはたらくのは必定だ。国内需要が抑制されれば税収は減少し、さらなる財政赤字の穴埋めのために増税を行えば経済成長どころではなくなってしまう。
増税手段として俎上に上がるのが消費税増税である。消費税増税の実体経済への影響は、国民からの増税を社会保障等の形で再度還元すれば中立であり、もしかするとプラスの効果があるとの主張がなされることがある。しかし再度還元するのならば財政悪化は抑制されず、高齢化の進展に伴って増税が断続的になされる状態になるのは明らかだろう。

   消費税増税は住宅や半耐久消費財に対しての消費抑制効果を持っており、これらが在庫投資の拡大を通じて投資低迷に影響する。消費税5%の導入は97年第2四半期だが、消費税導入以降に経済指標が好転したとして、97年第3四半期、第4四半期の民間消費支出が前期比プラスであったことが指摘される。しかし統計データから民間消費支出の内訳を見ると半耐久財の消費は消費税導入時の97年第2四半期以降マイナスが続いており、97年第4四半期には耐久財も前期比マイナスとなった。

  消費税の影響については97年末以降に実体経済の悪化が本格化した事から、アジア通貨危機や国内の金融不安が主因であるという指摘もある。勿論これらの現象が実体経済の悪化を後押ししたのは事実だろう。だが、そのことで消費税の実体経済のマイナス効果が無いことにはならないことに注意すべきだ。

   現状では景気は回復過程にあるものの、自律的な経済成長を遂げているとは言い難い状況である。それは10年第1四半期の実質GDPの水準がリーマン・ショック時の水準を回復していないことからも明らかだろう。そして、現在の実質GDPの回復の要因の一つとして挙げられる消費の回復は耐久財消費の増加によるものである点も忘れるべきではないだろう。現状で消費税増税を行えば、97年時点よりもドラスティクな形で半耐久財消費減少、耐久財消費減少、更に住宅投資減少という形で効果が波及する可能性もあり得るのではないか。

   勿論、財政の立て直しは重要だ。だが政府が行うべきことは消費税増税の前にいくつもある。例えば税・社会保障に関する共通番号制の導入・整備に基づく徴税力の向上や、所得階層の違いに着目した増減税の仕組み、給付付き税額控除制度の早期導入、高所得者層への課税といった政策はより効率的に税収を確保するのみならず、経済悪化に対する財政政策の効力を高める上でも必要だ。これらの制度整備は粛々と進めることが出来るはずだ。

   財政悪化の状況は深刻だが、「悪化」と「破綻」は意味が異なる。そして財政破綻に対する直接的なシグナルが出ている訳ではない。財政への信認が必要であれば、マニフェストに掲げられた歳出削減策を進めつつ、以上の政策を行うことで対処すべきである。

  さて先程「二兎を追うものは一兎をも得ず」と述べたが、まず菅政権は三つの好循環のために何から手を付けるべきなのか。それは経済成長であり、更に言えばデフレからの脱却だ。「失われた20年」に一貫して作用したのは物価の停滞(デフレ)であり、長きに渡るデフレ予想が先行きの不安感を生み、実体経済を萎縮させている。経済成長には成長戦略という認識が首相にはお有りのようだが、新規事業への萎縮にはデフレ期待による将来への悲観が作用しており、急速な経済成長を進めるアジアに十分にキャッチアップ出来ない大きな要因の一つとして、不十分な金融政策の結果である持続的な円高が作用しているという点にこそ着目すべきだ。

  どの産業に進出すべきか、そのことでどういう社会を目指していくのかという点をビジョンとして掲げるのは一つの見識なのかもしれない。但し、それが特定産業への個別の政策介入となれば話は別だ。経済成長を担うのは民間であって政府ではない。そして自由な個人の自由な発想の結果として生まれるイノベーションが経済成長の源泉であるのなら、政府が可能なのは個人が思いきり力を発揮するための環境整備なのである。つまり、最小不幸の社会をつくるためには、デフレから脱却する政策を行うことが必要なのである。

  菅政権には不安要素が多い。まず指摘すべきは政権の要である官房長官に仙谷氏が、党の要である政調会長に枝野氏が選ばれたことだ。両者は共に財政再建に意欲的で、ややもすると日本経済そのものを「事業仕分け」という名の停滞に導きかねない。枝野氏は「金利引き上げで景気回復」という暴論を過去唱えていた。一昔前では「円高で内需拡大」という暴論も台頭していた民主党の体質を考慮すると、経済認識の欠如が国を誤らせる可能性も十二分にある。そして、菅首相以外のほとんどの閣僚が温存されているという点も気に掛かる。「小沢外し」は意思決定プロセスの一元化には寄与したのかもしれない。だが、問題は現下の状況に対して適切な政策がなされることであって、一元化により誤った政策が行われるとしたら元も子もないのだ。

  一年も立たずにコロコロと政権が交代する状況では、長期政権への期待は持ちづらいのが現状である。政治のリーダーシップを発揮し、最小不幸の社会を築き上げるために、自らの政権で何をなすべきか、あれもこれもではなく、一事に全力を尽くして欲しい。その一事は真に国民の利益となるものであるべきだ。この点を承知することこそが菅首相、更に民主党、惹いては国民の明暗を分けることになるのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿