2010年3月25日木曜日

深尾京司編『マクロ経済と産業構造 バブル/デフレ期の日本経済と経済政策1』(その1)

 内閣府経済社会総合研究所が企画・監修しているバブル/デフレ期の日本経済と経済政策のシリーズも7巻全てが出揃った。本シリーズは所謂「失われた10年」がどのような時代であったのかを分析した論文集の体裁をとっている。出来るだけ、各論文全ての内容についてまとめつつ、あわせて関連論文も整理しつつ進みたい。
 さて、第一巻にあたる『マクロ経済と産業構造』では、「失われた10年」における日本経済の低迷の原因を、需要サイド・供給サイド双方の視点から包括的に分析している。以下では全体像を俯瞰するという意味で、編者の深尾京司氏による序をまとめる。
まず本書の内容は、先に述べたように需要サイド及び供給サイドからマクロ経済を分析するというものである。マクロ経済の動向を議論する際に重要となるGDPギャップ、実質金利といった変数は推計により得られるため、推計方法によって数値が変化する。これらの点に加えて、CIといった景気動向指数、景気判断と経済政策といったテーマについても分析がなされている。

1.需要サイドからみた「失われた10年」
 需要サイドの分析としては、祝迫・岡田論文、石井論文、宮川・田中論文、堀論文が該当するだろう。
 祝迫・岡田論文では、「日本経済における消費と貯蓄-1980年代以降の概観」と題して、1980年代以降の日本の消費変動を、ライフサイクル仮説で考えた長期均衡からの乖離という視点で分析している。結果をみると、90年代前半までの時期は、バブル崩壊が耐久財消費の急激な低下を生み出したが、非耐久財やサービス消費に対する影響は限定的であったこと、90年代後半になると家計所得・消費がGDP変化と比較して大きく落ち込んでいること、家計収入の減少と比較して消費は相対的に減少していないため、家計貯蓄率の低下が生じた、というものである。
 石井論文は「バブルからデフレ期にかけての家計の予備的貯蓄行動の変化」と題して、予備的貯蓄行動の視点から貯蓄率への影響を分析している。これによれば、予備的貯蓄に影響したのは完全失業率の悪化という失業リスクであり、資産価格変動リスクが貯蓄率に影響したとの結果は見いだせていないこと、失業リスクの影響は90年代後半から00年代にかけて低下している、との結果がえられている。
 宮川・田中論文は「設備投資分析の潮流と日本経済-過剰投資か過少投資か」として、設備投資の動向の実証分析を行っている。結果としては、日本の設備投資の伸びは低下しているが、水準は他国と比較して必ずしも低くないこと、バブル崩壊前までの日本の投資行動には横並び行動という非合理的な要因が影響していたこと、近年ではキャッシュ・フローが投資行動に影響していることを得ている。
 堀論文「アジアの発展と日本経済-外需動向・為替レートと日本の国際競争力」は、外的環境の変化を概観しつつ、その環境変化が日本経済のパフォーマンスに与えた影響を分析している。90年代から顕著になった国際環境の動きは、東アジアの経済発展であろう。90年代の「失われた10年」から脱却するにあたり、東アジアの経済成長をなぜもっと取り込むことができなかったのか。堀論文では、アジア市場の急拡大という機会が円高による国際競争力の低下で相殺され、円の高止まり状況の下で、低付加価値品のみならず高付加価値品まで競争力を失っていったことを明らかにしている。

2.供給サイドからみた「失われた10年」
 供給サイドからみた分析は、櫻井論文、元橋論文、中島論文、深尾・金論文、塩路論文が該当する。
消費について分析を行った祝迫・岡田論文や石井論文でふれられているポイントで関連する雇用動向については、櫻井論文「労働供給、労働需要、技術進歩と経済成長」として分析されている。労働供給については人口の低下という形で量的な側面への制約が強まる一方、高学歴化による質の向上と非正規化による質の低下が生じた。労働需要に関しては、90年代後半以降の不況の深刻化により大幅な減退が見られた。また、熟練労働者の相対雇用を増やし、非熟練労働者の相対雇用を減らすという非中立的な影響は、日本でも観察された。
 元橋論文「日本企業の研究開発資産の蓄積とパフォーマンスに関する実証分析」は、1980年以降の日本企業におけるR&D投資とR&D資産の蓄積動向、R&D投資の決定要因、R&D資産の生産性について分析がなされている。分析によれば、1990年代に入りR&D資産の蓄積速度は企業の財務状況の悪化に伴い低下したが、企業が収益性の高い分野に研究開発投資を集中させたことでR&D資産の限界生産性は上昇している。
 日本経済が停滞から成長径路に復帰するには、サービス産業の生産性向上が必須だとしばしば指摘される。だが、サービス産業の生産性の計測には数多くの困難が生じ、統計上の整備が不十分であることも周知の事実だろう。中島論文「サービス産業の生産性」では、我が国で広く用いられている指標が真の生産性と乖離する可能性を指摘するとともに、新たなサービス業のアウトプットを定義した上で生産性を推計している。結果として従来のヘドニックアプローチによる品質調整はバイアスをもたらすことがわかる。
 深尾・金論文「生産性・資源配分と日本の成長」は、資源配分と生産性の視点から80年代以降の日本経済を概観している。結果としては、90年代の成長率の減速にはTFP成長率の低下が相当程度影響している。だが、TFP成長率の低下は、産業間の資源配分の変化や各産業内での企業間の資源配分の非効率化が原因とは言えない。寧ろ、各産業内、各企業内のTFP成長率そのものの低下がマクロ全体のTFP成長率の低下の原因である。日本経済の新陳代謝機能は長期に渡って停滞しており、資源配分の改善は重要な課題である。
 TFP成長率は需要変化と無縁ではない。では、TFP成長率と景気変動との関係はどのように考えれば良いのか。塩路論文「生産性変動と1990年代以降の日本経済」では、この疑問について考察している。需要変動として重要なポイントは、TFP成長率の推計に稼働率要因を含めるという点だが、稼働率変動を含めた場合でも製造業のTFP成長率が低下するとの結論は変わらないが、非製造業ではTFP成長率の低下がかなり抑制される。また資源配分が非効率か否かを検討する場合には生産サイドのみの視点では不十分であり、需要構造によっては、寧ろ生産性上昇率が減少した産業に資源を再配分することが最適となる可能性も示唆されている。

3.GDPギャップ・潜在成長率・均衡実質金利・景気判断・景気循環
 マクロ経済を議論する際に注意すべき点は、GDPギャップ、潜在成長率、均衡実質金利、自然失業率、NAIRUといった鍵概念が、統計データから直接把握できるのではなく、推計により間接的に把握される、という点であろう。推計という手続きが入ることで、様々な誤差が混入する可能性もある。誤った推計を自らの政策決定の為に都合良く利用する可能性もあるのかもしれない。以上の意味で、これらの鍵概念を検討する際には、使用されている統計データが概念と十分対応したものかどうか、推計上のバイアスはあるのかどうか、といった点について認識しておくことが必要だろう。そして推計結果を盲信するのではなく、加工無しに得られる統計データの結果から推計結果を判断していくことも必要だろう。
 さて、酒巻論文「1980年代以降のGDPギャップと潜在成長率について」では、日本の潜在GDP及びGDPギャップに関する推定方法の包括的なレビューと1980年代以降のデータを用いた推計がなされている。潜在GDPの推計方法としては、生産関数に基づくもの、オークン法則に基づくもの、フィルターを適用することによるトレンド抽出、DSGEモデルを想定した上での推計、といった4つの方法があり、それぞれの方法で結果は異なる。最も広く用いられている手法である生産関数アプローチからGDPギャップを推計すると、GDPギャップの水準は年々低下していき、99年にはマイナス5%となった。潜在成長率は3%台から90年代半ば以降は1%台まで低下した。
 鎌田論文「わが国の均衡実質金利」は、均衡実質金利の推計について代表的な手法を紹介しつつ、日本の均衡実質金利の推計を行っている。推計される均衡実質金利の水準は手法・モデルの違いによりかなりの幅があるものの、97年から98年頃に均衡実質金利がマイナスに落ち込んでいたこと、マイナス幅はせいぜい1%であり、持続期間も長くはなかったという結論が得られている。推計値を基準に金融政策スタンスを評価する際には、推計値自身のもつ不確実性を吟味することが必要である。鎌田論文ではリアルタイム推計誤差の検討がなされているが、結果からは均衡実質金利の推計値を過信せず参考程度の利用に留めるべきとの指摘がある。
 「失われた10年」における景気判断と経済政策との関係はどのように考えたら良いのだろうか。北坂論文「わが国のバブル期以降の経済見通し・景気判断と経済政策-その経緯と現時点からの評価」では、バブル期以降の日本経済の状況、政府の経済見通しと景気判断について考察がなされている。バブル期以降のマクロ経済を概観することで、資産価格変動が景気と大きく関連していることが確認され、見通しや景気判断に資産価格や金融面の動きを重視する必要性が指摘される。政府経済見通しについては、政府が景気後退の可能性を正しく予想する一方で、景気後退期間を短く見積もりがちであると論じられている。そして月例経済報告における政府判断で景気後退と判断すると、ほぼ同時期に政策発動がなされていることがわかるが、これは「景気後退を認めることが何らかの対応をしなければいけないことを意味する」という認識につながり、景気後退の認定を遅らせるのではないかという懸念が示されている。
 最後に1990年代の経済停滞期において景気循環に構造変化が生じたのか否かという点だが、渡部論文「日本の景気循環の構造変化」はこの点について計量分析がなされている。結果は、日本の景気循環には、過去25年間において構造変化点が2箇所あり、構造変化の時期は1991年8月と2004年8月である可能性が最も高い、というものである。

4.需要サイドと供給サイド、そして「失われた20年」
 以上、深尾氏の序に即して個々の論文について纏めたが、バブル崩壊が生じ、それが「失われた10年」となり、2000年代の不十分な回復、そして現在の不況という現状からは、需要サイド・供給サイド双方の視点にたった分析が改めて必要であろう。私自身は長期停滞をもたらした要因は需要サイドにあり、かつ貨幣的現象が影響していると考えている。これは長期停滞の原因仮説としては少数派に属すると認識している。
長期停滞が10年、20年と続くことで需要サイドの停滞が供給サイドの停滞に結びつき、相互依存的に作用するという状況は、現下の不況を乗り越えるための早期の必要かつ十分な経済政策の実行とあわせて供給能力の拡大を阻害する要因の除去が求められる局面にあることを示唆していると言えるだろう。

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